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@PANGEA(パンゲア)では単なる旅行情報だけでなく現地の生活や料理、紀行文や小説、音楽やアートを含めた多様な情報を提供。パンゲアとは、世界の大陸がばらばらになる前、たった一つだった大陸。この大陸へ向けて、大きな旅がはじまります。

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隔週刊
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2010年03月25日
 
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PC・携帯向け/テキスト形式
カテゴリ
旅行・おでかけ > 海外 > アフリカ・中東

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メールマガジン @PANGEA

http://www.pangeajournal.com
(HP常に更新中!新たな情報、アート、イベント情報など )
最新号  
2010年3月24 発行(偶数週)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

1/ 特集・ ポップ香港・摩訶不思議
2/ ほねやすめ・詩の小部屋
3/ パンゲア・クッキング:雛祭りスペシャルレシピ 三色おしるこ
4/ 連載 土曜日文学 三島由紀夫の戯曲を読む 「サド伯爵夫人」

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

1/ 特集・ ポップ香港・摩訶不思議 

写真と一緒に見る http://space.geocities.jp/pangeajournal/travel01.html

ポップ香港・摩訶不思議

☆ 車窓から繁華街へ

香港の空港から中心まで走る高速電車。新しいピカピカの車内にゆっくりとこしか
けて、車窓から見える風景の変化を楽しむ。香港は、まったく違うエネルギーを持
った三つの風景がせめぎ合い、混じり合ったような都市だ。一つ目は、この土地そ
のものが持つ大自然の顔。切り立った山、海が迫る。電車は空港があるランタオ島
から、二つの大きな橋を通って陸に入る。静かな電気音をさせながら、山の緑と海
の青、そして灰色の空の中を突っ切る電車。もう一つの顔は、この大自然とはまる
で関係ないといった風体でにょきにょきそびえたつビル群やホテルだ。まるで突然
思いついて移植されたプラモデルのように、大地を包む湿った大気の中にそびえた
つ垂直のビル達。背後の南国色をデコレーションにして光る。  

最後の顔は、ごみごみとした人間のにおいがする空間。電車を降りよう。これは、
車窓からはなかなか見えてこない。ひとたび街の中に繰り出してみれば、五感を刺
激する色や形、匂いに取り囲まれる。モダンなのかポストモダンなのか、古いよう
な新しいようなすすけた建物の陰には、靴掃除の看板が立ち、路地裏ではマンゴー
やオレンジの色が、生ジュースをつくるガーッというミキサーの音とともに主張す
る。すすけたウインドーの向こうには、何か分からない不思議な形のものを一杯に
詰めたガラス瓶が並ぶ。文字通りチンチン電車が路面を滑る。連なったビビットな
色。看板の漢字達と目が合う。

思いがけなく知っている人にばったり出会いそうなのに、まるで砂漠の中に一人
ぼっちのような不思議な孤独感に襲われる。喧騒、屋台で自分の前のどんぶりに集
中する一人ひとりの顔。

香港は不思議な都市だ。「ポップ」で、しかしどことなく不気味なのは、誰かが
「それっ」と一声かけて膨らませただけの、金ぴかの紙風船のようなもろさをどこ
かに秘めているからかもしれない。

☆ 香港・屋台の魅力

 香港でおいしいものを食べよう!と思ったら高いレストランだけでなく、ぜひ屋
台や小さい庶民食堂に挑戦してみたい。お勧めは石やきおかゆ。具も様々で、あつ
あつのおかゆが鶏肉や魚介類、野菜類がを乗っけてぐつぐついいながら出てくる。
値段も安い。

  屋台や食堂を選ぶとき注意するのは、本物の屋台とレトルトを安く売っている
食堂とを区別すること。麺類などは、インスタント麺だということがはっきり書い
てあることがほとんどなので、入って注文するまえに、よく見ることをお勧めする。

スイーツも面白いものがある。人気を集めている旺角駅すぐ近くの「石磨坊」とい
うスイーツ屋さん。海藻や朝鮮ニンジンなどを使った面白いスイーツ、かき氷やお
汁粉など様々な種類のスイーツがある。

http://space.geocities.jp/pangeajournal/travel01.html
(写真は海帯緑豆沙というお菓子。どろどろの黒いベースの中に、海藻やユリ根が
砕いたようなものが入っている。甘すぎず、つるんと食べられる。)

石磨坊

旺角黒布街88号地下

旺角地鐡 D3出口


☆ 香港美術散策

 香港には、ミュージアムやギャラリーもたくさんある。道の雰囲気を楽しみながら、
ふらっと立ち寄ってみたい。香港の中心、中環駅近くの「ポッテンガーストリート」
には坂道に土産物のこまごました物を売る屋台がひしめく。階段と坂道を上ると、
左手にState-Of-Ars Gallelyがある。若手の画家や、斬新な海外の作品が展示され
ている。
横浜の港未来を思わせるベイエリア、九龍地区にある香港藝術館(Hong Kong Museum
of Art)は、初めてならばぜひ訪れたい。歴史的絵画から、モダンアートまで、様々
な作品を展示している。見どころは香港の歴史を描いた写真のような精密画と陶器類、
装飾品などの品々。写真が無かった時代に、香港を訪れた外国人や、地元の芸術家双
方が記録として残した絵画も多い。これらのコレクションは、20世紀になってから美
術館に集められた。

今日、国際経済の中心都市として発展した香港は、18世紀には小さな漁村にすぎなか
った。絵画に描かれた青々とした山が海に切り込む風景や、そのしたにぽつんと浮か
ぶ船をこぐ人の姿、海岸沿いに心細げによりそう民家の姿などは、発展する前の香港
をしのばせる。日本の浮世絵を見ているのにも似た印象を受ける。歴史が下ると、西
洋的な建物や、海辺に立つ大きな外国船が現れ、山裾には四角い建物が連なるように
なる。絵画の技法も西洋的なものと、墨と筆で描かれたものとがあり、それぞれの技
法やモチーフが影響し合い交差しあって不思議な異郷を思わせる風景画の数々が出来
上がっている。仙人が出てきそうな山々の裾に、西洋の国旗と馬車の姿。

現代の作家の作品も、「ちぐはぐな都市」として発展した香港を象徴しているような
ものが多い。映像作家は、様々な人種がひとりひとり中国語で「愛してる」と言い続
ける映像を作った。様々ななまりでもって、白、黒、黄色が入り乱れた一人ひとりの
顔が、自分の言い方で、「愛してる」を言う。言語とアイデンティティーの交錯。
切り崩され、構築されていく海岸線を、毛皮を「剃る」ことで表現した作家もいる。
折りたたみベッドを積み上げて、限られた空間しか与えられない「大都市」にいきる
「プライベートな個人」のあやうさを模索した作家もいる。こうした作品が香港のゆ
がんだ「モダン」の肖像をうきぼりにしていく。

美術館の後には、夜景を楽しみたい。香港藝術館を出ると、裏手には海岸沿いに向こう
岸のビル群の様々な色が夜を彩る。面白いのは、記念写真を売る即席写真家達が道沿い
に連なって客取りに熱心になっていること。写真の質は全然良くないし、看板に書いて
あるプロモーションの値段を払うと、ほんのちっぽけなポケットサイズが出てきて、普
通サイズの写真を印刷してもらおうとすると、別料金がかかる。したたかなストリート
の売り子たちは、ピカピカのガラス張りになりきれないすすけた香港のノスタルジアを
象徴しているかのようだ。


(写真)香港藝術館(Hong Kong Museum of Art)

Hong Kong Museum of Art,

Urban Council

10 Salisbury Road, Tsim Sha Tsui, Kowloon.


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
2/ ほねやすめ・詩の小部屋

ポケットの中の仏像

人は誰しも孤独なんだと誰かが言った
人は社会的な動物だと他の誰かが言った

もしも私がたった一人でこの世に存在するとしたら
それが現実の他の姿
もしも私が誰かのためにこの世に存在するとしたら
それが他の見る私の姿

たった一人でも
誰かが存在するからだとしても

私が存在することを消したくても消せない
生きるのは苦しみの連続
そしてその苦しみと喜びの境目がなくなったとき
人は本当に独りぼっちになる

人は誰しも孤独なんだと誰かが言った
人は社会的な動物だと他の誰かが言った

どうかここから私を救い出してくださいと
誰かに頼みたくて
自分以外に頼む存在が見つからないとき

ポケットにしまっていた仏像を誰かにあげる
そんな夢を見た
誰か大切な人、当たり前のはずなのに
顔すら思い出せない

たった一人でも
誰かのためにでも
存在すること

もうたくさん
と叫んでも消すことのできない存在
の重さ

この重さを支えるのは私
この重さを伸しかけているのも私
他も私


26.2.2007
Dakar Kae AMO
Maryam 詩と小説の部屋
http://blog.goo.ne.jp/maryama


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
3/ パンゲア・クッキング ☆ 三色おしるこ 
 ひなまつりスペシャルお菓子  健康スイーツ

今回の料理教室は、ひなまつりにぴったり、見た目も鮮やかな三色おしるこをご紹介。
中国の健康スイーツからヒントを得たパンゲアオリジナルレシピ!

材料 (4人分)
白豆 カップ 4杯 
小豆 カップ 2杯
グラニュー糖 カップ 1/2(お好みで増量、減量)
抹茶パウダー 大さじ 3杯
豆乳  大さじ 3杯
片栗粉 大さじ 3杯
生姜 少々
栗の甘露煮 お好みで少々(飾り付け)
バニラアイスクリーム スクープ4杯(1人スクープ1杯)

作り方

★白生姜あんと抹茶あん

1)白豆はぬるま湯にひたして柔らかくしたあと、約3倍の水で柔らかくなるま
でよく煮ます

2)砂糖を加え、形が崩れるほど柔らかくなったら木べらでつぶしながら、どろ
どろのペースト状になるまでよく混ぜます。

3)二分にし、片方には抹茶を、片方にはすりおろしたショウガと、豆乳を混ぜ
ます

4)熱いうちに、それぞれに片栗粉大さじ一杯を、少量の水で溶き、さっと混ぜ、
とろみがつくまで軽く混ぜ合わせます。

★小豆あん

1)小豆も同様に水に浸してふやかしたあと、柔らかくなるまでよく煮ます。
豆の形が崩れない程度、ふっくら煮るのがコツ。

2)グラニュー糖を加え、さらに煮ます。

3)水で溶いた片栗粉大さじ一杯をさっと混ぜあわせ、軽くとろみをつけます

(盛り付け)

器に三色を一緒に盛り付け、中央にバニラアイスクリームと栗の甘露煮をトッ
ピングすれば出来上がり!

(味わいどころ)

それぞれの素材の味わいを楽しみましょう。小豆の優しい甘さ、抹茶のほろ苦さ、
豆乳とショウガのまろやかなスパイスが効いた一品。アツアツでも、冷やしても
おいしくいただけます。
ショウガで身体もあったまる健康スイーツです。
中央の冷たいバニラアイスクリームをそれぞれのあんに絡めながら食べれば、
それぞれの味も、混ぜたときうまれる新たな味わいも発見。

★ポイント

それぞれのペースとは、硬すぎず、ゆるゆるになりすぎず、が重要。
器に盛った時液状になって混ざり合ってしまいようなことではNG。
反対に固くなりすぎて固形になってしまうのもNGです。
フルフルゆるゆるしたペースト状になる水加減を。
三色が場所をとりあいするように分けて盛りつけられる程度が目安です。

パンゲアクッキング バックナンバー
http://space.geocities.jp/pangeajournal/cooking2.html


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
4/ 連載 土曜日文学 三島由紀夫の戯曲を読む 「サド伯爵夫人」
 (第二回))「原作(モデル)」があること:時間の重層性
この特集では、三島由紀夫の戯曲について、様々な視点から読んでいきます。

  初めに触れたように、同じ時間の軸が、原作となる古典や、モデルとなる
人物の生きた時間をも貫いて「今」再び流れるということが、戯曲というもの
の特徴の一つである。今回は、「サド伯爵夫人」をよりよく理解するために、
三島の戯曲の持つ特徴について、その時間の重層性について他の戯曲作品も取
り上げつつ論じよう。

三島が全くのオリジナルの戯曲ではなく、何かしらモチーフになる歴史的なス
トーリーや、能などの原作を巧みに使って作品を「現代的」に組み立てていた
ことは、その根底に流れる普遍的な人間の内面性を戯曲として表したからだと
いえる。

たとえば、「近代能楽集」では、現代に時代を設定したことが効果的な働きを
し、古典としての古典ではなく、今生きられたものとしてのストーリーが再現
される。人間に普遍的な影の部分、感情、美、廟的な部分などが強調される。
時代で異なるために認識が異なる部分は舞台装置の大幅な変更(「釣鐘」→
「箪笥(たんす)」など)を行うなどして、現代的に解釈しなおされている。
(ここでの「箪笥」とは、原作の「釣鐘」の中で蛇になってしまう女の心情を、
箪笥の中で醜くなる心情に読み替えたもの)

  また、「卒塔婆小町」では、能の原作において、老婆は形と心、善と悪、
煩悩と菩提、仏と衆生はそれぞれ相反するものではないことを巧みな言葉で語
り、卒塔婆に座する老婆をいさめようとした高野山の僧を、逆に説得する。
つまり卒塔婆という、死の象徴が同時に生であり、現実であることにはっと気
付かせるのだが、近代能楽集では、ベンチという(詩人が述べたところの)愛
の象徴、生き生きした生のぶつかり合う場所、「天まで昇るはしご」が、卒塔
婆であり、墓であり、愛という輝きさえ、「死」である、と老婆が断言するこ
とによって、「生き生きした生」は色あせ、恋人アたちは、まるで「お墓の上
で乳繰り合っている」死人となってしまう。ベンチと卒塔婆、愛と死の対峙。
原作と一見似ていながら、徹底的に裏返された「生」と「死」。しかし、「生」
も「死」も愛に他ならない。三島の戯曲の面白い点は、原作を知ってなお、それ
とのギャップから生み出される新たな議論であり、またそこにより生々しく描か
れる「真実」らしきものの発見を見るものに体験させる点にある。

この点は、「邯鄲」も同様である。「邯鄲」は、そもそも「邯鄲の枕」という
物語を基にしている。この話は、趙の時代に「廬生」という若者が人生の目標
も定まらぬまま故郷を離れ、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を
仙人に語るとこから始まる。仙人は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして
廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄さ
れ、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、
冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き
賢臣の誉れを恣に至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢
には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、
実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた栗粥が
まだ煮揚がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったので
ある。廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の
欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った。といったよ
うなストーリーであり、生きることにがつがつしていた主人公は、夢の体験を
通し「生きる」ことへの欲を払い捨て、その無意味さを悟るのだが、三島の戯
曲では逆に、生きる意欲の乏しかった主人公(次郎)が、最後の場面で「生」
への執着を露わにする。

老国主: 矛盾!矛盾!あんたの主張には論理的一貫性が欠けているように見
受けられる。
次郎: なぜさ。
老国主: だってあんたは一度だってこの世で生きようとしたことがないんだ。
つまり生きながら死んでいる身なんだ、あんたは。それが死にたくないとは何だ
ろうね。
次郎: それでも僕は生きたいんだ!

  この「生きたい」とはどういう意味なのか。現代的な「生きる」目標に意味
を見出さなくなった上での「生」とは、現実社会での「死」を意味しないか。い
ずれにしても現世の喜びを味わいつくしたことによってその空虚さを悟った原作
と対照的に、現世が空虚だということがすでに前提となって、その上でそこに意
味を見出すような斬新さが三島の戯曲に見られると言えるのかもしれない。語ら
れていることは、原作の言わんとしていることと同じであって、原作を裏返すこ
とによって、現代的な意味合い(すでに消費ばかりする生が空しく、腐った死で
あるという)を付け加えたところに、三島の技法がみられる。こうした技法によ
って、一つのリアリティが時空間を超えて現代の私たちに迫ってくるのだろう。
では、このシリーズで取り上げている「サド伯爵夫人」のもととなったサド伯爵
とはどのような人物なのだろうか。マルキ・ド・サド(Marquis de Sade、1740年
6月2日 - 1814年12月2日)はフランス革命期の侯爵で、「サディズム」の語源に
なった人物である。はたしていわゆる「変態」だったのかというと、むしろ「論
理的な反道徳者」といった方がふさわしいだろう。 サドはパリのコンド宮殿に
て、伯爵ジャン・バティスト・フランスワ・ジョセフ・ド・サドと、マリー・エ
レオノール・ド・マイエ・ド・カルマン(コンドの王女の従姉妹で侍女)の間に
生まれた。彼は伯父のアブ・デ・サドによる教育を受けた。サドは後にイエズス
会のリセに学んだが、軍人を志して七年戦争に従軍し、騎兵連隊の大佐となって
闘った。数々の著書を残しているが、その著書の内容が、問題である。たとえば、
代表作の一つである「ジャスティーヌあるいは『美徳の不幸』 (Les Infortunes
de la Vertu)」では、虎児となった姉妹の行く末が描かれるが、姉が悪行の限り
を尽くし手地位や名声を手に入れ「幸福」になるのに対し、正しい心の持ち主で
ある妹は散々な目にあい、辱められ、罪を着せられて処刑されそうになるといっ
たものである。

当時、キリスト教精神に背くような反美徳的な執筆はもちろん言動さえ異常なも
のとされていたからこそ、サドの著書はスキャンダラスだった。

三島の戯曲の面白い点は、サドを登場させず、まるでサドの著作のキャラクター
を思わせるような女性たちが登場し、サドについて語るという点である。美徳対
悪徳、貞淑対世間体といった対立の図式を描く登場人物がサドを語ることによっ
て、ミステリアスな人格を読者に自由に想像(創造)させる、というのが、作品
の面白い点であり、時代背景を超えて作品が魅力を持つ理由だろう。

* 三島由紀夫の戯曲を読む
http://space.geocities.jp/pangeajournal/essay3.html


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★ 発行者プロフィール: 阿毛 香絵(あもう かえ)
  高校時代よりインド、ヨーロッパ、アフリカ地域を旅しつつ、民族学、社会学の
分野で研究を続けている。セネガルダカール大学修士課程を経て、現在慶応義塾大学
政策メディア研究科修士課程所属。芸術の分野でも詩、小説、絵画、音楽、舞踊と活動
の幅は幅広く、常に「大きな大陸」を目指して遊牧中。パリ。アフリカ研究所(CEAF)

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ブログ「詩と小説の部屋」http://blog.goo.ne.jp/maryama
マイスペース http://www.myspace.com/afrosalsa
お問い合わせ maleykaplus@yahoo.fr
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