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メルマガ名
武道通信かわら版
発行周期
月2回
最終発行日
2017年11月20日
 
発行部数
980部
メルマガID
0000036568
形式
PC・携帯向け/テキスト形式
カテゴリ
スポーツ・アウトドア > 格闘技 > その他

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http://www.budotusin.net        東京都 国立市東3-4-8
 sugiyama@budotusin.net       杉山頴男(ひでお)事務所
                   042-580-6428 
////////////////////////////////////////////////////////////////


13年前の秋であった
兵頭二十八・著『あたらしい武士道』の発売予定を告げた
武道通信かわら版 10/25 2004 vol.107であった
で、13年×24号=312号。vol.107+312号
前号までの通算344号を419号に訂正
通算をどこかで間違えたとの確信はあった
たぶんこれが正解に近い
そんなこと、どうでもいい

目次にあった
3 武士・騎士・紳士《新連載》 ……山本伊左夫
この違いを知ると洋の東西が見える<一>

山本伊左夫さんが一足先に逝かれた
おのおの方、「合掌」

訃報を目にしたとき
唐突に晩秋の曲の歌詞が過ぎった
♪冗談だよと 笑ってほしい


    …………………………………………

1 お知らせ
2 北朝鮮の弱点を狙え! ……加藤 健
  ◎朝鮮総連破産が自民党で議論された! 前進!
3 英米の罠から目を醒ませ、日本人よ!
  ◎陸上自衛隊中央即応集団司令部に残る武窓の薫り
4 忙中閑あり  ……杉山頴男
  ◎山本伊左夫の武士論
     ──日本列島固有種[武士]を考究する
   

■お知らせ───────────────────────────

一、 兵頭二十八ネット私塾「読書余論」
   来年6月期からの配信から無料配信。有料配信は5月まで。
    (告知版)http://www.budotusin.net/kokuchi/minibbs.cgi
    *今月11月から有料までの「2018-5-25」配信号まで購読
     したいとの方は7ヵ月分500×7=3,500円でお申
     し込みください。
     また半年または1年期間の受講期限は無くします。
     1ヶ月500円の計算になります。1ヶ月分の購入も可。

    11月期(136 回)は11月25日配信 目次は告知版 
     読書余論バックナンバー  
     http://www.budotusin.net/yoron.html

     たちまち重版!
    『日本史の謎は地政学で解ける』(祥伝社)   
      「地政学」をとおして見ると、
        教科書の知識が「一本の線」でつながった!

   早くも4刷
    『東京と神戸に核ミサイルが落ちたとき所沢と大阪はどうなる』
      講談社プラスアルファ新書 
  


二、 ユネスコ世界の記憶の発表に対する声明

   声明原文:http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Mow_statement.pdf

   英訳文:http://www.sdh-fact.com/CL/Mow_statement_English.pdf

     「史実を世界に発信する会」




■北朝鮮の弱点を狙え! ご協力の呼びかけ《176》─────────

                         加藤 健

  ◎朝鮮総連破産が自民党で議論された! 前進!


★ 自民党会合で出る!

在宅ロビー活動にご参加いただいている皆様、朗報です! 8月から朝
鮮総連破産要請に取り組んできましたが、11月7日の自民党拉致問題対
策本部で実行を求める意見が出ました。夕刊フジのネット版ZAKZAKが報
じています。大きく前進しました!
http:// goo.gl/bteJms

取り上げてくださったのは衆議院議員の長尾たかし先生と参議院議員の
和田政宗先生、それから党の役職についている先生です。心から感謝申
し上げたいと思います。
朝鮮総連潰しは激烈な反撃が予想されます。よくぞ火中の栗を拾われた
と思います。いくら日本のためとはいえ、実際に手を出す政治家はまず
いないのが現実です。

さっそく御礼を述べるため、議員会館に長尾先生を訪ねました。長尾先
生からは凄まじい気迫を感じました。久々に覚悟の決まった男の顔を見
ました。ツイッターに写真を掲載しています。
http:// goo.gl/r2PvUt

和田政宗先生も訪ねました。先生は先の先を読み、朝鮮総連が実質的に
所有する資産を差押えるにはどうすればいいか、緻密に策を練っていま
した。独眼ではありませんが、凄い智将です。
http:// goo.gl/MDVo2j

もうひとかたの先生は党の役職に就かれているため、名前を出していい
のか現時点では分かりません。近く面会して謝意を伝える予定です。


★ 決死の反撃

破産は朝鮮総連にとって強制解体であり、組織の死を意味しますので、
これから先生方に猛烈な圧力がかかるはずです。特に破産法違反で逮捕
が予想される幹部は、死に物狂いで反撃してくるでしょう。

破産法では説明拒絶や虚偽説明、重要財産開示拒絶、隠蔽、職務妨害等
の犯罪に懲役刑が定められています。破産手続開始決定(旧法の破産宣
告)のあと裁判所が選任した破産管財人が資産を調査しますが、黙秘権
がある警察・検察の取り調べと違い、破産団体役員には質問に正直に答
える義務があります。
例えば破産管財人が、不明朗なカネの流れについて幹部に質問をしたと
します。「そんなこと答えられるか、バカ野郎。共和国の国家機密だ」
と言った瞬間、説明拒絶で破産法違反となります。最高で3年の懲役刑
です。「じゃあなんか言えばいいんだろ。宇宙人にあげたんだよ」と言
えば、今度は虚偽説明の罪となります。正直に答えるか、逮捕されるか
のどちらかなのです。そして正直に答えることは、北朝鮮から反逆者の
烙印を押されることを意味します。これは本当に厳しい!

過去の家宅捜索のとき、朝鮮総連は何百人もの構成員を動員し、法を執
行する我が国の警察官に「アホ、ボケ、ドロボー、シバくぞ」等のヘイ
トスピーチを浴びせて威迫し、業務を妨害しています。下記動画をご覧
いただくと分かるとおり、暴動寸前です。
https://youtu.be/d2jb0r_aNPw

家宅捜索でこれです。破産となったらこんな程度ではすみません。なに
がなんでも破産申立てを阻止せよと、組織の総力を挙げて向ってくるは
ずです。

繰り返しになりますが、3人の先生方はよくぞ覚悟を決められたと思い
ます。総連潰しは票にも政治資金にもならない上、たいへんな危険を伴
います。むろん避けたところで、誰からも非難されません。実際ほとん
ど全部の議員はこんなことに手を出しません。以前書いたように、いま
だに利権目当てで朝鮮総連に接近する議員すらいるのです。

吉田松陰の歌を思い出しました。「かくすればかくなるものと知りなが
らやむにやまれぬ大和魂」
国会に国士がいました。


★ 安倍総理に要請メールを!

ここで皆様にお願いがあります。首相官邸ホームページ「ご意見募集」
から、「朝鮮総連の破産申立てをしてください!」と総理宛にメールを
お送りいただきたいのです。立ち上がってくださった先生方を、国民世
論で援護射撃する必要があります。
http://www.kantei.go.jp/jp/iken.html
同様の意見を内閣官房、財務省、金融庁、外務省にもお送りください。
各府省に一斉送信できるページがあります。
https://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose

時運が到来したようです。我が国に多大な害悪をもたらしてきた朝鮮総
連を、いまこそ解体しましょう!



■英米の罠から目を醒ませ、日本人よ! 《59》──────────

  鎖帷子剣士

◎陸上自衛隊中央即応集団司令部に残る武窓の薫り
     ――大日本帝国陸軍士官学校・栄光の残影は消えず――

★誰か知ろう、小田急線「相武台前」駅こそ
           旧「士官学校前」駅であったことを

 筆者は、先週御縁あって神奈川県座間市にある陸上自衛隊中央即応集
団司令部・米軍キャンプ座間に残る、旧陸軍士官学校での陸士同期生、
およびその二世を含む、「偕行社」会員よりなる合同同期会に参列させ
て頂きました。
 「偕行社」とは、旧海軍士官たちの親睦クラブが「水交社」(君子の
交わりは水の如し)ならば、旧陸軍将校たちの親睦クラブが「偕行社」
(……王はいくさを興された、鎧や武器を整えて、君と一緒にさあ行こ
う……古代・秦の詩)であり、全国組織の両親睦団体は戦後、規模こそ
縮小されましたが、都内ですと「水交社」は原宿に、「偕行社」は市ヶ
谷にあり、会員は自衛官およびそのOB/OGと有志の方たちによって、
現在も引き継がれています。

 当日は、相武台駅前集合、総勢17人程度の小集団ですが自衛隊側が
手配して下さったマイクロバスに乗って約10分、キャンプ座間に移動。
自衛隊基地とはいえ、殆どの敷地は米軍が占めており、事前申請と共
に、当日は免許証あるいはパスポートの提示が必要なのです。
 ゲートでは腰に自動拳銃を吊った警備の日本人雇員が通行許可証と顔
写真等をチェックしますが、態度は非常にソフトであり、思わずハワイ
出身の日系人かと錯覚を覚えます。
 戦前は、土曜の午後や日曜祭日は、カーキ色の軍服に帯剣の生徒や将
校集団で、駅頭も道路も溢れかえったことでしょう。
 日曜夕方の帰校時間ともなれば、長いカーキ色の糸のような列が、小
田急線座間駅から校門まで続いたそうです。

 旧陸軍における現役将校への道は少々複雑で、大きく分けると、陸軍
幼年学校出身者と、旧制中学の4・5年生から試験選抜された生徒たち
が合流する形で、「陸軍予科士官学校」で約2年の教育課程の後、航空
にまわる者は、埼玉県豊岡の「陸軍航空士官学校」で約2年4カ月の課
程へ、その他は、まず「隊付き勤務」を約8カ月経験した後、本科であ
る「陸軍士官学校」へ進み約1年8カ月、その後、「航空士官学校」卒
業者も同様に、「見習士官」として約4カ月の実習の後、やっと「兵科
少尉」に任官します。
 
 陸士も航士も共に「予科士官学校」入校以来4年8カ月、「幼年学校」
からでは更に3年、実に7年8カ月を要しています。
 一般に、幼年学校3年の課程は殆んど普通学中心であり、12~15歳の
少年たちに対して偏狭な軍事学のみを教育している訳ではなく、教頭は
学校教育の専門家である校長経験者等が担当しています。
 幼年学校も含み、陸士、海軍兵学校・機関学校、各帝国大学は戦前の
難関校であり、特に陸士、海兵は何十倍の競争率であり、若者たちの憧
れの的だったのです。

 明治の建軍以来、幾たびかの改正を経て、教育システムも変化して行く
のですが、ここ座間に「陸軍士官学校」の「本科」が移転してきたのは、
昭和12年、その結果、市ヶ谷校舎は「陸軍予科士官学校」になりました
が、昭和6年の「満州事変」勃発以来、戦局が拡大するにつれ指揮官の
養成が急がれ、だんだんと市ヶ谷も手狭となり、埼玉県の朝霞に移転しま
した。

 ここ座間の「陸軍士官学校」は神奈川県の相模原にあるため「相武台」、
埼玉県豊岡の「陸軍航空士官学校」を「修武台」、朝霞の「陸軍予科士官
学校」を「振武台」、市ヶ谷は「市ヶ谷台」と呼びます。
 前置きはこの位にして、米軍キャンプ・座間のゲートから進入したバス
は、巨大な石の記念碑まで進みます。
 記念碑は、優に大人の身長の2倍位の高さがあり、第50期の卒業演習
に行幸された昭和天皇により命名された、「相武臺」の文字が大きく刻ま
れています。
 
 石碑前に張られた天幕の下、我々17名は「陸軍士官学校校歌」を歌いま
すが、大正10年制定のこの曲は、歌詞は異なりますが、現在「航空自衛隊
幹部候補生学校校歌」として歌い継がれています。
 参加の士官学校卒業生たちもすでに90歳を超え、往年の声量はありませ
んから、カラオケで鍛えた我々二世の60代が頑張らないといけません。

 その後、バスは自衛隊基地内の旧軍資料館に回ります。
 小規模な資料館であり、展示品も多くはありませんが、そのうち展示物も
増し、規模の拡大が筆者には予想されます。
 それは、「陸上自衛隊即応集団」とは、精鋭の空挺団、ヘリコプター団等、
各種専門的機能を有する部隊の運用を一元化する「司令部」が、従来朝霞に
在ったのですが、ここ座間に移動してきました。
 ゲリラや特殊部隊による攻撃等の各種の事態に対処するための指揮司令部
であり、厚木、相模原、町田近辺の住民にとっても心強い集団司令部が引っ
越してきたと思えましょう。

★??遠き祖國の若き男よ強く逞しく、朗らかであれ
   なつかしい遠い祖國の若き乙女たちよ清く美しく、健康であれ??

 それよりも、旧帝国陸軍の将校養成の魂の土地であり、その大部分の敷地
が米軍に占有されたままでいることは、日本國民の民族自立の精神にとって
決して良いわけがありません。ましてや第一線で勤務する自衛官にとっては
なおさらのことです。たとえ「同盟国」であってもです。
 「陸軍士官学校予科」では現在の大学の一般教養に該当する普通学の学び
とともに軍事も学びますが、「予科茶目(ちゃめ)」ともいわれており、軍
人としての大人の世界の始まりが「本科」であり、訓練とりわけ歩兵科のそ
れは、猛烈をもってとどろき渡っていたと語り継がれています。

 30キロに及ぶ完全軍装の武器、弾薬、装具、食料、水筒等々を身に着け
て、半日ないし一日をぶっとおしで演習します。この装備で相武台から南西
に、相模川鉄橋に向かって十数キロの道のりを走りに走る。鉄橋を確保した
ところで演習は「状況終わり」にはならない、さらに敵を急迫し厚木の市街
をこえ、伊勢原に向かい、やっと「状況終わり」。
 だが、帰りはまた士官学校校門まで20キロほどの道のりを、駆け足行軍
であり、これを真夏の炎天下に実施するのです。

 このような体力は、予科時代からの積み重ねの成果であり、部下を率いる
将校として、「落伍」という軍人最大の不名誉を誰もが嫌い、ひたすら厳し
い演習について行こうとするのです。部下に対する精神教育は、「率先垂範」
が重要であり、陸海軍をとわず、日本軍の訓練、教育関係の令達や教育書に
必ず見られるのが「率先垂範」の語であり、「言葉百よりも幹部が一回手本
を示してみせることの方が重要であり、そのために幹部は、常に自己修養、
研鑚を、心がけねばならない」という意味の表現で説明されています。
 日清、日露の戦争の体験が、この説明になっているのであって、現在の自
衛隊にも受け継がれていると思います。

 日本の尉官級の軍人は、諸外国に比べて決して劣っていなかった。責任感
や勇気のような将校に必要な徳目は十分に身に着けており、戦闘技術にも優
れていたのです。戦史をひもといて見ると、日本の将校が、劣勢な兵力と装
備で、米軍と互角以上に戦っているのがよくわかります。
 中川大佐の「ペリュリュー島の戦い」、栗林中将の「硫黄島の戦い」……
このような軍事スペシャリストを養成したのが、将校養成の諸学校であり、
「相武臺」もそうだったのです。
 戦場で、陸士出身の将校と学徒動員された将校がいた場合には、一般的に
兵卒は自然に陸士出身者の下に集まったといわれていますが、やはり軍事ス
ペシャリストとしての教育を受けただけのことはあったのです。
 歩兵の少尉として任官すれば、一個小隊約40人の命を預かります。
 「勉強せんと、兵隊を無駄に殺すことになるぞ。これは最大の不忠じゃ…
 …」、彼らはそのように自覚して訓練に励んだのです。

 相武台の巨大な石碑を囲むようにして、昭和12年から20年の終戦に至る
までの、各期本科生、少尉候補者学生、将校学生の記念碑が、まるで墓石の
ごとくに林立しています。この8年間で相武台を卒業した地上兵科10,680
名が偕行社に記録されています。
 学校敷地内には鉄筋コンクリート造りの天皇陛下用防空壕がありますが、
お使いになることはありませんでした。
 敷地内の小高い林の中に、石段を上がり石鳥居が復元されています。
 ここは、「雄健神社(おたけびじんじゃ)」が在った跡で、御祭神は天照
大神、鹿島、香取の両神に大国主の神、明治天皇、そして國に命を奉げた同
窓生の霊魂がお祭りされています。
 出雲の國譲りの神々に「神武不殺」の理念が、明治天皇に「建軍の精神」
の護持が、英霊各位に、鎮魂の思いが込められている様子です。

 晩秋の晴れ野には、間近く大山と丹沢の山々が白雲の下、青々と連なって
います。 基地内を渡る風に、数千の若人たちの雄叫びが、遠く秘かに聞こ
えてくるようです。
 以下の文を読んで下さい。
 
 『もし玉砕して、そのことによって祖國のひとたちが、すこしでも生を楽
しむことができれば、祖國の國威が、すこしでも強く輝くことができればと
せつに祈るのみである。遠い祖國の若き男よ強く逞しく、朗らかであれ。
 なつかしい遠い祖國の若き乙女たちよ清く美しく、健康であれ』
                 ――玉砕せる一兵士の遺書より???




■忙中閑あり《366》───────────────────────

      杉山頴男

 ◎山本伊左夫の武士論
    ──日本列島固有種[武士]を考究する

 拙著『使ってみたい武士に作法』二十一節末尾にこうある。
《さむらいは、対面して名を呼ぶとき、貴公とか貴殿とかの人称代名詞
で呼ぶことを嫌った。本人が目の前にいるのだからとの考えだ。自分の
人称代名詞も同じ。目の前の者に拙者、わしなどは禁句とした。「拙者、
木全{きまた}とだけ名乗らせていただく」とはいわない。》

 武士は面と向かって話している者に「拙者は……」との一人称はつか
わない。そう教わったのも山本伊左夫さんの「武士・騎士・紳士」から
であった。
 武士の実像の輪郭が見えた気がした。見えていなかった武士が見えて
きたが気がした。武士語に対語で「Iam 」はなかった。騎士の<自
我>は武士にはなかった。

 半年前ごろか。虫の知らせであったろうか。メールでなく山本宅に電
話した。たまたま入院先の病院から一時、帰宅されていた。
 用事があっての電話でない。とっさに電話口でこう云った。
 武士は面と向かって話している者に「拙者は……」とは云いませんね。
 話し出したら止まらない、矍鑠{かくしゃく}たる声でない声で「そ
う」とだけ答えられた。弟子が師に問うた最後の質問であり、答だった。
 
 「武士・騎士・紳士――この違いを知ると洋の東西が見える」の<一>
と<二>のはじまりを読んでいただこう。良質の論説は、良質のシナリオ
ははじめに真髄あり。

vol.107
■「武士・騎士・紳士」
 この違いを知ると洋の東西が見える。《一》―――――――――――
               
 近来、武士道論がようやく盛んとなりつつあり、喜ばしいことである。
 一方でかえって誤解や思い込みに基づく論議が横行しているのも事実
で、逆に武士道の意味を結果的に損なう恐れが出てきているが、これら
は「武士道論」が盛行する時期にはかならずつきまとう現象である。
 ここで武士と騎士はどの点が類似しどこが異なっていたかを考える前
に、まずそれらは歴史上の実存在であり現象であって、決して理念や空
想のうえに描かれた存在ではないという至極あたりまえのことをもうい
ちど念頭に刻んで置く必要がある。

(1)武士も騎士も時代の必要の産物であった。
 
 まず第一に武士も騎士も、またその制度も当時の社会、経済、生活な
どの状況の中の必要性から発生したものであったことを念頭に置かなけ
ればならない。
 おおよそ歴史上の現象でこの原則に基づかない存在や現象はあり得な
いといっていい。つまり理想理念、あるいは神のごとき正義のためだけ
にみずらを犠牲にすることを目標として忽然と現れる人間あるいは組織
というものはまず原則あり得ない。必ず利益、より大きな利益の追求に
向けた動機がすべての人間行動の基本に存在する。
 もちろんそれらが短絡的、直接的な表現しか取れないのは下等動物で
あって、少なくとも哺乳類になると集団で狩をするという「他者に協力
する」という「ソン」を通じてより大きな収穫を目指すくらいのことは
本能的に体得している。
 恐らくはこの「社会適応行動」がより高度にルーティン化されあるい
は教訓化されて行く過程のなかで、「経験則」が「術」を「道」へと磨
き上げるのである。
 武士の「戦闘管理術」が「武士道」に進化するのもこの道程によって
いる。 
 日本の場合「一党の信頼」をかちえておくことが勝利を獲得するため
には絶対第一要件であるという状況があったがゆえに、「理想の武士像」
とは一党部下から見てまさに神のごとき勇敢・無私・自他に公平・信義・
誠実・知謀と言った要素の具現が理想とされるようになっていった。
 しかしそれは冒頭の原則を決して外したものではないということを念
頭しておかなければ「武士」とは実に空想的な狂信者としてしかとらえ
得なくなるであろう。
 言葉を換えれば一党部下たちにとって神のごとき存在であっても、一
たび外側から見れば「なんでもあり」、無いのは倫理と信義だけという
悪人そのものの顔貌を見せている例は枚挙に暇がないというよりも至極
当然のことであった。
 「悪党」という言葉は彼等の姿を描いたのが源であるが、当時の言葉
の用法として「悪い」とは「強い」と言う意味をも兼ねた言葉であり、
「悪人」と呼ばれることは恥どころか一種の名誉ですらあったという事
情も念頭に置いておきたい。
 「武士」を考えるうえでもっともあやうい第一点はここのところで、
武士の心映えを継ぐということはこれらの原点をよく理解するというこ
とから始めなければならない。

 次号。vol.108
(2)何かに依存しては武は成立できない

 『ワイのとこかて先祖は武士やデェ』『なんやて。オン(俺)のトコ
かておさむらいやデ』
 この二つの台詞はかって筆者が実際に耳にして心寒い思いをした経験
のものである。好悪は言うまでもあるまいが、少し思いを巡らして頂け
ば冒頭の話からだけでもどこがおかしいかたちどころにお判りと思う。
 まず第一に先祖が実際に武士であったかどうかは本人の人格とは何ら
かかわりがない。武士の徳にせよ能力にせよ、戦闘者としてそれは個の
なかで個の努力によって確立し完結しているはずのものだからである。
 それでも武士の風儀を残している家庭・人間と言うのは確かに存在す
るけれども、それは先天的優越性等ではなく、精神の具現である礼節、
行儀、考え方、挙止動作等に幼いころから注意深い教育がされてきた結
果である。あえて家柄を言うなればそれがその家のいわば(伝統)に支
えられているということはままあることである。
 (家柄がよい)ということは実にそういうことで系図に何が書いてあ
るかはあくまでオマケである。先祖の出自功績が立派だから自分も優位
に立つべき人間なのだと言う考え方は、先祖に(依存)して自分を飾ろ
うという意識の現れである。
(社会階級先天優越思想)とでも言うべきもので、歴史を見ると我国で
はこの階級制度の発達が極めて薄弱であり、とくに状況が大きく動いた
時期においてその傾向が著しい。
 まず武士の成り立ちと発展には絶対的な階級制度などは根本のところ
で全く相いれない考え方である。戦国武士のパワーも、また逆境になる
と強さを発揮してきた我が国の社会の力も、そのあたりに源泉がありそ
うである。
       ………… ………… …………

 《逆境になると強さを発揮してきた我が国の社会の力》がエセ平等主
義で衰退しつづける。非平等を「死ね」と居直る歪さを生む。

 文明史にみるごとく日本列島は奴隷制度が<極めて薄弱>であった。
日本列島固有人種「武士」が立ち現れた大きな因である。
 武士の道を探る旅に出てから二十年。先達の教えを乞いながら、いま
ある地平に見えるのは「武士の心映え」

 《武士は時代の必要産物であった》。武器の日本刀も同じように合戦
の移ろいで姿見は変わる。が、変わらぬものがある。エートスがある。
 撃剣稽古の折、刃風の一陣の風に「潔さ」が映った。
「武士の心映え」は「潔さ」。
 武士のエートス。人はみな死ぬ。それ以上の平等はいらぬ「潔さ」。

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