経済学研究室

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2007年01月02日
 
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教育・研究 > 大学・大学院 > その他

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ゆうくんの経済学研究室(通算84号)
今回のテーマ: 「八月の路上に捨てる」 批評

■発行責任者:小山友介 ( Koyama Yuhsuke ) from 京都
   HP   http://ha1.seikyou.ne.jp/home/yus/index.html
   Email  yus@ma1.seikyou.ne.jp
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■ご意見・ご感想・その他要望等の問い合わせ先
   yus@ma1.seikyou.ne.jp
■本誌はインターネットの本屋さん『まぐまぐ』を利用して発行しています。
   http://www.mag2.com/
■バックナンバーはこちらからご覧になれます。
   http://ha1.seikyou.ne.jp/home/yus/ecolab
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▽結局1月2日の発行になりました▽
あけましておめでとうございます.結局元旦の発行もかなわず,1月2日の発行です(−−;

今回のテーマはふと思いついた企画で恐縮ですが,(文藝春秋の目次の煽り文句によると)
「格差社会の底辺に生きる若者の仕事と離婚  フリーター文学の誕生!」と言うこと
らしい,「八月の路上に捨てる(伊藤たかみ)」の読み解きをしてみます.

※夏に,途中まで感想をmixi日記であげていたのを最後まで終えてなかったので,
 気分的に「宿題」だったんですよね.今回は,それらの加筆修正版,という形になります.

個人的な印象ですけど,物語の基本枠は,

「オコサマで万能感を捨てきれないカンチガイ男」と,「天使のような優しさと,ガラス
細工のような儚さを持った,決定的に男を見る目がない(なかった)女性」の青春失敗
(結婚と離婚)物語

だと思います.

この手の夢追いカンチガイ男がフリーター化しているのはよくある話で,特に斬新なわけ
ではない,というよりは非常に古くさいテーマだと思います.宣伝は煽りすぎです.

あと,それ以上に,選者の評が酷かったんですけどね.この小説には言いたいことは存在
しています.私はあまり純文学の小説を読まないのですが,ミステリー読みの観点から
見る限り,登場人物の人物像・感情の動きを読み解ける符牒が(伏線のように)しっかり
物語中に残されています.その意味で,この作品がわからない人は現在を感じ取る感受性
が完全に摩滅しているか,人の心を読む機微に欠ける(コレって,文学者にとって致命的
だと思いますが・・・)と言うことではないかと思います.

☆物語の基本構造☆

舞台設定は,仕事中(トラックで街を回って自販機にジュースを詰める)に先輩で正社員
の水城さんに対して,主人公である佐藤敦が知恵子との結婚から離婚のプロセス
を説明する,というものです.水城さんは明日以降異動で千葉に行ってしまうので,敦・
水城のコンビで仕事をするのが最終日である,という想定になっています.「水城&敦」
の時間と,「知恵子&敦」の時間が交代で現れつつ話が進んでいきます.

3人の人物像を個人的な分析を含めてざっくりと書くと,次のようになります:

敦:(三浦展『下流社会』の意味で)いわゆる下流のメンタリティをもつ青年.文章中の
  表現によると,30歳らしい.具体的にどこが「下流」かについては,次の点を指摘
  しておきます.

 ・自分の配偶者となる女性に対して,精神的に優位に立ちたがる.弱みを見せることが
  出来ない
 ・性的な要求,精神的な支えを外部の女性に求める.それは「浮気相手」としての美容師
  だったり,(いわば「酒場の女性」への恋心のような)淡い恋心を水城さんに持っている
 ・過去に映画の脚本を目指したことがあるが,既に挫折している.だが,そのことを
  結婚相手である知恵子に素直に打ち明けることが出来ない.
 ・一度別れる,と決めたあとも相手がどこかで自分のことを好きでいる(いて欲しい)と
  身勝手なことを思っている.
 
水城:子持ちで独身.離婚経験があり.人生の機微を知る「オトナの女性」として,物語
   世界では裁定者として敦の言動を評価する役割.文章中の表現だと32歳と敦の2歳年上
   にすぎないが,敦を完全に子供扱いしている.敦には(弟のように?)親しく接する
   が,淡い恋心を持たれていることを快くは思ってないらしく,異動の理由の一つに
   再婚があることを敦に伝えていない.
   
知恵子:敦と離婚する女性.「夢に向かって努力することが尊い」という価値観を強く
   持っていて,その点で敦と意気投合して結婚する.全然芽が出ない敦に比べると,
   一度は編集者として就職(転職)できたという点では敦より優秀だったと思える.
   だが,敦の男性としての器(能力面でも,度量の大きさの面でも)を見抜けなかった
   と言う点では,ありがちな「夢見る少女」的メンタリティを脱しきれなかったのでは
   ないだろうか.


小説の具体的な内容については次節から見ますが,私が読んでいて強く印象に残ったは敦の
人間としての未熟さと身勝手さです.女性に対する妙な傲慢さと無神経さ,と言い換えても
いいと思います.

★物語の読み解き(1)★

敦の性格が象徴的にわかるのが,プロポーズの一節です:

<引用>
・・・ソフトクリームの美味しいコンビニエンスストアを曲がったところで,どうして
だか結婚の話を持ち出してきたのだ.そろそろするべきだよというが,敦は経済的にまだ
無理だとやんわり先送りにした.
 その歳になって貯金がゼロなんてあっちゃんぐらいのもんだよね,と知恵子が笑う.
大丈夫.私が稼ぐから,あっちゃんはあっちゃんの夢を追いかければいいじゃない.
 かちんときた.
 敦はサンダルを奥までしっかり履いて,ずんずん夜道を歩いた.角を折れるときは直角
に曲がった.
<引用終わり>

「その歳になって貯金がゼロなんてあっちゃんぐらいのもんだよね」と笑ってくれ,
「ソフトクリームの美味しいコンビニの近所」でプロポーズしてくれる彼女の優しさ,
が多分カレにはわからない.「他の人からはダメ人間に見えるかもしれないけど,ちゃんと
ワタシは好きだから.安心して.あまり深く考えずに,一緒になって進んでみようよ.」
っていう陰のメッセージが全然読めてないんですよね.水城さんの言じゃないけど,
「佐藤って嫌な男だよなぁ」って感じです.まだ小説は始まったばっかりですが,
「あ,こりゃダメだー」って読んでて思いました.

★物語の読み解き(2)★
この作品で次に触れるとしたら,知恵子が「壊れてしまう」プロセスでしょう.
敦に感情移入をさせないように書いてるのでは?と思わせるぐらい非常に丁寧というか
ねちっこく書かれています.

敦が脚本のために頑張っていると信じ,精神的な苦労で円形脱毛症になっても行っていた
一つめの職場.その後自分の本来やりたいことに近い編集の職場に転職でき,しばらくは
非常に充実したが,人間関係がきっかけで辞めてしまう.ココで一度,知恵子の夢は潰える.
残ったのは敦の夢だけ.でも,肝心の敦はダメ人間でしかない.

彼女は仕事を辞める前に病院に通っていたようですが,「彼女が通っていた病院の先生に,
そこは突っ込んではいけません」と言われたから触れなかった,と本文にはある.しかし,
敦は結局,知恵子と正面から向き合おうとしたことが無かったのだろう.知恵子が仕事を
辞めてまもなく,経済的な理由もあるが,敦はアルバイトを増やす.知恵子の愚痴は
「心の風邪だと思って相手にしなかった」.知恵子からすると,「自分にとって本当に横に
いて欲しいときに,いてくれない人」だったのだろう.

そんなうちに,家に敦が友人を呼んで酒を飲む出来事を通じて,知恵子が敦の「人間として,
そして脚本家としての器の限界」を知ってしまう.知恵子は,敦がちゃんとした人と関わり
合いながら夢を追いかけていて欲しかったのだろう.そうでないと,ボロボロになった
過去の自分が無意味になる.だから,外で敦が飲んでくるというと,「アルバイト先の誰かと
飲むんじゃないの,いいね楽しくて」と嫌みっぽくなる.

知恵子は,おそらく敦たちの飲み会の末席にでも座って,「夢に向かってがむしゃらな人達
の世界」の持つ空気を吸いたかったのだろう.料理本から当日のレシピを眺め始める辺りで
それがわかります.

※個人的な見解ですが,連れ添う女性のこういった部分に「かわいさ」や「けなげさ」を
 感じて,愛おしく思えないぐらい感受性の鈍い奴はキライです(苦笑)

それが,ガサツで乱暴で無神経な「カンチガイ野郎」の集まりだったこと,敦もその一員に
過ぎないことを知って,絶望する.この下り,長くネチネチと書かれているので,ココって
場所をうまく引用できなくて残念ですが,関係がもう戻れなくなることを暗示している
シーンを引用すると・・・

<引用開始>
ヒステリーおこしてるんじゃねえよ.敦は知恵子に言い放った.クッションにうずくまる.
言葉が過ぎたかと思ったが,そうしたときに限って知恵子はさらに謝るのだ.ゴメンと
漏らしたまま,じっと座っていた.敦は恥ずかしさから寝返りを打てなくなった.ごめんねと
言われるほど怒ってはいなかったから.
<引用終わり>

ココですれ違いを直せないまま,別々に寝るようになってしまった,という点で決定的です.
こっちこそごめんねと言いながら知恵子に甘えてあげられる(=相手にも「一本とらせて」
あげられる)だけの男だと,関係が復元できるのですが,そうだったらもともとここまで
ダメ人間じゃないような気もします.

都合が悪いことや説明が面倒なことが起こると「べらんめい状態」で相手を威圧してしまう
敦と,それに対して「嵐が去るのを待つように」ゴメンナサイを繰り返して逃げ込む知恵子って,
一昔前のドラマやマンガに出てきた「亭主の暴挙とそれに耐え忍ぶ妻からなる崩壊家庭」
の絵そのものです.昔だとこういった家庭はいわゆる労働者階級の家庭に多いんだろう,
って勝手に思うわけですが,今だと夢追い型カンチガイ系フリーター夫婦にたくさんある
のでしょうか?

一昔前だと「言葉は勇ましいけど,中身は薄っぺら」な男って,ヤンキーの定番でした.
でも,彼らはそのうち歳とともに「オチツイて」手堅い現業系の仕事に就いていく,という
のがある種のステレオタイプなような気がします(社会学に詳しい人なら,コレがいわば,
日本型の『ハマータウンの野郎ども』であることがわかるはずです).それが今だと,
夢追い型カンチガイ系フリーターに見られるパターンとして描かれるようになります.

※余談ですが,こういったタイプの人間は,文系のうだつが上がらない大学院生や司法試験
 浪人にも割といそうです(苦笑)

★物語の読み解き(3)★
次に触れるとするなら,先に「冷却」が済んだ敦が,知恵子の冷却過程につきあって
あげられなかったシーンですね.コレも長いけど引用してみます.

<引用開始>
・・・アルバイトに疲れてアパートに戻ってくると,知恵子が台所のテーブルに座っていた.
ヘッドフォンを片耳にかけ,レコーダーに話しかけている.何をしているのかと聞くと,
さらりと笑った.アナウンスの勉強を始めたのだとか・・・(中略)・・・通信制の
アナウンス講座一式を頼んだらしく,アクセント辞典やレコーダー,ヘッドフォンだのマイク
だの,まとめて二十万近い出費がいったらしい.家でごろごろしているだけだとあっちゃんに
嫌われてしまうから,ワタシも生き甲斐みたいなの見つけようと思ってさ.知恵子はそう説明した.
 不気味に感じたのだ.まさかつきあい始めの頃にやっていたゲームをまだ続けているのか.
何か特別なことでもしていないと順位が下がるというのか.自分たちは二十代も半ばを
過ぎている.夢なんて大久保の排水溝に落っことした.新宿の路上で汗と一緒に流してしまった.
それでもその先には,案外,まっとうな幸せがあるような気もしてきている.
 むかむかとしてきた.
<引用終わり>

このあと夫婦ケンカシーンになるわけですが引用が長すぎるので略します.知恵子にとっての
敦は,「本当は脚本の勉強を続けたいんだけど,2人の生活もあるから,不本意ながら
バイトに頑張っている夢追い人」な訳です.

内心では「もはやそう言う時期は終わったかも・・・」と思っているかもしれないけど,
「そう思ってないとやってられない現実」があるわけです.だから,ケンカ中に「出口がない
出口がない」と言い続け,敦の胸の中で「あっちゃんがいるだけで私はぴりぴりする,
責められている気がする」と泣きます.

敦はとっくの昔にそんなものは「新宿の路上で汗と一緒に流してしまった」わけで,とっくに
夢の冷却は済んでいます.それでも週末に脚本を書いているのは趣味からなのかせめてもの
矜恃なのかはわかりませんが,10年後に「お父さんも昔はなー」って言うための準備期間
だったのかもしれません.いずれにせよ,目線は「その先の,案外,まっとうな幸せ」に
向いてしまっています.

敦は知恵子に素直にこのことを打ち明け,場合によっては土下座してでも理解を願うべき
だったのです.もしくは,知恵子の「アナウンス講座ごっこ」を生暖かく見守りつつ(ここ
ではわざと「生暖かく」と2ちゃんねる用語を使っています),徐々に「案外まっとうな幸せ」
の良さを浸透させてあげるべきだったのです.

でも,敦はそのいずれもせず,また逃げます.まっすぐに家に帰らなくなり,ファミレスで
知り合った美容師と浮気をするようになる.これ以外にも,敦はこの相手以外にも水城にも
何となく惹かれてるんですよね.本能的に女性に甘えるタイプの男性のようです.

・・・この作者,情けない男を本当にうまく書きますね(苦笑)
実際にこういう奴,いそうで怖いです.

※敦が水城に惹かれていることは,小さな量販店(偉そうなセクハラ仕入れ責任者)のシーン
 での水城の庇い方や,ネコの押し方(水城の尻を目指す)でわかります.

★物語の読み解き(4)★
知恵子は壊れていきながらも「自分をちゃんとみて」シグナルを出し続けるのに,逃げ続けます.
そのうち,敦の心にとってラストチャンスとも言える時期がやってきます.

<引用開始>
 そのうち敦の頭の中は,知恵子でいっぱいになってしまった.
 こう言うとおかしく聞こえるかもしれないが,そうだった.関係はこれまでになく最悪な
状態になっているのに,トラックに乗っていても,脚本を書いているときも,眠りに落ちる
までの間にも,彼女のことを考えるようになった.美容師と会っているときでさえ,どこかに
知恵子がいた.もちろん愛おしくて思い続けているのとも違うのだが,かといって日がな
憎んでいるのでもない.愛おしいと思うこともあれば憎らしいとも思い,あんないいことを
してくれた,あんな酷いことをしたなど,沢山の感情が彼女についてわき上がった.
心をかき乱された.
<引用終わり>

これって,もう一度やり直せる最後のチャンスにも,別れるための心の整理にも,いずれにも
成りうる状態だと思います.この状態では,敦は「離婚でもやり直しでもどっちでもいいから,
落ち着きたい」と思っていたはずです.離婚を願い出るシーンの直前に,敦側の自分勝手な
心の整理がある程度進んだことを暗示する記述があります:

<引用開始>
 今ここにいる二人(小山注:敦と美容師のこと)も,考えてみれば食い合わせの悪い二つ
の食材みたいなものだと,敦は思った.きっと悪くて美味いのだ.ここにはない魅惑の国の
味がする.
 明確に,離婚のことを考え始めた.
 その二文字を思いついた途端,心はすぐに追いついてきた.今の今までどうして気づか
なかったのかと,都合よく身体も順応した.
<引用終わり>

引用で分かるように,敦にとっての離婚も(美容師との)新しい生活も,全然地に足が
着いたものではありません.今が嫌で逃げ出したいから,魅惑の国の味を求めているのです.
そのことを見透かされて,敦は美容師にも振られます.

このことを示している記述が,水城と敦の会話にあります:

<引用開始>
「ところであんたって,美容師が好きになって別れたの.それとも美容師が居なくても知恵子
とはわかれたの」
 敦は少し考えた.相手が水城さんの場合は,本音を言ってみたい.それは多分,相手が
妻でないから,恋人でないからなのかもしれない.汚い部分もはき出したかった.
「……多分,美容師がいたからでしょうね」
「だったら,生活壊しても構わないぐらいに好きだと思った?」
「正直,知恵子とあんなふうじゃなかったら,好きになっていなかった気もします」
「馬鹿正直に言うなぁ.だからふられたのか」
<引用終わり>

★物語の読み解き(5)★
揺れていた心の振り子は,最終的に離婚側に振れます.離婚を願い出るきっかけとなる
シーンは,次のように始まります:

<引用開始>
 するとそのとき,何の脈絡もなしに人生を賭けてみたくなった.急に,天神様で未来を
決めてみたくなった.どちらにしようかな,天の神様の言うとおりと心の中で指を振って
みたら,知恵子で泊った.だから,ちょっと話があると言った.自分の部屋に誘う.自分の
部屋と言っても,別々に眠るようになってから,何となくそうなった場所に過ぎなかったが.
<引用終わり>

こうやって始まったにもかかわらず,完全に拗ねてしまって自分の感情を御しきれない知恵子
に向き合うことが出来ず,刃向かってくる犬に折檻を加えるように喧嘩をして,最後は次の
ようになります:

<引用開始>
・・・蛍光灯が一本切れたままであることに気がついた.息が整うにつれて,床が埃だらけ
なことにも気がついた.壁に何かを投げつけた跡があることにも気がついた.あちこち,
壊れている.とうの昔に壊れていたのに,ずっと気づかずにいた.
 そこで,発作的に離婚して下さいと言った.
 全部が俺の勝手だけど,どうか別れて下さい.知恵子はうずくまったまま,いつかは
言われると思っていたとつぶやいた.泣きはしなかった.もっと早く言ってくれれば
よかったと,なぜか安心したように告げる.
<引用終わり>

ここで,敦が知恵子の部屋(もしくはその入り口)で「やり直そう」と言う人間だったら,
もしかしたら関係が修復できたかもしれません(もっとも,そう言う人間だったら,ここ
まで男女関係をこじらせたりはしないでしょう).自分のテリトリーに呼びつけて復縁話
をする,というところに敦の「相手に歩み寄れない性格」が示されています.

★物語の読み解き(6)★
個人的にコメントをつけたい箇所の読み解きはあと一箇所.印鑑の部分です.

離婚が決まり,別居する前に敦と知恵子は最後のデートをします.そのデートは思いでの
地を巡っては「あのとき○○って言ってたけど,嫌だった」と言い合うという,じゃれてる
ようなイヤミを言い合うような,あまり感じいいとは思えないものですが,それは本題で
ないので置いておきます.その最後,別れる直前に入った食堂で,彼女に旧姓の印鑑セットを
プレゼントします.

<引用開始>
 それは敦が新宿で買った印鑑だった.離婚の段取りを決めている間,知恵子がふと漏ら
したのを覚えていたのだ.まさかこんなに早く別れるとは思ってもいなかったので,旧姓の
印鑑を捨ててしまったと.せめて実印だけは置いておいてもよかったな――知恵子への
ねじくれた思いがほどけかけている敦は,だったらプレゼントしてやろうと考えたのだった.
夏場の残業代を見込み,わざわざ開運印鑑とかいうのを買った.三本セットでいい値段がした.
<引用終わり>


おそらく,敦は離婚が決まって少しすっきりしたんでしょう.気持ちの整理がついて,
相手のことが「どーでもよくな」った結果,旧姓の印鑑を買う気にもなったんでしょう.
ただ,その動機は一つの理由では言い尽くせなくて,こんな感情が組み合わさったもの
ではないかと思います:

・世話になった知り合いが「ちょっと困ってる」のを手助けしてあげる,程度の軽い気持ち
・「コレで完全に他人だから」というメッセージを込めた,彼女への当てつけ
・でも,微妙に未練が残っているようないないような,自分でもよくわからない気持ち

何となくですけど,この印鑑を知恵子に渡したとき,カレは知恵子に泣いて欲しかったの
かな,と思います.「あっちゃん,最後までやさしい・・・」とか言わせて,優越感に
浸りたかったのではないかと.

だが,印鑑の能書きを勿体ぶって話しているうちに,知恵子に話を遮られてしまいます.

<引用開始>
・・・知恵子は先にありがとうと口に出した.
「でも,あっちゃんは最後まで意地悪だね.こんなときにふざけて」
 そう言って笑ったのだった.その日の気分を壊したくなかったので,敦も一緒に微笑んだ.
よかれと思い,真面目な気持ちで買ったものだったが,久しぶりのいい空気を台無しに
したくなかった.
<引用終わり>

このときの知恵子の発言にある優しさと少しの意地すら,敦は理解できませんでした.
おそらく,知恵子は先述したような敦の意図は全て分かっていたのでしょう.そして,彼の
希望する反応をとることを拒否した.その際に,受け取り自体を断る,という方法もあり
ました.そうせず,やんわりと拒絶するだけの優しさが彼女にはあったのです.

とは言うものの,彼女も最後に別れる前に少しだけ反撃をします:

<引用開始>
 券売機で切符を買うとき,十円が足りなかった.敦の財布には一万円が入っていて,
目の前の機械には投入できない.おたおたしていると,知恵子が脇から十円を入れてくれた.
離婚届を提出にいく駄賃だと言う.十円かよとふざけてみせたら,そうだよと知恵子が笑った.
その表情で一日をまとめた.
 最後に見た彼女の顔だった.
<引用終わり>

これは私には,常に上位に立とうとした彼へのちょっとした当てつけでもあり,最後にその
表情で別れることで反撃したように思えます.

▽社会科学者の視点から見た,人物描写の読み解き▽

コメントをつけたい箇所はまだまだありますが,とりあえずここまでで大体指摘できたと
思います.私が社会科学者の視点として人物描写の総括をするとするなら,以下のように
なるでしょうか:

1)敦の性格が類型的なぐらい「旧来型の男性的な価値観・世界観」の典型例

具体的には(最初に書いたことの繰り返しになりますが)次のような点です:

・恋人や妻に対して精神的優位に立ちたがる.茶化されたりからかわれたりするとすぐに
 気分を害してしまう点.
・面子にこだわり,本質をとることが出来ない.相手が拗ねた態度を取ったときに歩み寄れない.
・本当に重要なこと(離婚・浮気)を自分からちゃんと相手に言えない.

あと,上手く説明できないのですが,「女性側から嫌われる,ということを自覚できない
(どこかで相手がまだ好意を持っていると思ってしまう)」というのがあると思います.
軽く「今日みたいなこと(小山注:色々なわだかまりを吹っ切って二人でデートすること),
もう少し前からやってみたらよかったかな」と言って,「ただ半年ぐらい,離婚が遅く
なっただけだよ」と言われてしまうあたりはその典型です.


2)知恵子のような「夢を追いかける」タイプの女性の冷却方法の難しさ

敦のような能力不足にもかかわらず「実現する可能性が低い夢」を偉そうに語るのは,
男性にはよくあることでした.そういった人達は良くも悪くも,そのうち「落ち着いて」
フツーの人になるものです.そういった人は周囲にも沢山いるし,過去の事例も色々見て
きているはずです.そういった意味では,夢を「冷却」することは決して難しくないです.
男性が家計の大黒柱,という「昔ながらの規範意識」にとらわれていることも,それを
容易にしているでしょう.

だが,知恵子の場合はどうでしょう.結婚=退職=キャリアの断念となる時代は過去のこと
ですから,結婚は冷却の手段となりえません.「敦が夢を追うことを手助けしたい」という
知恵子の結婚を申し込むときの言葉も,昔は自分の夢を断念することと引き替えの発言でした.

知恵子にとって,結婚時に目指すべき目標は「二人それぞれの夢をともに実現する」こと
なのです.だから,大学卒業後にフリーターになった敦ととりあえず就職を決めてきた
自分をくらべて,就職「してしまった」自分の方がへりくだっていたりするのです.

そして,自分が人間関係トラブルで職場を辞め,生活を敦のアルバイトに依存するように
なったときに,精神を痛めてしまいます.「出口がない出口がない」と言い,「あっちゃんが
いるだけで私はぴりぴりする,責められている気がする」と泣きます.

もちろん,ショウビズ分野などでは過去から夢が叶わない事例は数多くありましたし,
1997年の男女雇用機会均等法以降はそれ以外の職業分野でもそういった事例が多数現れて
来ています.でも,まだまだ「落ち着き方の基本パターン」が確定していないようです.

※キャリア指向で30歳過ぎて独身の女性が自虐ネタに走る「負け犬の遠吠え」という本が
 ありますが,あれは最低限のキャリアを続けられてる,と言う意味では知恵子より恵ま
 れた立場です.

3)水城の「けむりづめ」の示唆とその哀しみ

この小説で,水城は敦の発言の聞き役,行動の評定者と言うだけでなく,「真実の愛を
求める求道者」という役割も担っています.

それが分かる点を2箇所指摘します:

・敦に「けむりづめ」の説明をしたあとに「あたしがそっくりなの.色んなものを
 なくしてなくして,それでも最後は勝つかもって夢見ながらやってるんだもん」
 と話すところ

・敦が自分の両親を「突然テレビに映った女の裸のように,家族みんなでなかったこと」
 にして家族を続けていたと言ったときに,それを「上手く収まっているのではなく,
 互いに嫌いな状態に慣れてしまっただけ」と一刀両断にするところ

水城は,「心のもっと先が欲しくなる」という発言をします.発言から引用すると

「そんな生やさしいもんじゃないよ.本気って,違う.その人を好きとか嫌いとかも
わからなくなる.ものすごく怒ってるかもしれなくてさ,相手の心までずたずたにして
やりたくなって.そう,だから命までって言ったのか.自分の生活なんてどうでもよく
なって,あたしもあいつも全部まとめて消えたっていいってぐらいの気持ちになる」

と言うことになります.

コレって,いわゆる「純愛」「真実の愛」を求めていると言う意味です.実際にこういった
相手が実際に居るのかについては分からないんですよね.彼女にはその意味での哀しみが
常につきまとっています.

コレについては書くと長くなるので,下のmixi日記のリンクを提示することでお茶を
濁させてください(^^;

非カタログスペック主義の恋愛=非確率論的恋愛についての雑感
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=285326059&owner_id=314710


○作品の総括○

最後に,作品の総括をしておきます.やはり,文藝春秋の目次や電車の中吊りにあった
「格差社会の底辺に生きる若者の仕事と離婚  フリーター文学の誕生!」
という煽り文句はオーバーすぎると思います.青年の挫折物語,というのはいつの時代にも
ありふれたモノだったはずです.

あえて現在的な問題を提示するなら,

1)女性も自己実現を目指そうとしているときの失敗談であること
2)社会内での競争の激化と大衆化の中で,女性に対して野卑な態度を取る男性が
  高学歴者にも増えている実態をキレイに描き出したこと

ということになるでしょうか.

個人的な感想としては,「ジェンダー研究・格差社会研究のための資料としていいかも」
と言うところでしょうか.

▽本の紹介▽
長くなってるので恐縮ですが,本を一冊だけ紹介して終わりたいと思います.

小杉礼子,『フリーターという生き方 』,勁草書房 ,2003年

労働政策・研究機構の研究者である著者が非正規雇用者=フリーターの増加をうけて,
数多くのフリーターにヒアリング調査をした結果を分析した本です.

著者はフリーターをモラトリアム型/夢追い型/やむを得ず型の3つに分けています.
この小説を読んで感じたのは,敦は「夢追い型のフリをしたモラトリアム型」で,知恵子は
本当に「夢追い型」だったのかな,ということでした.

(内容)
第1章 フリーターとは
第2章 就職できない
第3章 就職しない
第4章 大卒フリーターと正社員への移行
第5章 フリーターの仕事と職業能力
第6章 諸外国のフリーター
第7章 「学校から職業への移行」の変化
補論 フリーター時代への対応

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
(編集後記)
ずいぶん長いメルマガとなってしまいました(恐縮).申し訳ありません.
mixi日記で3回分の考察メモを用意していてそれに加筆したのが,長くなった原因です.
このあたりはmixiに考察を残しておくことの功罪が微妙です.

とは言うものの,文学をマジメに読む,と言う経験はコレまで無かったので,個人的には
非常に新鮮な体験でした.今後,自分の新しい一面が出てくると嬉しいですね.
メルマガ全文を読む
 

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