奈良検定お勉強日記

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◆奈良検定お勉強日記◆          2017.05.21 Vol.482
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奈良検定関係のおベンキョウをした内容をメルマガにしてお届けします。

過去問を中心としたお勉強が中心ですが、問題に関する雑談なども取り混ぜて
お送りしたいと思っていますので、既に合格された方にも読み物として読んで
いただけるとうれしいです。

発行人は
2010年(第4回)に2級、
2011年(第5回)には1級、そして
2012年(第6回)にはソムリエに合格をしました♪

■□■ 本日の内容 ■□■

<< 奈良まほろばソムリエ検定 2017年 1級 問11~問15  >>

問11 生駒市の竹林寺で銘文のある骨蔵器の断片が出土し、墓所が判明した高僧は誰か。
ア.義淵 イ.行基 ウ.良弁 エ.道昭

問12 大同4年(809)に退位し、不退寺のあたりに「萱の御所」を構えたのは、どの天皇か。
ア.仁明天皇 イ.平城天皇 ウ.淳和天皇 エ.嵯峨天皇

問13 春日大社に若宮社が造られ、若宮祭(おん祭)が始まるのはいつの時代か。
ア.奈良時代後半の延暦年間 イ.平安時代前期の大同年間 
ウ.平安時代後期の保延年間 エ.鎌倉時代前期の建久年間

問14 一説に平群の椿井城を居城としたと言われ、関ケ原の戦いで討死した武将は誰か。
ア.大谷吉継 イ.宇喜多秀家 ウ.小西行長 エ.嶋左近

問15 将軍家綱の茶道指南役となり、「石州流茶道の祖」と仰がれる小泉藩主は誰か。
ア.片桐且元 イ.片桐貞隆 ウ.片桐貞昌 エ.片桐直貞

==解答======================================================
 11-イ 12-イ 13-ウ 14-エ 15-ウ
============================================================

■さあ、では、お勉強しましょう♪■

★問11は、生駒市の竹林寺で銘文のある骨蔵器の断片が出土し、墓所が判明した高僧は、行基。
(公式テキストP100)

1級および2級で既出です。

2008年1級、問18、
Q.次の高僧のうち、銘文のある骨蔵器の断片が出土して、その墓所が判明しているのは誰か。
ア.義淵 イ.行基 ウ.良弁 エ.道昭
(2010年5月14日発行、Vol.94)

2012年2級、問43
Q.行基の墓誌や忍性の銅製骨臓器が発見された生駒市の寺院はどれか。
ア.石仏寺 イ.長福寺 ウ.竹林寺 エ.円福寺
(2012年9月14日発行、Vol.259)

ってことで2008年問題の丸パク問題ですね。
なので、わたくしも過去のメルマガ内容を貼って復習という名の手抜きをば(笑)

>>>以下加筆訂正のうえ再掲

”(前略)『竹林寺縁起』によると、同年、寂滅らは行基の夢告にしたがって生駒山の行基の
墓を掘り起こしたところ、舎利瓶(蔵骨器)や墓誌を発見したという。
墓誌の記載内容は唐招提寺文書中に残されており、それによると、行基は菅原寺
(現・奈良市喜光寺)で没した後、「生馬山之東陵」で火葬に付されたという。
行基の舎利瓶と墓誌は再埋納されたが、銅製墓誌のごく一部の残片が江戸時代末期に
発掘され、地元の個人の所有となっていた。
これは昭和8年(1933年)11月11日、「銅製行基舎利瓶残片」の名で
重要美術品に認定され、現在は奈良国立博物館の所蔵となっている。”
(→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%9E%97%E5%AF%BA_(%E7%94%9F%E9%A7%92%E5%B8%82))

生駒山の麓の丘で、お告げに従って掘ってみたところ出てきたのが行基さんのお舎利。
行基さんといえば、東大寺の大仏建立で尽力された坊さんです。
四聖建立の寺の「四聖」の一人。
役割とお名前を挙げておけば、
「発願=聖武天皇」「勧進=行基菩薩」「開山=良弁僧正」「開眼導師=菩提僊那」

菅原寺(現在の喜光寺)で最後を迎えた時、遺言で生駒の山に埋めてくれといわれたので
弟子がそのようにしたのでした。出土した墓誌銘により「おお、まさにこれは
行基さんのお舎利」というのが証明されました。

他の選択肢は。
ア.義淵さんは、岡寺を建立したひと。
草壁皇子の岡本宮を与えられて寺としたのがはじまりといわれます。
(→http://www.okadera3307.com/rekishi.html)

岡寺は別名「龍蓋寺(りゅうがいじ)」といわれますが、このエピソードにも
義淵さんが関係している。この地で龍が暴れて農民達を苦しめていたところ、
義淵がその龍を池に封じ込めて、その上にドカンと石で蓋をしたということから
龍蓋寺という名前がついたとのこと。(うさんくさー(笑))
(→http://www.okadera3307.com/rekishi.html)

義淵の廟所は岡寺内にあり、奥の院石窟から矢印に従って降りていくと、
石造の宝篋印塔があり、ここが墓所ということになっています。

義淵の弟子には行基、良弁、道慈などなど名だたる高僧がおります。

しかし、岡寺って胸突き八丁の急坂を登っていったところにあるお寺ですよ~。
あんな見通しの悪い山の中に草壁皇子の宮ってあったんかと問い詰めたくなりますが…。

ウ.良弁さんは、前出の義淵さんの弟子ですね。
良弁といえば、良弁杉。鷲にさらわれて奈良へやってきたってエピソードの人。
幼少より義淵に師事したらしい。東大寺初代別当。

エ.道昭さんは、日本で初めて火葬に付された人。
遣唐使として入唐し、玄奘(三蔵法師!)に師事して法相教学を学ぶ。
弟子は行基さん

★問12は、大同4年(809)に退位し、不退寺のあたりに「萱の御所」を構えたのは、平城天皇。
(公式テキストP66)

”正式には不退転法輪寺。平城天皇が仮住まいした「萱の御所」が阿保親王と子の在原業平に伝えられ、
業平が仁明天皇の勅命により自作の観音菩薩像を祀ったことに始まるという。”
P66

”不退寺=萱の御所”って出題されているよねって思ったら、選択肢でしか出題されてないみたいです。

2009年ソムリエ級の問15、
Q.寺院の通称についての説明として誤っているのはどれか。
ア.興福院は佐保殿ともいう。 イ.不退寺は萱の御所ともいう。
ウ.海龍王寺は隅寺ともいう。 エ.白毫寺は一切経寺ともいう。(答:ア)
(2011年6月18日発行、Vol.183)

んじゃ、萱の御所、やりますか。

”平安遷都ののち、平城京をなつかしむ平城天皇は、上皇として都を再び平城京に
戻すことを画策されたが成功せず、都を逃れてこの地に萱御所を営みました。
上皇の崩御後は、皇子阿保親王と在原業平が後を引き縦ぎ、
承和14年(847)に業平自らが聖観音像を刻んで当寺を開基したのが始まりとされ、
別名「業平寺」とも呼ばれています。”
(→https://narashikanko.or.jp/spot/temple/futaiji/)

平城天皇といえば、「奈良の都に帰りたい」と願った奈良大好きのヒト。
選択肢の天皇との血縁関係を先に見ておくと。

第50代桓武天皇―――第51代平城天皇
          ――第52代嵯峨天皇――第54代仁明天皇
           ―――第53代淳和天皇

51~53代はすべて桓武天皇の皇子。
平城天皇の人生をざくっとおさえておくと…。

☆平城天皇は、幼少の頃は安殿親王(あてしんのう)といいました。
 長じて藤原薬子の娘が嫁入するも、親王自身はは母の方を気に入る(!)  
  
☆父君の桓武天皇激怒(無理もない)→風紀が乱れるとして藤原薬子を追放

☆安殿親王即位して、平城天皇になる→薬子を復活させ、自分のそばに置く。
                 (え?娘の方はどうなったの??)
                  しかし、病のためわずか三年で退位して上皇に。
       
☆平城天皇の弟・嵯峨天皇即位→薬子は上皇をあやつる存在と現天皇に認識されており、
               再度上皇から遠ざけようとする。   
               上皇は薬子の兄、藤原仲成を参議として、
               嵯峨天皇の動きを見張らせる。

☆嵯峨天皇(平安京)vs平城上皇(平城京)。
 平城上皇は「平城京を再び京とする」と詔。←上皇の反乱

 これに驚いた嵯峨天皇は藤原仲成を逮捕。妹の薬子は逃亡。
 自分の身が危なくなった上皇は、薬子と共に平城京を脱出を計画するも、
 坂上田村麻呂(!)に阻止される。
 上皇は剃髪出家、薬子は服毒自殺。

お・し・ま・い。

ということで、出題に戻れば。
平城天皇が上皇になって、南都に戻ってきたとき、住まいしたのは「萱の御所」と呼ばれたんだとさ。

★問13は、若宮祭(おん祭)が始まるのはいつの時代か、だから平安時代後期の保延年間。
(公式テキストP313)

”春日大社は神護景雲二年(768)に鎮座したと伝えられ、その後二百三十数年後に御子神として
若宮神(五所王子・天押雲根命)が出現したとされ、さらに百三十年余り経た保延元年(1135)に
独立した社殿が設けられた。おん祭は、その翌年の九月十七日から始行された。社殿では関白藤原忠通が
五穀豊穣、国民安寧を依願して執行したとする。”
P313

あれ~いつだっけ?と思ったけど、とりあえず「年間」なので山カンでいいでしょう(笑)
アバウトな感じでいいのなら、頼りない知識をなんとか総動員して導き出せばいいわけでして。

関白・藤原忠通(ふじわらのただみち)の生きていた時期というのが、平清盛と同時代。
忠通といえば大河ドラマの中で、堀部圭亮さんがやっていたインテリっぽい白塗りを思い出しますが(フフフ)

しかし、何年ってのは本当に記憶してないので(歴史は好きだが、年の暗記は嫌いだってかニガテだ)
どうしたもんかと思ったけど。
こののち武士が台頭していくってことを考えると、平安時代の前期ではなく、後期かなっと。
そんなもんです>わたしの答えの導き方(苦笑)

では、若宮さんとおん祭りのことを時系列に並べてみれば…。

 768年:(神護景雲2年・称徳天皇の御世)春日大社創健

1003年:(長保5年)天児屋根命と比売神の御子神・若宮様(天押雲根命)ご出現

長承年間(1132~1134年までの期間。この代の天皇は崇徳天皇)
     このころ大雨洪水による飢饉が相次ぎ、疫病がまん延。
     時の関白藤原忠通が若宮様のご霊威にすがる。

1135年:(保延元年)若宮社造営

1136年:(保延2年)春日野に御神霊をお迎えして祭礼を行ったところ
      霊験あらたかなり~雨は止み、晴天が続き、五穀豊穣~♪えかったえかった
      これ以降、若宮様のための祭りが行われることとなった
      →おん祭りのはじまり

ってことで、ストレートに「保延年間」って時代は覚えておいた方が楽かもしれません。
記憶容量が残っている方、記憶力に自信のある方は、ぜひストレートで覚えておいてください。

★問14は、一説に平群の椿井城を居城としたと言われ、
関ケ原の戦いで討死した武将は誰か、だから嶋左近。

歴史は好きだが、城とか、武将とか、関ケ原とかはチンプンカンプンなので(をい)
これまた、はて?どうしたもんかと思ったけど。

平群にいたんじゃないかといわれいた人物は、この選択肢の中では嶋左近だ!と自信満々。
ってことで、それはそれでアタリでした♪←まるで、アイスが当たったような言い方だけど。
アタリは当たりです。はい。

平群=嶋左近の知識は、2011年2級の問19で出た、

Q.問19 信貴山城に立て籠もり織田信長方の軍勢に攻め滅ぼされた武将は誰か。
ア.増田長盛 イ.筒井順慶 ウ.嶋左近 エ.松永久秀
(2012年5月19日発行、Vol.234)

から得たものでしたっけ。

嶋左近は戦国末期に平群谷を支配してたんではないかとされた人物。
石田三成に熱望されて抱えられ、朝鮮の役では三成に従軍しますが、関が原の戦いにて戦死。

信貴山城の松永久秀と、椿井城の嶋左近とがにらみ合ったこともあったのだとか。
(→http://blog.goo.ne.jp/manben_2009/e/f495a233027348317475b13f215fe244)

で、余談。
平群町には金勝寺というお寺があって、そこの磨崖仏の一つに地蔵立像があります。
そのお姿の左右には、
”「茶々(茶人)逆修 天正十四年丙戌卯月廿四日(1586)」の銘があり、
上部には庇を取り付けたとみられる横長のほぞ穴がうがたれている。
『多門院日記』によると、戦国末期に平群谷を支配した嶋左近清興の妻が「ちゃちゃ」であり、
その逆修供養仏の可能性が考えられる。”
(→http://www.town.heguri.nara.jp/web/kankou/bunkazai/bunkazai04-15.html)

ってことで、その地蔵さまは嶋左近の妻の逆修ではないかと「みられる」。
逆修とは、「逆」(あらかじ)め冥福を「修」める、というコトバで、
その意味は、自分が生きている間に、自分の死後の冥福のために仏事を行うこと、なんだとか。

そのために彫られた像ではないかという説があるんだけど…。
この時代の『茶々』って超有名人(秀吉のヨメ)もいますし年代も矛盾しないし。
どうなんでしょね。

金勝寺の紹介はこちらから。
(→http://blog.goo.ne.jp/mrslim2/e/71664d2679e72fee1f0c8de2408869a7)

で。
問題の島左近はゆるキャラになってます。
その名も「しまさこにゃん」という…あはは。
(→http://machinoeki.info/?mode=f12)

ひこにゃんとオトモダチ(?)です。
(→http://hikone-hikonyan.jp/)

そういうことでも覚えているんだな>しまさこにゃん…ちゃうちゃう、嶋左近じゃ。
まあ、記憶法なんてなんだっていいんだ。
要はおぼえてられりゃいんだから♪

★問15は、将軍家綱の茶道指南役となり、
「石州流茶道の祖」と仰がれる小泉藩主は片桐貞昌。
(公式テキストP116)

”寛文三年(1663)に小泉藩主の片桐貞昌が、亡父貞隆の菩提を弔うため、
京都大徳寺百八十五世の玉舟宗ばん(王へんに番)を開山として創建した寺。
寺号は貞隆の戒名「慈光院殿雪庭宗立居士」に因む。
 片桐貞昌の号は石州といい、茶人として名高く、石州流茶道の祖と仰がれる。
石州が境内に造営した庭園は當麻寺の中之坊、吉野山の竹林院と合わせて
大和三名園に数えられる。国名勝・国史跡にしていされた枯山水と借景庭園、
入母屋造茅葺の書院、切妻造杮葺の亭主床茶室、道安好みの閑茶室などはいずれも
石州設計の遺構として、重要文化財に指定されている。”
P116

ということで、ほかの選択肢の人と系図を作ってみると…。

(祖父)
片桐直貞→→→→→→→→→→→→→→→→↓
 ↓                  ↓    
(父)片桐貞隆(大和小泉藩初代藩主) (伯父)片桐且元(大和竜田藩主)
 ↓ 戒名「慈光院殿雪庭宗立居士」   賤ヶ岳の七本槍のひとり。
 ↓ にちなむ慈光院を息子が建てる   元々豊臣の家来だったけど、方広寺の鐘事件の際に、
 ↓                  徳川方に転じた   
 ↓
(本人)片桐貞昌(石州)

片桐且元って、大河ドラマの『軍師官兵衛』の中で、
小林隆さんが演じていた、ちょっと気弱な感じのヒトですよね。
(→https://news.walkerplus.com/article/88821/)

あの人が貞昌のおじさんか…、ふーん。
でもあの人は竜田藩主だったんだ!へー。

片桐且元はもともと豊臣の家臣だったけど、あれこれあって(おい)
竜田に所領を持たせたのは徳川家康。

しかし、豊臣滅亡直後に且元も亡くなり、竜田藩は子に引き継がれたが、
ひ孫の代に跡継ぎにめぐまれず断絶し、竜田藩は廃藩。

一方、片桐貞昌の直系の方は明治になるまで小泉藩で続いたそうです。

今の大和郡山市小泉町が小泉藩の小泉陣屋があった場所だけど、
大和郡山といえば、郡山藩があったところだよなあ。
狭いところで二つの藩があったのね。
ふむふむ。

こうやって人の顔(実際の人の顔じゃないんだけど。役者さんの顔)を通して
人間関係を覚えていくと楽かも。

戦国武将を”萌えキャラ”で書いている漫画があれば、
顔で覚えられてるかもしれない!
(小難しい名前の剣をさらりと覚えちゃう”刀剣女子”のごとく)

誰か描きません?(笑)
戦国武将萌えキャラ漫画@奈良編(のみで十分だ、わたしには)
それとももう、そういうのあれば読んでみたいわあ。
あれば教えて下さいね。


■編集後記■

なんだか春が来るのが遅くてやきもきしていたら、桜があっという間に咲いて、
あっという間に散って。気が付いたら…すでに30度超え。
あああ~少し歩いても汗だくな季節がキターって感じです。

先週葛城山へツツジを見に行ってきたのですが、今週くらいまでは見ごろでしたかね。
初めてツツジのシーズンの葛城山に行きましたが、聞きしに勝る光景に「あははははは」でした
>いろんな意味で☆彡

いよいよ来週末は薬師寺食堂の落慶法要。
楽しみたのしみ♪

隔週奈良訪問はしんどいですが(ハハ)
行くぜ!奈良、待ってろよ~。
てか、待っててください(拝)


★★ 最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。★★


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メルマガ名
奈良検定お勉強日記
発行周期
ほぼ 週末刊
最終発行日
2017年05月21日
 
発行部数
305部
メルマガID
0001000511
形式
PC・携帯向け/テキスト形式
カテゴリ
行政・政治・地域情報 > 地域の情報 > 関西

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