精神科治療の鬼 ~熊木徹夫・水谷雅信の臨床哲学・心療対話~

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中公新書「精神科医になる」、日本評論社『官能的評価』シリーズ著者である精神科医熊木徹夫(あいち熊木クリニック院長)と、精神科医療について独特の臨床哲学をもつ精神科医水谷雅信(水谷心療内科院長)のコラボによって成り立つ精神科治療論・臨床随想。統合失調症、強迫性障害、発達障害、自閉症、ADHD、性の悩み、パニック障害、社交不安障害(SAD)、うつ病、躁うつ病、不眠症、性同一性障害、境界性人格障害、摂食障害(過食症・拒食症)、パチンコ(ギャンブル)依存症、買い物依存症、神経症、心身症、線維筋痛症など縦横無尽に論じます。ときに、音声・映像も配信します。

 

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新年ごあいさつ
「よろづ相談医師としての宿命」
「あいち熊木クリニック開業10周年。開業までと、日進市竹ノ山のこと」

~精神科治療の鬼~
2017.1.1.

http://www.dr-kumaki.net/
http://www.dr-mizutani.jp/

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<よろづ相談医師としての宿命>


みなさま、明けましておめでとうございます。水谷です。


今年は私の干支の酉年で、年男となりました。

30年前の私は、この48歳になる年を一つの目標に思っていました。

この年まで生きていれば何ができているか、どんな顔をしているか、
それが自分の人生を一番表現している、そんな夢想をしていました。


当時はまだ医学部に入るつもりもなく、別の進路を考えていました。

翌年に急きょ進路変更して医学部に入学した時は外科志望でした。

それが、熊木先生の影響もあって精神科を選んだものの、
若気の勢いで名古屋を離れて神戸大学に進み、
神戸大学で学び続ける予定だったのが急に石垣島に・・・と進み、
ついには多治見市に開業して早10年、という展開。

何か一つのことを志して一つの場所で「一所懸命」になる、
という古風な生き方ではなかったように振り返ります。


場当たり的な生き方、とも言えますが、
自分では、ずっと一貫して「現場主義」だったと思います。

医者たるもの、目の前の患者さんを治してなんぼの世界、
医療に関することなら何を尋ねられても答えることができて当たり前、
という理想だけは持ち続けて仕事をしてきた、
と振り返って思います。


現場主義者は、どうしても「よろづ相談」「御用聞き」的になります。

今の私は、専門はもちろん精神疾患なのですが、
関連する心身症(過敏性腸症、アトピー性皮膚炎、喘息など)に限らず、
抗がん剤治療、歯科治療、整形外科治療など、専門外についても
様々な問題について相談を受けています。

それだけでなく、嫁姑問題、転職、アルバイトで何をするべきか、
離婚すべきかどうか、相続問題をどうするか、
宗教が違う相手との結婚をどうしたらいいか、
占いの結果をどう受け取るべきか、などなど、
精神科心療内科と他の医療や福祉関係の境界分野どころか、
それを大きく超えた相談を受けるので、私の知識を超えるわけですが、
そこは自分がよく知る専門家にうまく紹介・相談するなどして、
なんとか上手くやっているつもりです。


思えば私は小さい時に、
「よろづ相談」を引き受ける人に引きつけられたと思います。

僕が住んでいた下町の米屋さんは、米に限らず何でも扱っていました。

餅は当然のこと、ジュースやお菓子、さらには灯油の配達もしながら、
あちこちの家で御用聞きをしていました。

米屋さんは学校の先生のこともよく知っており、
先生に虐げられていた子どもや親の相談に乗りアドバイスしていたし
(当時の先生は今と違って絶対の権威であり、
親や児童が学校にクレームするなんてことはできない時代でした)、
学区を越えて越境入学したいという人に対しては
自分の店舗兼自宅の住所貸しまでしていました。

借金や交通事故の示談の相談など、自分でわからないことがあれば、
自分の知り合いを紹介する、というふうです。

そんな米屋さんがうちに出入りしている時に親と話しているのを聞くと
子どもながらにいろいろと世間を知るものです。

話は名古屋の戦災や戦後の闇市にいたることもあり、
聞いているだけで社会や歴史の勉強にもなりました。

米屋さんは米を売るだけではない、情報通であり、知恵と工夫のある、
プロフェッショナルな「よろづ相談」職なのだと思いました。


その米屋さんの系列に入れると失礼になるかもしれませんが、
私が尊敬する中井久夫先生は、ハイレベルな「よろづ相談」医者だと
思っています。

中井久夫先生には、いくつもの輝かしい業績があり過ぎて、
それを書き出すことさえ大変ですが、
僕にとっての中井先生は、
医療現場で問題ではあるけども医療者に解決策がなくて
行き届いていないことに対し、いろいろと知恵使い、
工夫されるところが魅力です。

河合隼雄の箱庭療法を見てそれを統合失調症の治療に生かすために
風景構成法という芸術療法を編み出したことは有名ですが、
たとえば中井の『こんなとき私はどうしてきたか』という本の中では、
暴力を振るう患者さんからどのように身を守り対応するか、
脳梗塞の意識障害の人にどうやって治療的なアプローチをするか、など、
精神科医療とは関係のないことでも現場で使える知恵が書かれており、
そんな実践的な工夫、それをわかりやすく書いた文章が多々あり、
それらを私は好みます。

日本人はありあわせの物を使って目の前の問題に対処する能力、
「ブリコラージュ」の力に優れている、と中井は言いますが、
それは中井その人にこそふさわしい表現だと思います。


現在私は町医者として、よろづ相談的なことをしていると言いましたが、
本音を言えば、大変なこともあります。

患者さんに良い医者を紹介して欲しいと頼まれて、
私自身が病気になったらかかりたい、と心底思っている良心的な医師を
紹介したら、その先で暴言を吐いて帰ってくるような人、
私が個人的に懇意にしている税理士さんを紹介したら
さんざん相談しておいて相談料一つも払わずに逃げてしまったり、
という人など、
私の大切な個人的な関係にヒビが入りかねないようなこともあり、
そんな時は紹介先に実際に会ってお詫びしたり、
電話や手紙などでやりとりして関係修復に努めるので、
大変な労力を払うのです。
(単に丸投げして終わり、では、良きネットワークは維持できません)

もちろんこちらも相手を選んで、
体を張って私の個人的なネットワークを使うほどの事態かどうかを
見極めるようにしているし、
経験を重ねることにより、紹介する人と紹介先の人との相性につき、
ある程度は勘がはたらくようになってきましたが、
根っからの下町気質、「よろづ相談」体質なのでしょうか、
ついつい情が入りすぎて肩すかしにあったり、深入りしてしまいます。

そのあたりの実践の難しさは、中井久夫先生もよくわかっておられ、
「贔屓の引き倒しはするな」「"赤ひげ先生”になってはダメ」と
あちこちで書き、話されていました。

今、私はこの年になり、中井先生がそのように言っていた意味が
やっと実感としてわかってきたように思います。

同時に、自分はなぜかこのようにしか生きられなかった、
という宿命も感じています。


小林秀雄の次のような文章が身にしみる年となりました。

「人は様々な可能性を抱いてこの世に生れて来る。

彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、
小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった。

これは驚く可き事実である。

この事実を換言すれば、人は種々の真実を発見する事は出来るが、
発見した真実をすべて所有する事は出来ない、
或る人の大脳皮質には種々の真実が観念として棲息するであろうが、
彼の全身を血球と共に循る真実は唯一つあるのみだという事である。

雲が雨を作り雨が雲を作る様に、環境は人を作り人は環境を作る、
斯く言わば弁証法的に統一された事実に、
世の所謂宿命の真の意味があるとすれば、
血球と共に循る一真実とはその人の宿命の異名である。

或る人の真の性格といい、
芸術家の独創性といい又異なったものを指すのではないのである。

この人間存在の厳然たる真実は、
あらゆる最上芸術家は身を以って制作するという
単純な強力な一理由によって、彼の作品に移入され、
彼の作品の性格を拵えている。」

(『様々なる意匠』小林秀雄)


芸術家に限らず、米屋さんでも会社員でも町医者でも、
「身を以って」一生懸命に仕事をしてきた人間ならば、
どこかで「その人の宿命」を感じることでしょう。

私もまた、
「雲が雨を作り雨が雲を作る様に、環境は人を作り人は環境を作る」
宿命に導かれながら、
こんな文章を読んで下さる方々や、この多治見での人々との出会いを
楽しみたいと思っています。

今年もよろしくお願いします。



(水谷雅信)


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< 「今日までそして明日から」
~あいち熊木クリニック開業10周年。開業までと、日進市竹ノ山のこと~ >


明けまして、おめでとうございます。


あいち熊木クリニックは、今年で開業10週年を迎えます。

これも、絶えず心配りを怠らず、いい診療環境を作ってくれている、
臨床心理士さんや医療事務さんらスタッフの皆さん、
そして、いつも私たちの診療姿勢を信じ、
診療方針を支持いただいている患者さんおよび家族の方々のおかげです。

改めて、感謝の気持ちでいっぱいです。


そのようなわけで、今年は毎年と趣向を変えて、
私の開業前後の思い出を、
あいち熊木クリニックの立つ
愛知県日進市竹ノ山の地域事情とその変化を交えて、
とりとめなく語ってみたいと思います。

私の極私的体験談ですから、地域のチョイスも非常に偏っており、
また見方も独特かとは思いますが、
「そんな見方もあるのか」と、どうぞご容赦ください。


まずは、私のおおまかな経歴を。

京都市山科区に生まれ、
洛星高校という北野天満宮にほど近い高校を卒業し、
一年の浪人を経て、名古屋市立大学に入学しました。

その後、大学を卒業して、
そのまま名古屋市立大学精神医学教室に入局、
2年後に豊橋市民病院へ赴任。

そこで5年間奉職し、
てんかん学・精神病理学の泰斗・兼本浩祐先生のもとで学ぶため、
愛知医大に移転しました。

その後、矢作川病院勤務を経て、
2007.7.にあいち熊木クリニック開業と相成りました。


細かいことはともかく、これまでの47年のうち、
京都19年、豊橋5年を除く23年(約半分!)の期間は、
名古屋市およびその界隈で過ごしてきたということです。

生まれ育った京都より、ずっと長く名古屋界隈に居ることになった今、
ある種の感慨があります。

京都に対しては時折郷愁もありますが、
10年前にあいち熊木クリニックを建てた時点で、
その未練を断ち切りました。

大げさな言い方ですが、
ここ日進市竹ノ山に骨を埋める覚悟を決めたのです。


愛知医大移転の折、
長久手市(旧・長久手町)長湫(これも”ながくて”と読みます)の
マンションの9Fに住みました。
(名古屋市地下鉄終点の藤が丘駅から徒歩12分の距離でしたので、
名古屋に住んでいる感覚でした)

当時そこからは、2km先にある愛知医大の建物が見通せました、
が、7年間住むうちに、次々に高層マンションが建設され、
やがては全く見通せなくなりました。


ちょうどその頃、「愛・地球博」というネーミングで、
長久手市の元青少年公園を大改装して、万国博覧会が開かれており、
この地域はちょっとした祭りのような熱気に包まれていました。

日本初のリニアモーターカーとの触れ込みで登場した「リニモ」は、
当時一度乗ったきりでその後利用することはありませんが、
これもちょっと話題になったものです。

万博が終了しても、大観覧車はそのまま据え置かれ、
夜、マンションの一室から回りながら明滅するそれを
眺めていたことを思い出します。


このように長久手は、
今時珍しく住人が増え続けている地域で、町に勢いがありました。

このような激しい変貌を見続けていたとき、
故郷・京都がほとんど変わらないのと引き較べ、
「同じ町といってもまったく別物だな」と興味深く感じていました。


初めて名古屋市に降り立った19歳の時、
住所は瑞穂区大喜というところでした。

戦後まもなく建ったと思しき
バラックのようなボロさ加減になぜか魅せられ、
3年後取り壊されるまで、そこに住んでいました。

ここが、現在同じく精神科医であり、
岐阜県多治見市で水谷心療内科を開業している水谷雅信先生と
さんざん語り明かした懐かしのアパート、「寿荘」です。


名古屋市、というと、
京都にいた僕にとっても、大都市のイメージが強く、
大勢の人々に飲み込まれるのではないかと
多少身構えて乗り込んだ記憶がありますが、
それはまったくの杞憂に終わりました。

というのも、僕の住んだ瑞穂区大喜は完全な下町で、
風呂なしアパートだらけ。

スーパーではない、昔ながらの銭湯が、
街角ごとにあるような感じでした。


大学に入って、全学の準硬式野球部に入ったので、
土日は大概練習と試合、
それゆえ繁華街のある名古屋市駅前(「名駅」といわれています)や栄など、
年に一度もいきませんでした。

ゆえに、僕の知る初期・名古屋は、
大都会には程遠い猥雑でおっとりした町でした。

住まいと野球部グラウンドのある瑞穂区
・大学医学部のある昭和区以外に行くことは、
たまに行われる野球部の13km走で
天白区にまで足を伸ばすことくらいしかなく、
今思えばとても狭い領域をうろうろしていただけだったのです。


二度目にこの地に降り立ったのが、
藤が丘駅の近所で、名東区エリアなのですが、
この地域は同じ名古屋でも先の地域と全く違ったのです。

「名古屋在住期間も長くなったし、
もう名古屋のことならある程度知っているだろう」
と思っていたのは、大きな間違いで、
今もって知らない地域が圧倒的に多いのです。

昔、桜の名所といえば、
名市大薬学部の野球部グラウンド横の山崎川しか知らなかったのですが、
藤が丘駅前の桜並木もなかなかのものでした。


話は変わります。

愛知医大から矢作川病院に転勤しても、住まいを変えませんでしたので、
長久手のマンションから安城の矢作川病院までの間を、
毎日車で往復していました。

矢作川病院は不思議な病院で、
その姿を目撃してからも、なかなか車でたどり着くことができないため、
一部で「蜃気楼病院」などと呼ばれていました。

また、約2年間の矢作川病院への通勤で、
近道・時短の道はないものか、とさんざん探して回ったのですが、
どのルートもどんぐりの背比べ。

ついに、ワープルートを発見することができませんでした。


その通勤の際に、私は奇妙な森に迷い込みました。

名古屋の端とはいえ、この都会の界隈にあっては似つかわしくない暗い森。

そこには一本だけ、けもの道が通っていて、
夜通るのは怖いと思うことさえありました。

ただ、ここを通る時、妙な安らぎをおぼえることもありました。

それゆえ、いつのまにか、この道を常用するようになっていました。


地図を見ると、ここは猪高緑地公園の辺縁にあたっていて、
名を「竹ノ山」といいました。

何もない森ですが、不思議な事に、
大学のキャンパスが集積しているところなのでした。

(椙山女学園大学・愛知淑徳大学・名古屋外国語大学
・愛知学院大学・名古屋学芸大学)

私は秘密基地に通うような感覚で、
竹ノ山を通り抜けるのが楽しみになっていました。


そうこうするうちに、我が愛すべき竹ノ山の森が、
急に拓かれていきました。

もともとそのような施策があったに違いないのですが、
私はこれには面食らいました。

行くたびに、木が削がれていく竹ノ山の姿を見て、
勝手に哀れを感じていました。

その様子を見て、ふと一つのことが閃きました。


私は、過去にある建築士の方々と知り合いになり、
彼らと「精神科建築研究会」と称し、
喫茶コメダで長時間話し合いを持っていました。

そうこうするうちに、
既成の精神科施設で仕事をするのが飽き足らず、
彼らと一緒に作った”夢の精神科クリニック”で
思う存分理想的な医療を行いたいと
痛切に感じるようになっていきました。

もともと、精神科クリニックを開くのは宿願であり、
いずれそうなることは間違いなかったのですが、
彼らとの出会いがその企てを大幅に早める結果となったのです。


「そうだ、竹ノ山で開業しよう」

そう決意してから行動に移すまでに、間髪入れませんでした。

(私はこうと決めたら、いつも行動は早いのです)

決断の翌日、竹ノ山の保留地組合に「土地を買いたい」と名乗り出ました。

すると意外なことに、
「もうほとんど売り切れていて、ここしか残っていない」という返答でした。

そこは140坪もあり、かつ幹線道路に面しておらず、
店を開くにも、家を建てるにも難しいという場所。

さらに変形地なので、買い手がつかないのも道理でした。

ただ、「きっとこの土地は、私の到来を待って、残っていてくれたのだ」
と勝手に都合のいい解釈をして、
その場で手付金を打ちました。

こうして、”終の棲家”はあっけなく決まりました。

(先述の水谷先生の開業も、期せずしてほぼ同時期となりました)


まだ造成が始まったばかりの竹ノ山に既に大勢が押しかけているというのは、
本当に不思議なことでした。

この森をめぐって、多くの目論見がうごめている。

これがどのような変貌を遂げるのか、想像すらできませんでした。


造成初期の頃、道端に大きな鳥が降り立ちました。

キジです。

これにはびっくりしました。

きっと、安住の地を追われ、逃げてきたのでしょう。

私はなぜだか申し訳ない気持ちになり、
その場を引き継ぐ者の一人として、
いい加減な気持ちではいけないと感じたのでした。


竹ノ山にカーマ・ホームセンターができたあたりから、
ここは急に町らしくなっていきました。

日進市竹ノ山は、名古屋市名東区および長久手市に隣接しており、
これらの町からこれからの竹ノ山の発展の仕方がなんとなく想像できました。

私は「竹ノ山は、10年前の日進市香久山、あるいは20年前の名東区」
というイメージを持っていました。


竹ノ山の町ができてくると、異様に多い敷設が目立ってきました。

それは、喫茶店・洋菓子屋・歯科医院そして美容院です。

他人事ながら「こんなにできて大丈夫か」と思ったものです。

特に美容院は、ある交差点の半径200Mに5軒もある
というような過密ぶりでした。

誰がそんなに髪をいじっているのでしょう。

しかし、不思議な事に、
今もって、この5軒は一つたりともつぶれていないのですから、
どれだけ”おしゃれな町(!)”か分かろうというものです。

(私も竹ノ山を知ろうとして、ここにきて初めて、美容院に踏み込みました。

何軒か体験してみましたが、どうも居心地が悪く、
元いた床屋に戻っていきました)


竹ノ山は、ひとことでいうと”女性が華やぐ町”です。

先に挙げた店の種類からもそれは分かりますし、
あいち熊木クリニックの患者さんも、
20-40代女性で、全体の6割を占めています。

独身女性も多いですが、それ以上にファミリーが多い。

典型的な郊外住宅地なのです。

ゆえに、この時代にあっては珍しく、
近隣に中学校が1つ、小学校が2つ、新設されました。


新しい店ができるたびに行列ができるのも、この町の特色です。

しかも新陳代謝が激しく、1年後にはもう閑古鳥が鳴いて、
すぐさま別の店に改装されるという目まぐるしさ。

私は行きつけになりかけた店が何軒かつぶれ、苦々しい思いをしました。

(私が通うというだけで、
その店は少し危ないといえるかもしれません。(笑)

というのも、私は一人で飲食店に行くと、
本を読みながら食べるという行儀の悪い癖があり、
私が心置きなく本に没頭できる店は、
いわば行列ができない”回転率の悪い店”だからです。)


先に多くの大学を列記しましたが、
そのなかでもとりわけ深く関係をもったのは、
愛知淑徳大学そして椙山女学園大学です。

というのも、あいち熊木クリニック開業時の主力メンバーに、
愛知淑徳大学と椙山女学園大学の卒業生が多かったのです。

また、椙山女学園大学からは、
途中からあいち熊木クリニックへ大学院生の実習を受け入れるようになり、
また半年間ではありましたが、
椙山女学園大学の教壇に立ち、
精神科臨床の講義をしたこともあったのです。


そうこうしているうちに竹ノ山は、
私にとり「秘密の森」から、
次第に「愛すべき町」へと変貌を遂げていったのです。


開業後、月日が経つにつれ、
日進市・長久手市・名東区のみならず、
多くの地域から患者さんが集まって来られるようになりました。

初期の頃多かったのは、
瀬戸市・尾張旭市・守山区・天白区・千種区・緑区・東郷町
・みよし市・豊田市といったところでした。

そのうち、愛知県外からの問い合わせが増え、
南は鹿児島県、北は秋田県からも来院されるようになりました。


これはとても嬉しいことではありますが、
同時に申し訳ないことだと思っています。

というのも、あいち熊木クリニックが、
名古屋駅やセントレア空港から決してアクセスがいいとはいえないからです。

最寄りの駅までも、徒歩25分かかるため、
公共交通機関で来られる方にとって、ためらわれる場所であるでしょう。

そんな環境にもめげず、来院される方々には頭が下がります。


ただ、そんな遠方からの来客にとっても、
一つだけ”いいこと”があるように思います。

それは、来院の折、わが町竹ノ山を”味わって”もらえることです。

この町には魅力的なところがたくさんあります。

ですから、もしいくらかでも時間がありましたら、
あいち熊木クリニックに来られた際、とんぼ返りしないで、
少し竹ノ山で寄り道してほしいのです。

私はいつも、この町竹ノ山から活力をもらっています。

患者さんたちも、同じようにその活力を感じとっていただけたら、
それが私たちの診療プラスアルファになるのではないか、
そんな気さえしています。


私はこの地で開業して、本当に良かったと思っています。

そしてここで、多くの人と出会えたことにも感謝しています。

あいち熊木クリニックのカルテ番号は、
まもなく10000番に近づこうとしています。

それぞれの人とのこれまでの出会いを噛みしめながら、
また次の10年がどのように展開するのか、夢想する日々です。


(熊木徹夫)



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●発行元:「臨床感覚の広場」
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2017年01月01日
 
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