医療と仏教の協力関係をめざして

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メルマガ名
医療と仏教の協力関係をめざして
発行周期
月刊
最終発行日
2017年10月05日
 
発行部数
211部
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0000093340
形式
PC・携帯向け/テキスト形式
カテゴリ
生活情報 > こころ > その他

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メールマガジン最新号

御案内 2017/10 (B.E. Buddhist Era,仏暦2561年)  

歎異抄第2章に「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべ

からず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導

の御釈まことならば、法然の仰せ、そらごとならんや。法然の仰せまことならば、

親鸞が申す旨、またもってむなしかるべからず候か」 の文章があります。



仏教の師は、「弥陀の本願まことにおわしまさば、」を最初は「弥陀の本願ま

ことにおわします、されば、」と講義をされていました。その心は、「弥陀の本願

まことにおわします」というのは原点だと思っていたし、原点であり、それは動か

せないと考えていた、といわれます。

その後、ある人から「仮定の表現ではないか」と質問をされて、考えてみられ

たという。その後、藤秀翠先生が一人、「もし仮に弥陀の本願がまことにおわし

ましたならば釈尊の説教が虚言のはずはない」とされているの気付かれたそう

です。

この問答は、はるばる関東から京都の親鸞聖人を訪ねてきて問うている人へ

の応答であります。関東の人は「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべいと

いう念仏の道が本当かどうか」に迷っていたのです。親鸞の長男、善鸞が言う、

「そういうのは間違い、18願はしぼんだ花だ。もう少し正しい教えがある」、と、言

うことがあって、関東のお弟子の人たちに混乱が起こっていたのです。

そこで親鸞聖人が「皆さん、迷ってはいけません、弥陀の本願はまことにおわ

します。これだけは動かせないのじゃ」と言ったら、みんなは頭を下げて、そうだ、

やっぱりそうだったのかと言って、表面上はめでたし、めでたしと納得することに

なるであろう。 しかしながら、その結果、親鸞さんの言葉にぶら下がる人が出

てくるであろう。我々は権威や、尊敬する人の言葉に従いやすいということがあ

ります。

その後、師は肯定ではなく、仮定であろうと受け取り方を変更されました。そし

て弥陀の本願がまことかどうかは、私たち一人ひとりが確認しなければならない

課題なのだ、と講義されるようになったのです。

「念仏成仏これ真宗」というのは、私たちが断定的にそれを肯定し、その通り

を信じ込むことが浄土真宗ではない。浄土はまだ仮定だ。これを本当に頂かな

ければならない、と教えていただきました。



上記の事を考えるのに参考にしていただく文章を添えます。『偽物である自分

に気付く』



(「仏教はなぜ真実と言えるのか? 」雑誌「在家仏教」2006年11月号掲載の私

の講演録より、一部修正)



少し前にネパールで偽一万円札が見つかったというニュースがありました。

その報道によれば、 ネパールの人たちは本物の日本の一万円札を知らないか

ら、 それが偽札かどうかがはっきりしないのだ、 と言っていました。 本物があっ

て初めて偽札が分かるわけです。 ですから本物が分からない人に偽札なんて

分かるはずないのです。

私は仏教をいただく時に、「仏教はなぜ真実と言えるのか?」 ということの一

つの納得のしかた、 うなずきとして、 この私が偽物であることに気づかせるもの

が、 本物だと思うわけです。

私はこれまで科学的合理主義思考を拠りどころにして「みんなから善い人間

だと思われたい。 悪い人間だと思われたくない。 出来るだけ損をしないように、

得になるように。 出来るだけ負けにならないように、 勝ちの方に」 と言うように

一生懸命分別して社会生活をしてきました。

しかし、それを作家の高史明先生は「対象化する知恵は迷いである」 「わた

したちは生きていると思っていますけれども、 その偽の知恵に、 真実の生のあ

りようを見失っているわけです。 ……死んでいるということがわからないのです

から、 生きているということがわかるはずがありません。」 と教えてくれています

(『在家佛教』 2002年12月号 「いま、 真実のいのちを深く頂く」)。



その言葉によって、私の偽の姿を言い当てられるわけです。 そして地獄、 餓

鬼、 畜生を百年生きても、 お念仏の世界が分からなくて百年生きても、 本当の

お念仏の世界が分かって一日生きることに比べたら大したことないのですよ、と

おっしゃるのです。

私たちの生きているいのちは、生まれてから死ぬという有限のいのちを生き

ています。 キリスト教で言う 「生きているうちに死んだ人は死ぬ時に死なない」

という言葉は、 仏教で言うならば、 有限のいのちを生きていた者が、 無量寿の

世界に通じる世界を持ち、「仏のいのち」という世界に触れる時に、死を超える世

界を頂く。 ですから 「百年生きるに勝る一日」 とは、 今、今日、ここに仏様のい

のちと通じる世界を頂いた者は、 今、今日、ここで質的な永遠という世界を生き

る存在たらしめられるのです。

「念仏申さんと思い立つ心の発る時すなわち摂取不捨の利益にあずけしめた

もうなり」 (『歎異抄』第一章) というのは、 永遠という世界を今、今日、ここで頂く

という世界があるのだということです。

そうしますと、百年生きるに勝る一日、 今、 今日という世界を、 私たちは今、

今日、ここで頂く、そういう世界が、仏教の信心とか悟りの世界なのでありましょう。

真なるものが実(じつ)になる

本物の仏教に出会うことによって、私の偽物の姿を気づかされます。 もし気

づかなかったならば、勝った負けた、損だ得だ、善だ悪だと振り回されて、この世

間の表層をのたうち回るしかなかったでしょう。 仏教ではこれを空過流転と呼ぶ

のです。

空過流転しかない生き方をしていた者が、仏法に出会うことによって本当に

実(みの)りある人生を今、生きつつありますといった時に、実りあるとは 「ここに

実っている、知足という心です」 ということです。 真なるものが実となったという

ことで、 真実の教えであったと言えるのです。

私たちにはどうしても「あなたは仏教が分かっていますね」 とか 「真如を頂

いていますね」 などと、権威付けしてもらいたい一面があります。しかし仏教では

誰もお墨付きをくれません。 これは自分が自分の人生の中で 「本当に実りある

人生であった。 よかった」 と本当にうなずけていけるかどうかにかかっているわ

けです。

大無量寿経で「十方衆生よ」 と言って、 「皆さん方」 という言い方をされてお

りますが、 頂く側はすべて私一人のためです。 「親鸞一人がためなりけり」 で

あったのです。 自分が出会うことによって 「本当に良かったなあ」 と言って

ほのぼのと生きてゆける、 そういう世界があった時に、真なるものが実となったと

言って私たちは喜んで生きてゆけるのではないでしょうか。



私たち一人ひとりが自分の人生の中で仏教に出遇うによって、空過流転を超

えて 「実りある人生であった」 と言って生きているか、 一人ひとりが、仏教が真

実かどうかの証明をしてゆかざるを得ないわけです。 誰もお墨付けや保証をし

てくれません。 自分の人生で本当に「良かった、 出遇えて良かった、 お念仏一

つで事足りた」と頂けることが、 私たち一人ひとりに課せられた使命・仕事では

ないかと思うのです。

「弥陀の本願まことにおわします」ということを私たちは自分の人生の歩みの

中で実感することが仏の心(浄土)に触れることになるのでしょう。「人間として生

れてよかった。生きてきてよかった、南無阿弥陀仏」は仏の世界の味わいの表

現ということができます。



註;仏教の言う十悪。身による悪(殺生 生きものの生命を奪う。偸盗 与えられ

ていない他人の財物を取る。邪婬)口による悪(妄語 嘘をつく。綺語 無益なこ

とを言う。おべんちゃらを言う。悪口 他人を傷つける言葉。両舌 他人の仲を

裂く言葉)。意(心)による悪 (慳貪 財物などをむさぼり求める。 瞋恚 いかり

憎む。 邪見 誤った見解)。


平成29年11月(第357回目)の例会は下記の如く行います。

日時:11月20日(月)、午後8時から9時30分まで 講師:田畑正久、

場所:宇佐市下高家1014番地 円徳寺電話0978-32-1128 会費:500円 

次回: 12月18日(月)、1月15日(月)、主催:歎異抄に聞く会(高家)



平成29年11月(第162回)の例会として下記の如く開催します。

場所: 中津市永添1207  正行寺  電話:0979-22-2304

日時:11月27日(月)、午後7時30分より9時まで 講師:田畑正久、

次回: 12月27日(水)、1月29日(月)、正信偈に学ぶ会(正行寺)



平成29年11月の例会は下記の如く行います。

場所:別府市南的ヶ浜町1-19 善正寺 電話;0977-22-3871

日時:11月7日(火)、午後6時50分から8時30分まで 講師:田畑正久

次回; 12月12日(火)、1月12日(金)、主催:歎異抄に聞く会(別府市)



平成29年11月の例会を下記の如く行います。

日時:11月6日(月)、午後6時50分―8時30分まで 講師:田畑正久,

場所: 法専寺、大分市 勢家町3丁目1-34 電話;097-534-1367 会費:500円

次回; 12月4日(月)、1月8日(月)、主催:正信偈に学ぶ会(大分市)
田畑正久
mtabata●cronos.ocn.ne.jp (自宅)
mtabata●sato2hp.or.jp (病院)
m-tabata●let.ryukoku.ac.jp (大学)
http://www13.plala.or.jp/tannisho/(HP)
電話 : 0978-32-2100,FAX:32-7287 (病院)
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