奈良検定お勉強日記

  • ¥0

    無料

奈良検定を受検するに当たって勉強した内容+αをメルマガにしてお届けします。問題に関する雑談なども取り混ぜてお送りしたいと思っていますので、既に合格された方にも読み物として読んでいただけるよう心がけてゆきます。

著者サイト
 

メールマガジンを登録(無料)

もしくは

※ 各サービスのリンクをクリックすると認証画面に移動します。
※ 各サービスで登録しているメールアドレス宛に届きます。

メールマガジンを解除

もしくは

※ 各サービスのリンクをクリックすると認証画面に移動します。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
 
メルマガ名
奈良検定お勉強日記
発行周期
ほぼ 週末刊
最終発行日
2017年12月30日
 
発行部数
332部
メルマガID
0001000511
形式
PC・携帯向け/テキスト形式
カテゴリ
行政・政治・地域情報 > 地域の情報 > 関西

まぐまぐ!メールマガジンの用語集です。
下記の用語以外の不明な点はこちらをご覧ください。

 
発行周期
週1回、月1回などの発行頻度です。
部数
メルマガの配信数を記しています。
カテゴリ
まぐまぐ!に登録されているカテゴリです。
形式
メルマガには以下の配信形式があります。下部「メルマガ形式」をご参照下さい。
 
最終発行日
最後にメルマガが配信された日付です。
メルマガID
メルマガを特定するIDです。
RSSフィード
RSSを登録すると、更新情報を受け取ることができます。

― メルマガ形式 ―

  • PC向け
    パソコンでの閲覧に最適化したメルマガ
  • 携帯向け
    スマートフォンやフィーチャーフォンでの
  • PC・携帯向け
    PC・携帯どちらでも快適にご購読いただけます。
  • テキスト形式
    文書だけで構成された、一般的なメールです。
  • HTML形式
    ホームページのように文字や画像が装飾されたメールです。
  • テキスト・HTML形式
    号によって形式が変更する場合があります。

閉じる

メールマガジン最新号

HPを読む⇒http://www.nara.o-panda.com/
=====================================================================
◆奈良検定お勉強日記◆          2017.12.30   Vol.502
=====================================================================

奈良検定関係のおベンキョウをした内容をメルマガにしてお届けします。

過去問を中心としたお勉強が中心ですが、問題に関する雑談なども取り混ぜて
お送りしたいと思っていますので、既に合格された方にも読み物として読んで
いただけるとうれしいです。

発行人は
2010年(第4回)に2級、
2011年(第5回)には1級、そして
2012年(第6回)にはソムリエに合格をしました♪

■□■ 本日の内容 ■□■

<< 奈良まほろばソムリエ検定 2017年 2級 問76~問100 >>

問76 奈良県の「無形民俗文化財」に指定され、曽爾村の門僕神社に奉納される伝統芸能はどれか。
ア.猿楽 イ.獅子舞 ウ.太鼓踊り エ.紅幣踊り

問77 東大寺二月堂の「修二会」を創始した僧侶は誰か。
ア.実忠 イ.行基 ウ.重源 エ.空海

問78 橿原市東坊城町で8月15日の伝統行事「ホーランヤ」で燃やされるのはどれか。
ア.松明 イ.割箸 ウ.団扇 エ.卒塔婆

問79 天理市の大和神社で毎年4月1日に行われる祭りはどれか。
ア.ちゃんちゃん祭り イ.シャカシャカ祭り ウ.すすつけ祭り エ.でんそそ祭り

問80 薬師寺で3月末に行なわれる「修二会」の通称はどれか。
ア.慈恩会 イ.お身拭い ウ.雛会式 エ.花会式

問81 御所市の吉祥草寺で行なわれる行事についての記述のうち、誤りはどれか。
ア.「茅原のトンド」と呼ばれる。   イ.1月14日の夜に行われる。 
ウ.大きな御輿が境内でぶつかり合う。 エ.全国各地で行われる左義長の一つである。

問82 世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産のうち、最も南に位置するのはどれか。
ア.元興寺 イ.唐招提寺 ウ.平城宮跡 エ.薬師寺

問83 「重要伝統的建造物群保存地区」は、平成29年(2017)1月現在、奈良県内に何ヶ所あるか。
ア.1ケ所 イ.2ケ所 ウ.3ケ所 エ.4ケ所

問84 「文化財保護法」成立のきっかけとなったのは次のどれか。
ア.明治13年(1880)の奈良公園開設。     イ.明治28年(1895)の帝国奈良博物館の開館。
ウ.昭和9年(1934)の法隆寺の「昭和大修理」の開始。 エ.昭和24年(1949)の法隆寺金堂火災。

問85 慶長12年(1607)の棟札が見つかり、建築年代が明らかな民家では日本最古とされ、
五條新町を構成する文化財となっている住宅はどれか。
ア.藤岡家住宅 イ.細川家住宅 ウ.今西家住宅 エ.栗山家住宅

問86 国営飛鳥歴史公園で、平成28年(2016)に開園した地区はどれか。
ア.祝戸地区 イ.甘樫丘地区 ウ.高松塚周辺地区 エ.キトラ古墳周辺地区

問87 大峯山山上ヶ岳の登山基地としても知られる温泉はどれか。
ア.洞川温泉 イ.入之波温泉 ウ.十津川温泉 エ.西吉野温泉

問88 平成21年(2009)にユネスコの「無形文化遺産」に登録された伝統芸能はどれか。
ア.奈良市の題目立 イ.天理市の紅幣踊り ウ.吉野町の国栖奏 エ.十津川村の大踊り

問89 毎年2月に開催される奈良公園周辺をLED等のあかりで演出する催しはどれか。
ア.竹あかり イ.花灯火 ウ.花灯路 エ.なら瑠璃絵

問90 高取町の土佐街道で平成19年(2007)から毎年行なわれている行事はどれか。
ア.街かどアート イ.町家の雛めぐり ウ.はならぁと エ.コスモス迷路

問91 建武新政の事績を讃えて、後醍醐天皇を祀る吉野神宮が創建されたのはいつか。
ア.室町時代 イ.安土桃山時代 ウ.江戸時代 エ.明治時代

問92 金峯山寺の中心堂である本堂の一般的な呼称はどれか。
ア.観音堂 イ.曼荼羅堂 ウ.行者堂 エ.蔵王堂

問93 吉野山にあり、文禄3年(1594)に豊臣秀吉が花見の本陣としたのはどれか。
ア.吉水神社 イ.本善寺 ウ.鳳閣寺 エ.吉野水分神社

問94 本堂の扉に楠木正行の辞世の歌が刻まれ、後醍醐天皇陵が隣接する吉野町の寺院はどれか。
ア.金剛寺 イ.如意輪寺 ウ.喜蔵院 エ.大日寺

問95 「群芳園」として知られる池泉回遊式庭園のある吉野山の寺院はどれか。
ア.櫻本坊 イ.竹林院 ウ.東南院 エ.世尊寺

問96 源義経が身をひそめたという蹴抜塔(義経隠れ塔)がある、吉野町の神社はどれか。
ア.浄見原神社 イ.勝手神社 ウ.天河神社 エ.金峯神社

問97 西行法師が隠れ住んだという「西行庵」があるのは吉野山のどの場所か。
ア.下千本 イ.中千本 ウ.上千本 エ.奥千本

問98 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のうち、大峯奥駈道は吉野山とどことを結ぶ修行の道か。
ア.大台ケ原 イ.熊野三山 ウ.高野山 エ.玉置神社

問99 吉野山の桜の種類で最も多いのはどれか。
ア.ソメイヨシノ イ.シダレザクラ ウ.カスミザクラ エ.シロヤマザクラ

問100 吉野山や洞川の土産物として知られる「陀羅尼助」とは何か。
ア.薬 イ.地酒 ウ.和菓子 エ.佃煮

==解答======================================================
 76-イ 77-ア 78-ア 79-ア 80-エ
 81-ウ 82-エ 83-ウ 84-エ 85-エ
 86-エ 87-ア 88-ア 89-エ 90-イ
 91-エ 92-エ 93-ア 94-イ 95-イ 
 96-エ 97-エ 98-イ 99-エ 100-ア
============================================================

■さあ、では、お勉強しましょう♪■

★問76は、奈良県の「無形民俗文化財」に指定され、曽爾村の門僕神社に奉納される伝統芸能は、獅子舞。
(公式テキストP311)

過去にも何度か出題されているので、そちらを貼っておきますので復習してみてください。

>>>以下再掲

門僕神社といえば、伝統芸能なら「獅子舞」で「県の」「無形民俗文化財」。
また、「県指定天然記念物」といえば「御葉付イチョウ」。
この二問がよく出題されます。

今回は獅子舞の方でしたね。

2007年2級の問59、
Q.10月の祭礼日に県指定無形民俗文化財の獅子舞が奉納され、
境内の御葉付イチョウも有名な神社はどれか。
(2009年8月10日発行、Vol.12)

2009年2級の問90、
Q.奈良県の無形文化財に指定され、曽爾村の門撲神社に奉納される伝統芸能はどれか。
(2009年11月25日発行、Vol.58)

門僕神社の獅子舞は、10月の体育の日の前日の日曜日に行われるということです。
(毎年日付が変わるってことね)

”曽爾の獅子舞は、天正11年以降の当屋文書の享保3年(1718年)条に、
「御神楽獅子舞当年乃五穀成就村安全のため(中略)於神前の舞申し候」とあり、
俗説として「大字長野が伊勢で獅子を習ってきて、他に伝えた」という
言い伝えがあり、種目名にも習ってきた村のそのままの地名がつけられた
「中村の舞」があることなどから、ほぼこの頃より、伊勢の大神楽を導入し、
地元の人の手で伝えられたことがあきらかになっています。
「神前の舞」「悪魔払」「参神楽」「獅子踊り」「接ぎ獅子」など
一連の獅子舞は、三大字(長野・今井・伊賀見)の青年の手で、
第二次大戦中といえども絶えることなく、今日まで連綿と継承されてきました。
その種類の豊富さと芸能の質の高さが評価され、昭和54年「奈良県無形民俗文化財」
に指定されています。”
(→http://www.vill.soni.nara.jp/forms/info/info.aspx?info_id=15875)

現在では「長野」「今井」「伊賀見」の三つの地区に伝わる獅子舞を、
合同で奉納披露するかたち。
長野は5演目、今井も5演目、伊賀見には11演目の合計21演目が伝わるとのこと。

「今井」が得意とするのは神楽系の「参神楽(さんかぐら)」。
獅子の前足と後足の演者のシンクロの動きが見もの。

「長野」の得意な演目は「獅子踊り」。
獅子が野原で暴れ回り、それを天狗が高みの見物。
それを遠巻きに村人たちが見てる。
獅子が疲れて眠ると、天狗が降りてきて、妖術で獅子の動きをしずめる。
すると、村人たちが獅子のまわりに近づき、天狗の仕草を真似る。
最後は獅子、天狗、村人たちが皆で一緒に楽しく踊る。
みんな仲良し♪がテーマだとか。

獅子舞以外の人々や、天狗もカラフルできれい。
(→http://blogs.yahoo.co.jp/no27no19chanel/62859110.html)

「伊賀見」が得意とするのは「接ぎ獅子」。
曽爾の獅子舞といえば、やはりこれが一番有名というか、人気なのでは?
子ども一人に大人二人が一組になって、 「上(うえ)」と呼ばれる女形に
扮した子どもが、「台」と呼ばれる大人の肩の上に立って舞うもの。
「台」になる大人は、子どもの足の親指しか握らりず、他に支えもなく
大人の肩の高さに立つ子どもは勇気が入ります。

獅子舞の詳細な内容はこちらにもあります。
(→http://soni.niye.go.jp/kotomono/pdf/34.pdf)

神事は朝8時から(!)ってことで、これを見るためには、
どこか近所で泊まるとか、車で移動できるとか、いろいろ制約があります。

★問77は、東大寺二月堂の「修二会」を創始した僧侶は、実忠。
(公式テキストP304)

”この法会は東大寺の開基良弁僧正の高弟であった実忠和尚が、天平勝宝四年(752)の大仏開眼供養の年の
二月に創始したもので、(『東大寺要録』)、以来「不退の行法」として千二百五十年余り途絶えることなく
現在に至っている。『二月堂縁起絵巻』によると実忠和尚が笠置寺の龍穴に入り、兜率天の菩薩たちの行法を
拝して、人間世界に映して始めたものという。”
P304

★問78は、橿原市東坊城町で8月15日の伝統行事「ホーランヤ」で燃やされるのは、松明。
(公式テキストP301)

”盆には、家庭ごとに辻や橋のたもとで先祖の霊(オショーライサン、ソンジョサン)を迎えて
丁重に祀られる。こうした先祖の霊を迎え送る行事が大規模化したものが橿原市東坊城町で
八月十五日に行われるホーランヤである。二つの神社の境内で大小十七の松明が日中の炎天下に燃やされる。”
P301

松明というか、大松明。
重そう…。
(→http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/saijiki/8_houranyamatsuri.html)

★問79は、天理市の大和神社で毎年4月1日に行われる祭りは、ちゃんちゃん祭り。
(公式テキストP301)

”春の祭りは多くはないが、天理市の大和神社のちゃんちゃん祭(四月一日)がよく知られる。
郷村単位の祭りで、のんびりとしたお渡りや御旅所での会食や行事は興味深い。”
P301

今年見に行ってきたんですが…自分のブログで記録がない…。
そういうときは、よそ様のサイトを参考に。
(→http://pinbokejun.blog93.fc2.com/blog-entry-360.html)

★問80は、薬師寺で3月末に行なわれる「修二会」の通称は、花会式。
(公式テキストP316)

”本尊薬師三尊の前で修せられる修二会。十種の造花が本尊の前に
飾られるところから、花会式と呼ばれる。”
P316

花会式にも行ったことがあるけど、造花一つ一つにまで意識がいってなかったなあ。
(→http://www.nara-yakushiji.com/contents/hanaesiki/)

今度行ったら、じっくり拝見してこよう。

★問81は、御所市の吉祥草寺で行なわれる行事についての記述のうち誤りは、
大きな御輿が境内でぶつかり合う。
(公式テキストP302とP197)

”「茅原のトンド」として知られる左義長が毎年正月十四日に行われる。”
P198

以上の短い文章の中で、

ア.「茅原のトンド」と呼ばれる。
イ.1月14日の夜に行われる。
エ.全国各地で行われる左義長の一つである。

上記三つの情報が盛り込まれています(すごいなー>情報量(笑))
※あ、夜かどうかは判らないか。

”奈良盆地南部、修験道の開祖役行者生誕地とされる御所市茅原の吉祥草寺では、
一月十四日に雌雄一対の大松明を境内で燃やすトンド行事が行われる。”
P302

ってことで、境内で松明を燃やすって行事だということがわかり、
御輿がうんぬんという記述は公式テキストにはありませんので、
これが誤りということになります。

今年の正月十四日は日曜日。
行ける方はどうぞ。
(わたしもこれに行こうかどうしようか思案中)

★問82は、世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産のうち、
最も南に位置するのはどれか、だから薬師寺。
(公式テキストP51地図中を参考のこと)

公式テキストの地図では元興寺の位置が分かりにくいけど、
ズームアップした地図中のJR奈良駅の右手を見ていくと元興寺がありますので、
そこは薬師寺よりも北。

そして、唐招提寺も、平城宮跡も薬師寺より北にあるので、
一番南に位置するのは薬師寺ということになります。

★問83は、「重要伝統的建造物群保存地区」は、平成29年(2017)1月現在、
奈良県内に3ケ所あります。

重要伝統的建造物群保存地区のうち、
奈良県内で該当するのは三か所。

橿原市今井町 寺内町・在郷町 平 5年12月 8日選定
五條市五條新町 商家町     平22年12月24日選定
宇陀市松山 商家町     平18年 7月 5日選定
(→http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/hozonchiku/judenken_ichiran.html)

出題前提と違って平成29年11月28日現在ですけどね、
奈良県内には変動なかったもんで。

私が持っているテキストは五條がまだ重伝建じゃないって書いているものなので、
新しい知識を投入しておかないといけないのですが。

★問84は、「文化財保護法」成立のきっかけとなったのは、
昭和24年(1949)の法隆寺金堂火災。
(公式テキストP48)

”終戦後、昭和二十四年(1949)1月、法隆寺金堂から火災が発生し、
金堂建物と同壁画が大きな損傷を受けた。この事件をきっかけに、同二十五年(1950)
5月、「文化財保護法」が成立し、戦後の文化財保護行政の出発点となった。”
P48

★問85は、慶長12年(1607)の棟札が見つかり、建築年代が明らかな民家では日本最古とされ、
五條新町を構成する文化財となっている住宅は栗山家住宅。

2009年の2級の問97で既出。
かつ選択肢まで丸パクなので(笑)過去のメルマガ貼っておきます。

>>>以下再掲

栗山家住宅。
(→http://blog.livedoor.jp/ogatan20/archives/50568719.html)

1607年って、“関が原の合戦”からたった数年。その頃の住宅が今でも立って
いるってことに感動だわ。古い寺や神社ってのはたびたびあっても、民家が400年も
続いているってスゴイすごい。しかも現住建造物、つまり人が現在も住んでいる家
ってことで尚更スゴイ。昔の家を移築して残してある「建物だけのもの」は結構
あるけど、今でも住居として使われているというのだから、やはり木の家って
メンテすれば長持ちするんだな~。(『ああいう家に住んでる人間は大変なんだぞー』
ってダンナは云ってましたが。かまど&薪の風呂+トイレは外みたいな家って、
確かに楽なものじゃないらしいですわな。外見はともかく、中は案外リフォーム
されて快適になっていたりして)

では他の選択肢も見ておくと。
ア.藤岡家住宅は、同じく五條市にあった江戸時代の庄屋の家屋を修理・復元
したもの。平成18年3月には登録有形文化財「藤岡家住宅」として、
文化庁に登録されました。

また藤岡家は、俳人・藤岡玉骨(ふじおかぎょっこつ)の生家としても有名であり、
玉骨と交流のあった俳人の高浜虚子や阿波野青畝、歌人の与謝野晶子にまつわる
ものなど、貴重なものが残されてあり、それらもあわせて広く公開されているとのこと。
(→http://www.uchinono-yakata.com/)

しかし、藤岡家ってよくある苗字なのか元興寺町にも藤岡家ってあるのだな。
どこの藤岡さんかよくわからんから深追いせずに、ここは五條つながりに
とどめておこう。

イ.細川家住宅は宇陀市にある、アレでしょうか。宇陀といえば薬草ってことで、
薬屋を営んでいた細川家の住宅を修繕して、新たに町の歴史文化館となったのが
大宇陀歴史文化館「薬の舘」。平成4年に町の有形文化財に指定されています。
この細川家は、藤沢薬品(→現・アステラス製薬)の発祥のおうち。
家業が大企業になっていったのですな。
(→http://aknv.city.uda.nara.jp/matuyama/machiya.html#08)
現在は家を改修して、細川家の所持品や、町の歴史、薬の看板などなどを展示しています。

写真たくさんのサイトはこちらから。
(→http://inoues.net/club/ohuda_akiruno6.html)

ウ.今西家住宅といって、ピンとくるのは橿原市今井町の今西家住宅。
お城か?!と見まごうどっしりした外見を持つおうちは、中へ入ってもサプライズ。
江戸時代にはここの土間がお白州として使われていたといい、裁判所も兼ねて
いたらしい。土間の上には二階へ上げて、ハシゴを外すタイプの部屋があり、
ここは自白を強要するために煙でぶすぶすいぶすための部屋だったんだとか。
(こわっ!)

棟札銘により、この家は慶安3年(1650)の建立であることが判っています。
これにより現住住居では日本で一番古いとされる、五條の栗山家よりも40年以上
遅れてこの地に建ったことがわかります。

今西家住宅の公式サイトはこちら。
(→http://www.imanishike.or.jp/imanishike.html)

★問86は、国営飛鳥歴史公園で、平成28年(2016)に開園した地区は、
キトラ古墳周辺地区。
(→https://asukamura.com/?page_id=8630)

これ作っている時には行ったんだけど(キトラ古墳(本物!)の公開の時)
(→http://blog.goo.ne.jp/kitty0111/e/11875ac1ef331c120ed0c49620018c11)

それ以降、ここらへんに足を踏み入れてないかもしれない。
綺麗になったそうなので、行ってみましょうかね。

★問87は、大峯山山上ヶ岳の登山基地としても知られる温泉は、洞川温泉。

”洞川温泉街は、修験道の隆盛とともに大峯参りの基地として栄えてきました。
旅館や陀羅尼助店、土産物店、飲食店などが軒を連ねています。”
(→http://www.dorogawaonsen.jp/sightseeing/624/)

★問88は、平成21年(2009)にユネスコの「無形文化遺産」に登録された伝統芸能は、
奈良市の題目立。
(公式テキストP312)

2014年2級の問81で既出なので、Vol.392の内容を貼っておきます。

>>>以下コピペです

題目立とは…。
”奈良市上深川では、氏神八柱神社の宮座行事として、十月十二日の宵宮際に、
新たに宮座入りしたかぞえ十七歳の若者が題目立という語り物芸を奉納する。
その芸態から「語り物が舞台化した初期の姿」と見なされ、福岡県みやま市瀬高町
大江に伝わる幸若舞とともに、中世芸能の面影を今に伝える稀有の芸能として高く
評価されている。”
P312

なんのこっちゃ…なのですが。
題目立は2013年のソムリエ問題で既出。
二年連続出題ですか?と思ったら、ソムリエ問題からのいきなりお下がり?

その時勉強したことを再度掲載しておさらい。
(早い話がコピペ、です)

問題が若干違うのですが…。
Q.題目立について説明文のうち、正しいのはどれか。
ア.八柱神社の宮座行事として、宵宮祭にかぞえ15歳の若者が奉納する。
イ.題目立という芸能の存在は平安時代末期までたどることができる。
ウ.平成22年(2010)に世界無形遺産に登録された。
エ.曲目としては「厳島」「大仏供養」「石橋山」の三曲が伝わる。(答:エ)

ま、いいでしょ(をい)
てことで>>>以下再掲

題目立で正しい説明文は、
曲目としては「厳島」「大仏供養」「石橋山」の三曲が伝わる。
(公式テキストP312)

”曲目としては、源平合戦の武将を扱った「厳島」「大仏供養」「石橋山」の
三曲が伝わるが、現在は前二曲が一年交代で演じられている。
但し、氏神の造宮(遷宮)があると、三年間は「厳島」を奉納する習わしである”

なんとなく心に残っていたこの文章。
伝わる曲は三曲あれど、現在では二曲しか演じられず、
しかも遷宮があった場合は、「厳島」のみ三年間ってのは、
なんだか複雑だし、ややこしーなーって思っていたらそれが出た(ははは)。

これだけ知っていれば、なんとか解けた問題だけど、
あとはちゃんと復習しておこう。

とりあえず、その他の選択肢を見ておくと。
ア.八柱神社の宮座行事として、宵宮祭にかぞえ15歳の若者が奉納する。→×

かぞえ年で17の若者が奉納するもの。

イ.題目立という芸能の存在は平安時代末期までたどることができる。→×

中世までは辿れるようだけど、平安時代末期まではどうなんだろう。
中世の定義は、
”一般的には、平氏政権の成立(1160年代)から安土桃山時代(戦国時代末期)までが
「中世」と目される。”
(→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%B8%96#.E6.97.A5.E6.9C.AC)

『多聞院日記』の天正4年(1576)ごろの記述に、
「題目立トテ田舎ノ宮ウツシノ時、昔ノ名仁ノ出立ニテ名乗」とあり(後略)”
(→http://www.polaculture.or.jp/promotion/thickbox/parson_data28_07.html?
placeValuesBeforeTB_=savedValues&TB_iframe=true&height=400&width=600&modal=true)

他にも、
享保18年(1733)の題目立の台本に
「寛永元年(1624)の片仮名書きの台本が読みづらくなったので書き改める」
との記述あり。
(→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%8C%E7%9B%AE%E7%AB%8B)

とりあえず、このお祭り自体は室町時代頃には行われていたようですが。
平安まではどうなんだろう?
まあ、正解は”曲目は「厳島」「大仏供養」「石橋山」”
ですから、ここは×でもいいかなと(そんな理由か)

ウ.平成22年(2010)に世界無形遺産に登録された。→×

ユネスコの無形文化遺産保護条約に登録されたのは、2009年(平成21年)
(→http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=225189)

くぅ~!大雑把なニンゲンとしては、この一年くらいの差はどーでもいーじゃないか
とか思っちゃうんですけどねー。でも、それじゃ問題にならないか。

では、題目立のおべんきょう。
”題目立は源平の武将を題材とした演目を、出演者が登場人物ごとに台詞を分担して、
独特の抑揚をつけて語る芸能です。”
(→http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1252288194903/index.html)

・「厳島」は平清盛が弁才天から天下を治める節刀という長刀を授けられるというもので、
八人で演じられる。

・「大仏供養」は源頼朝が東大寺の大仏供養に奈良へ向かった際、
平家の残党悪七兵衛景清が三度命を狙って遂に果たせずに終わるという話で、
九人で演じられる。

あ、源平合戦は平安時代末期のことだから。
”題目立という芸能の存在は平安時代末期までたどることができる”は無いか。
しかも、源頼朝@鎌倉幕府=鎌倉時代ときたら、
平安時代末期に成立していたワケはない。
おお!これでスッキリした(笑)

「石橋山」は伝わるものの、100年ほど演じられてないってことなので、
よくわかりません。(それじゃあ、伝承していかないよね。いいのかな)

”宵宮祭の夜、出演者は楽屋にしている神社西隣りの元薬寺(がんやくじ)を出て、
長老の先導で「みちびき」を謡いながら、神社本殿下にある参籠所前に設けられた
舞台に向かいます。ソウ(素襖)を着て立烏帽子(たてえぼし)をかぶり、
扇を襟首に挿し、弓を手にするという出立ちで(役により若干相違があります)、
舞台の周りの所定の位置につきます。

参籠所にいる呼び出し役が、「一番 清盛」と台詞の順番と役名を呼ぶと、
出演者はそれに応じて、独特の抑揚をつけて、まず最初に「我はこれ」とか
「そもそもこれは」という言い回しで始まる文句で自らの名を名乗ってから、
台詞を語っていきます。

「厳島」では清盛が弁才天から長刀を授かる場面がありますが、基本的に所作は
ほとんどなく、出演者は所定の位置で静かに物語りを語り継いでいきます。
この語りが題目立の大きな特色です。

曲の最後近くになると「フショ舞」が舞われます。出演者全員で「よろこび歌」を
謡うなか、一人が舞台中央に進み出て反り返るようにして扇をかかげ、
強い調子で足を踏みながら舞台を一回りします。短いものですが、
それまでの静かな雰囲気から一転した動作で印象的な舞いです

最後に「入句」を唱和し、再び長老の先導で「みちびき」を謡いながら退場します。”
(→http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1252288194903/index.html)

まとめると
・登場人物がはじめから出揃った状態で始められること
・たいていの場合まず名乗りを済ませてから物語を進めていくこと
・フショ舞以外はほとんど動作がないこと
・特有の抑揚を語ることに重きをおいていること
などが特徴ということですわね。

奈良市とはいえ、上深川町とは名阪国道で”ミツバチと生命館”の北側あたり。
(→https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%B8%82%E4%B8%8A
%E6%B7%B1%E5%B7%9D%E7%94%BA/@34.6319617,135.9905739,15z/data=!4m2!3m1!
1s0x60014c0ce9de3b6b:0xa28823111cd482f4?hl=ja)

元々は山辺郡都祁村で、2005年4月1日に奈良市へ合併。
ってことで現在は奈良市だけど…。
こうしてみると、奈良市広すぎ!!(笑)

★問89は、毎年2月に開催される奈良公園周辺をLED等のあかりで演出する催しは、なら瑠璃絵。

”回廊(廻廊)とは寺社仏閣の建物や中庭を囲む廊下のことです。
文字のとおり境内を「廻る」ための道です。
そして「しあわせ」とは、手のひら(しわ)と手のひら(しわ)を合わせること。

古来日本人は、畏れ敬うものに対して自然と手を合わせてきました。
目を閉じて、軽くこうべを垂れ合掌する姿は、
遥か‘いにしえ’の頃から今この瞬間も変わらず、奈良の風景にとけ込んでいます。

その風景の中で瑠璃の深い青色は、至上の色として神聖視され、
また貴重な鉱石としてシルクロードを渡り古来よりわれわれ日本人を魅了してきました。

「しあわせ回廊なら瑠璃絵」は、早春のこの時期に夜間特別拝観を実施頂く、
春日大社、興福寺、東大寺という奈良を代表する三社寺を幻想的な光の道でつなぎ
美しい瑠璃絵の世界に皆様を誘(いざな)います。

それぞれの社寺で手を合わせて頂くことで、心が洗われ、しあわせが訪れることを、
そしてその小さな祈りの数々が大きな平和の祈りとなって世界に届くように、
瑠璃色の星がいつまでも美しく輝くように、そんな願いを込めて実施いたします。
ならを訪れる人々の美しい姿を優しいひかりでてらす”
(→http://rurie.jp/about/)

これも行きましたねえ。この時が第一回目。2010年。
(→https://plaza.rakuten.co.jp/karuho/diary/201002120000/)

ということで、来年の2019年で9回目となる予定です。

★問90は、高取町の土佐街道で平成19年(2007)から毎年行なわれている行事は、町家の雛めぐり。

”日本一の山城「高取城」の城下町として栄えた高取町。昔からの町家が、多く現存し、
その当時の佇まいを残しています。その名は、土佐街道(土佐街道のご案内/土佐街道の映像)。

高取土佐街なみにある町家には、大切に蔵われている雛人形がいます。どの「お雛さま」にも、
その家の思い出や、親子の願いが込められていて、添えて飾られている色紙には、
そんな“思い出”と“願い”が綴られています。家々の「雛物語」を楽しみながら、
かけがえのないあなたの思いや願いにふれてください。ゆっくりと歩く高取町土佐街なみから、
あなたの雛物語がはじまります。
高取 土佐 町家
2007年から、始まった「町家の雛めぐり」は、今回で11回目。
町あげてのイベントに発展し、約百軒のお雛さんを町並みのあちらこちらで展示しています。

展示箇所は、民家の玄関や、縁側、店先など、現在実際に生活されているご家庭に展示しており、
基本的に、そのご家庭に縁のあるお雛様で、飾り付けも、そちらの方々で行われています。
店先の雛人形また、住民との会話も、大好評。雛人形を飾っているお宅の住民さんと、会話をお楽しみください。”
(→http://www.hinameguri.jp/)

で。
問90は全員正解となったらしい。

何故かというと、本番の試験ではこの問題が、
高取町の土佐街道で※”平成9年”※(2007)から毎年行われている行事はどれか、
になっていたんだそうで…。

2007年は、平成19年ですので、問題が間違いということで、全員正解になったんだそうです。

私答えは知っていたけど、年号とか、数字とかってあんまり気にしないので、
全然気にならなかったわ(をい)。

★問91は、建武新政の事績を讃えて、後醍醐天皇を祀る吉野神宮が創建されたのは、明治時代。
(公式テキストP210)

”旧官幣大社。明治二十二年(1889)、内務省告示で官幣中社吉野宮創立。”

意外と”最近”なのです。

★問92は、金峯山寺の中心堂である本堂の一般的な呼称は、蔵王堂。
(公式テキストP218)

”建築では、天正二十年(1592)頃に再建された蔵王堂、←★ココ
延元3年(1338)頃に建立された仁王門が国宝、
北側参道に立つ銅の鳥居(室町時代)が重要文化財”
P219

★問93は、吉野山にあり、文禄3年(1594)に豊臣秀吉が花見の本陣としたのは、吉水神社。
(公式テキストP212)

”文禄三年(1594)三月には豊臣秀吉の花見の本陣となった。”
P212

※正式表記は、吉の字の、冠が士ではなく、土らしいですが…。

★問94は、本堂の扉に楠木正行の辞世の歌が刻まれ、
後醍醐天皇陵が隣接する吉野町の寺院は、如意輪寺。
(公式テキストP219)

『太平記』には正平二年(1347)に楠木正行が延元陵(後醍醐天皇陵)に参拝したのり、
髻を切り、辞世の歌を如意輪堂の扉に刻んで出陣したとある。”
P219

★問95は、「群芳園」として知られる池泉回遊式庭園のある吉野山の寺院は、竹林院。
(公式テキストP220)

”池泉回遊式庭園の群芳園は當麻寺中之坊・慈光院と肩を並べる大和三名園。”
P220

★問96は、源義経が身をひそめたという蹴抜塔(義経隠れ塔)がある、吉野町の神社は金峯神社。
(公式テキストP213に金峯神社はあるけど、内容に蹴抜塔の記述はなし)

これ、同じ問題が2016年2級の問44で出ているのですが、
まさかの二年連続出題?

それはともかく。
吉野山に潜伏していた義経がいたとして有名なのは、吉水院(吉水神社)だけど、
頼朝側も義経が吉野にいることを察知しており、その手のものが吉野に迫っているとわかった。
そこで吉水院より奥にある、この蹴抜塔あたりに潜むことになったのではないかと。
そしていよいよ追っ手に捕まりそうになった時、この塔を蹴り抜けて逃亡したといいます。
(→http://www.st.rim.or.jp/~success/yosinoy_6.html)

「蹴抜塔」と書いて「けのけのとう」と読む。
(→http://www.asahi-net.or.jp/~xt4y-mtmt/nara/kinpujinjya/kinpujinjya.html)

★問97は、西行法師が隠れ住んだという「西行庵」があるのは吉野山の奥千本。
(公式テキストP225)

”金峯神社前の坂道を登って右方への道をたどると、やがて左手に下がる道が分岐する。
付近は奥の千本、桜林の中を下ると南向きの台地にささやかな西行庵がある。”
P225

★問98は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のうち、大峯奥駈道は吉野山と熊野三山を結ぶ修行の道。
(公式テキストP299)

”世界文化遺産の紀伊山地の霊場と参詣道に含まれる大峯奥駈道は、奈良の吉野山と熊野三山を結ぶ、
もとは修験道の修行場として開かれた道で。熊野古道の中で最も険しいルート。”
(→https://www.okimoto-guide.com/omine-okugakemichi)

実際に歩いたことのある方の情報なので、ご参考に。

★問99は、吉野山の桜の種類で最も多いのはどれか、だからシロヤマザクラ。
(公式テキストP242”

花の名所の一番最後の位置に、
”吉野山(吉野郡吉野町吉野山 シロヤマザクラ3万本)の記載があります。

★問100は、吉野山や洞川の土産物として知られる「陀羅尼助」とは、薬。
(公式テキストP341)

”大峯登山者の土産物としてよく知られる陀羅尼助は、役小角がその製法を熟知していて、
吉野山・洞川に伝えたといわれている。

■編集後記■

ということで、やっつけ2級(をい)終了でございます。
今回は目新しいものは少なかったように思うので、過去のメルマガを読みかえせば
出ていることも多いと思いますので、思いっきりの手抜きで済ませてしまいました。
ご了承ください。

本年のメルマガは今号で終了です。
奈良検定を1月7日に受験される方は頑張ってくださいね!

皆様よいお年をお迎えください。
ではでは、また来年~(^^)/~~


★★ 最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。★★


■ 奈良検定に関する勉強法・試験攻略法・合格体験談などなど
  みなさんからの書きこみお待ちしております!
  ⇒ http://8419.teacup.com/karuhosan/bbs

■ このメルマガの発行・配信申込・解除は
  ※『まぐまぐ』( http://www.mag2.com/ )
  ⇒ http://www.mag2.com/m/0001000511.html

■ お問い合わせ・ご要望・ご意見は下記までお願いします。
  発行元:「奈良検定お勉強日記」
  発行者:美嶋カルホ
  http://www.nara.o-panda.com/
  E-Mail:nara-kentei★o-panda.com(★→@に変えて送って下さい)



メルマガ全文を読む
 

▲ページトップへ

▲ページトップへ