奈良検定お勉強日記

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メルマガ名
奈良検定お勉強日記
発行周期
ほぼ 週末刊
最終発行日
2017年12月07日
 
発行部数
322部
メルマガID
0001000511
形式
PC・携帯向け/テキスト形式
カテゴリ
行政・政治・地域情報 > 地域の情報 > 関西

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◆奈良検定お勉強日記◆          2017.12.07   Vol.499
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奈良検定関係のおベンキョウをした内容をメルマガにしてお届けします。

過去問を中心としたお勉強が中心ですが、問題に関する雑談なども取り混ぜて
お送りしたいと思っていますので、既に合格された方にも読み物として読んで
いただけるとうれしいです。

発行人は
2010年(第4回)に2級、
2011年(第5回)には1級、そして
2012年(第6回)にはソムリエに合格をしました♪

■□■ 本日の内容 ■□■

<< 奈良まほろばソムリエ検定 2017年 2級 問1~問25 >>

問1 「大和三山」と呼ばれる山の組み合わせで正しいのはどれか。
ア.耳成山-畝傍山-三輪山  イ.三輪山-畝傍山-天香久山
ウ.天香久山-二上山-耳成山 エ.畝傍山-耳成山-天香久山

問2「亀の瀬地すべり」地帯を形成し、大阪湾にそそぐ川はどれか。
ア.大和川 イ.室生川 ウ.宇陀川 エ.北山川

問3 吉野郡や五條市を流れる吉野川は、下流では名前は何に変わるか。
ア.十津川 イ.紀ノ川 ウ.熊野川 エ.木津川

問4 奈良市観光の象徴的な存在で、中秋の名月の日に開催される采女祭りで有名な池はどれか。
ア.あやめ池 イ.猿沢池 ウ.蛙股池 エ.くろんど池

問5 曽爾高原の山肌一面を覆うことで知られる植物はどれか。
ア.ミツバツツジ イ.ススキ ウ.カタクリ エ.オオヤマレンゲ

問6 紅葉の見事な社寺の中で「錦の里」と称されるのはどこか。
ア.正暦寺 イ.円成寺 ウ.石上神宮 エ.池神(社)※公式過去問には池神しかなかったけど…池神社かなっと

問7 室生寺境内が名所とされ、4月から5月にかけて咲く花はどれか。
ア.アジサイ イ.シャクナゲ ウ.バラ エ.ボタン

問8 奈良県には三大梅林といわれるウメの名所があるが、それに含まれないのはどれか。
ア.月ヶ瀬 イ.巨勢 ウ.賀名生 エ.広橋

問9 奈良の鹿愛護会が平成28年(2016)7月に発表した、奈良公園と鹿苑にいるシカの頭数は何頭か。
ア.555頭 イ.1055頭 ウ.1455頭 エ.2055頭

問10 崇峻天皇5 年(592)に推古天皇が即位した宮はどれか。
ア.倉梯宮 イ.豊浦宮 ウ.岡本宮 エ.厩坂宮

問11 朱鳥元年(686)に謀反の罪で刑死し、のちに二上山に葬られた皇子は誰か。
ア.舎人親王 イ.草壁皇子 ウ.大津皇子 エ.刑部親王

問12 次の飛鳥・奈良時代の皇族のうち、天智天皇の子供でないのは誰か。
ア.大友皇子 イ.元明天皇 ウ.持統天皇 エ.文武天皇

問13 平城宮で勤務していた官人たちの人数は約何人であったと推定されているか。
ア.約1,000人 イ.約1万人 ウ.約5万人 エ.約10万人

問14 奈良時代に絶大な権力を握り、恵美押勝の姓名を下賜されたのは誰か。
ア.藤原不比等 イ.藤原仲麻呂 ウ.吉備真備 エ.橘諸兄

問15 称名寺で禅を学び、「侘び茶」の創始者として「茶礼祖」と仰がれるのは誰か。
ア.千利休 イ.小堀遠州 ウ.村田珠光 エ.武野紹鴎

問16 宇陀市大宇陀区で江戸時代初期に成立した松山藩の初代藩主は誰か。
ア.織田信雄 イ.織田信武 ウ.織田長頼 エ.織田有楽斎

問17 江戸時代の嘉永年間に多くの桜や楓を植えて奈良の美観を図った奈良奉行は誰か。
ア.小俣景行 イ.溝口信勝 ウ.中坊秀政 エ.川路聖謨

問18 昭和42年(1967)に薬師寺の管主となり、伽藍の復興に努めた僧侶は誰か。
ア.平岡定海 イ.高田好胤 ウ.佐伯定胤 エ.森本孝順

問19 昭和32年(1957)に縄文時代早期の押型文土器が出土した山添村の遺跡はどれか。
ア.桐山和田遺跡 イ.竹内遺跡 ウ.大川遺跡 エ.曲川遺跡

問20 出土した回廊が飛鳥資料館に復原展示されている寺跡はどれか。
ア.定林寺跡 イ.山田寺跡 ウ.坂田寺跡 エ.川原寺跡

問21 平城宮跡の復原大極殿の扁額に書かれた文字は、誰にゆかりのある文字を集めたものか。
ア.舎人親王 イ.粟田真人 ウ.長屋王 エ.藤原不比等

問22 平城宮建設にともなって前方部が削平された第二次大極殿北側の市庭古墳は、
どの陵に治定されているか。
ア.平城陵 イ.成務陵 ウ.日葉酢媛命陵 エ.神功皇后陵

問23 江戸時代に、崇峻陵とも考えられた桜井市の大型方墳はどれか。
ア.茶臼山古墳 イ.天王山古墳 ウ.ホケノ山古墳 エ.メスリ山古墳

問24 明日香村平田にあって、猿石と呼ばれる4体の石像が置かれている墓はどれか。
ア.吉備姫王墓 イ.鏡女王墓 ウ.太田皇女墓 ウ.大伴夫人墓

問25 明日香村稲淵にあり、明神塚と呼ばれていた墳墓は誰の墓とされているか。
ア.高向玄理 イ.僧旻 ウ.南淵請安 エ.犬上御田鍬

==解答======================================================
 1-エ 2-ア 3-イ 4-イ 5-イ
 6-ア 7-イ 8-イ 9-ウ 10-イ
 11-ウ 12-エ 13-イ 14-イ 15-ウ
 16-ア 17-エ 18-イ 19-ウ 20-イ
 21-ウ 22-ア 23-イ 24-ア 25-ウ
============================================================

■さあ、では、お勉強しましょう♪■

★問1は、「大和三山」と呼ばれる山の組み合わせで正しいのは、どれか。
畝傍山-耳成山-天香久山。
(公式テキストP186)

”橿原市にある畝傍山・耳成山・天香久山の三山の総称。”

三山の位置を問う問題も頻出してますので、
公式テキストP158で場所の確認はしておきましょう。

★問2は、「亀の瀬地すべり」地帯を形成し、大阪湾にそそぐ川は、大和川。

「亀の瀬」とはここ。
(→https://www.kkr.mlit.go.jp/yamato/guide/landslide/about/location_p01.html)

奈良県境のボトルネックな位置。

”この亀の瀬は、古くより地すべりが起きる地域として恐れられてきました。
万葉集においても亀の瀬は「畏(かしこ)の坂」として登場しています。”
(→https://www.kkr.mlit.go.jp/yamato/guide/landslide/about/location.html)

畏(かしこ)の坂か…。
これは覚えておいてよいかも。

★問3は、吉野郡や五條市を流れる吉野川は、下流では紀ノ川と呼ばれています。
(公式テキストP28)

”中央構造線の走る吉野川(和歌山県では紀ノ川)によって形成された谷底平野は、
吉野川の浸食の復活によって、何段かの河岸段丘が発達している。”
P28

★問4は、中秋の名月の日に開催される采女祭りで有名な池は、猿沢池。
(公式テキストP91)

”周囲約300メートルの興福寺の放生池。興福寺の境内の南に三条大路をはさんであり、
五重塔とともに奈良観光の象徴的な存在となっている。放生会とともに毎年行われる
仲秋の名月の采女祭りは有名で、池に竜頭船を浮かべて音楽を奏する。
この池はすでに天平時代には存在したことが確実で、仏花を栽培するための興福寺の
花園の中に池があった。”
P91

★問5は、曽爾高原の山肌一面を覆うことで知られる植物は、ススキ。
(公式テキストP250)

”ススキはうらさびしい、荒涼とした印象があるが、曽爾高原のススキは圧倒的な
力で迫ってくる。”
P250

★問6は、紅葉の見事な社寺の中で「錦の里」と称されるのは、正歴寺。
(公式テキストP65)

”錦の里として知られる正暦寺は清酒が最初に造られ、天下の銘酒として世を風靡した。
紅葉がこれほど境内にあるのは酒を紅葉を焚いて温めたという古詩にちなんで
楽しんでいた名残だろうか。歴史の彩りが紅葉をひときわ美しくする。”
P250

★問7は、室生寺境内が名所とされ、4月から5月にかけて咲く花は、シャクナゲ。
(公式テキストP246)

”清涼な山あいに咲く石楠花。奈良で知られる名所といえばやはり室生寺だろう。
赤い欄干の太鼓橋を渡ると「別格本山女人高野室生寺」の大きな石標。
初夏、しっとりとした湿潤な大気と緑の深い息づかいの中、室生寺は薄紅の
シャクナゲに包まれる。
鎧坂と呼ばれる石段から金堂を見上げるあたり、さらに歩みを進めて五重塔を
見上げるあたりは殊の外の美しさ。”
P246

★問8は、奈良県には三大梅林といわれるウメの名所があるが、それに含まれないのは巨勢。

奈良県の三大梅林といえば、月ヶ瀬、賀名生、広橋のみっつです。
(→https://yamatoji.nara-kankou.or.jp/023flower_spot/?keyword=4ccac66lb6)

ちなみに、巨勢といえば「椿」です。

★問9は、奈良の鹿愛護会が平成28年(2016)7月に発表した、
奈良公園と鹿苑にいるシカの頭数は1455頭。

”〇奈良公園の鹿の総数 1,455頭(うち鹿苑内収容頭数275頭)”
(→http://111.89.143.16/app-def/S-102/blog/wp-content/uploads/2016/07/2016.7.19.jpg)

鹿の数って繰り返し出ているので、毎年チェックしておく方が無難なのかも。
それほど、急激に増減したりしないと思うので、そうそう神経質(?)にならなくても
いいと思うんだけど…。

ちなみに、今年平成29年度の鹿の数は、1,498頭。
うち、鹿苑内収容頭数272頭。
(→http://naradeer.com/common/img/aboutnaradeer/naratousu.pdf)

これで来年出てもばっちりですね(?)

★問10は、崇峻天皇5 年(592)に推古天皇が即位した宮は、豊浦宮(とゆらのみや)。

”日本書紀によると、推古天皇が592年に豊浦宮(とゆらのみや)で即位してから694年の
藤原京遷都まで約100年の間、歴代天皇は主要な宮殿を飛鳥周辺に造営した。”
(→https://www.nikkei.com/article/DGXLASHC28H2W_Y6A121C1AA2P00/)

”中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺した「乙巳(いっし)の変」の舞台として知られる
奈良県明日香村の国史跡「伝(でん)飛鳥板蓋宮跡(いたぶきのみやあと)」が10月、
「飛鳥宮跡(きゅうせき)」に遺跡名を改めた。
周辺で行われた170回を超す発掘で実相解明が進み、名称変更に至った。”

へーへーへー。
確かに、飛鳥板蓋宮って覚えていたけど。
去年の10月にこれが名称変更していたんですって。
その名もシンプルに「飛鳥宮跡(きゅうせき)」

これもちょっと覚えておいた方がいいかも。

★問11は、朱鳥元年(686)に謀反の罪で刑死し、のちに二上山に葬られた皇子は大津皇子。
(公式テキストP204)

そんな話はあるとして、実のところ二上山のふもとの
鳥谷口古墳が本当の大津の墓ではないかといわれています。

”(前略)加工途中の石棺石材を大量に使用していることから、被葬者については、
非業の死をとげ、二上山に葬られたという大津の皇子の墓とする説がある。”
P204

★問12は、天智天皇の子供でないのは、文武天皇。
(公式テキスト233 皇室関連系図を参考に)

文武天皇は持統天皇の孫、ですから、天智天皇の子供ではありません。
強いて言えば、天智天皇のひ孫ではありますけどね。

大友皇子は天智天皇の息子です。
壬申の乱は、天智天皇の息子(大友皇子)と、天智天皇の弟(天武天皇)が戦ったものだし。

その天武天皇の皇后が持統天皇。
彼女は父が天智天皇で、夫が天武天皇。
でもって、自分も天皇。
最強な血筋です★

元明天皇は草壁の妃ですが、天智天皇の娘でもあります。
あれ?
草壁の母は持統天皇で、持統天皇は天智天皇の娘。
となると、持統天皇も、元明天皇も、天智天皇の娘。

自分(元明天皇)の腹違いの姉(持統天皇)が、
自分の姑(自分=元明天皇の夫(草壁)の母)
って、古代天皇家は世代がぐっちゃぐちゃです(をい)

★問13は、平城宮で勤務していた官人たちの人数は、約1万年。
(公式テキストP37)

”近年の研究では、平城京は約七万の人口を有し、
平城宮に勤務する官人その他は約一万人を超えた。”
P37

★問14は、奈良時代に絶大な権力を握り、恵美押勝の姓名を下賜されたのは、藤原仲麻呂。
(公式テキストP39)

”藤原武智麻呂の息、仲麻呂はおばの光明皇后と結んで
橘諸兄を失脚に追い込み、光明皇后づきの官司である
皇后宮職を改組格上げした紫微中台の長官を足がかりに、実権を掌握した。

仲麻呂は天平勝宝9年(757)に、孝謙天皇の皇嗣として舎人親王の子
大炊王を擁立、祖父の不比等が作らせた養老律令を初めて施行し、
強い唐風化の政策を推し進めた。

同年には、橘諸兄の息子奈良麻呂が、不満な諸氏族に呼びかけて起こそうとした反乱を
未然に鎮圧し、文字通り最高の地位に立つ。

翌年、いよいよ大炊王が即位(淳仁天皇)、右大臣に相当する大保に
任じられて、特別に姓を恵美朝臣、名を押勝と賜った。”
P39

★問15は、称名寺で禅を学び、「侘び茶」の創始者として「茶礼祖」と仰がれるのは、村田珠光。
(公式テキストP60)

”茶礼祖と仰がれる村田珠光が住して禅を学んだことから、
獨盧庵(通称、珠光庵)という茶室があり、毎年五月十五日の命日に珠光忌法要が営まれる。”
P60

★問16は、宇陀市大宇陀区で江戸時代初期に成立した松山藩の初代藩主は、織田信雄。
(公式テキストP154)

”(前略)元和元年(1615)に織田信長の次男、織田信雄が藩主として宇陀の地を領することとなり、
織田氏松山藩が成立し、元禄八年(1695)の丹波国柏原への国替えまで四代にわたり
織田氏の藩政時代が続いた。”

「のぶお」ではなく「のぶかつ」ね>信雄。

私が奈良検定の勉強を始めた頃、これが「のぶかつ」と読めなくて難儀しました。
とりあえず「初代藩主は”のぶお”と読む信雄」とかって字面を脳内に焼き付けて、
とりあえず問題が出たら「信雄」の文字を探していました。

その後、苦節10年近く、今では読めるようになりましたので(そりゃそうだろ)
最初は丸暗記でいいですから、とりあえず覚えましょう。

★問17は、江戸時代の嘉永年間に多くの桜や楓を植えて奈良の美観を図った奈良奉行は、川路聖謨。

奈良奉行といえば川路聖謨というくらい有名な名前。
その川路の業績として有名なのが、桜の植樹。

川路が
”奈良奉行を務めたのは1846年1月から約5年半。
その間、川路は興福寺や東大寺、町の有力者らに呼びかけ、
町ぐるみの緑化運動を展開。数千本の桜や楓の苗木を若草山の山麓から
佐保川や高円山などにかけて植樹した。”
(→http://blog.goo.ne.jp/kenken1948/e/0ccdb2aefb66cda8baa5418c161864d2)

”熱心に取り組んだ施策の一つが植林・植樹だった。奉行所付属の山が乱伐で荒れているのを見て
植林に踏み切り、その数は50万本にも及んだとされる。また町の人々に呼びかけて、
住民運動の形で古都の景観整備を推進。幅広く募金や寄付を募り、東大寺・興福寺を中心に
数千本の桜やカエデを植樹した。佐保川沿いの桜もこの時、植えられたものだ。

 その経緯を記した石碑「植桜楓之碑」が猿沢池近くに立つ。
人々に求められて聖謨自らが揮毫(きごう)し、こう記している。
「歳月の久しき、桜や楓(カエデ)や枯槁(ここう)の憂い無きあたわず。
後人の若し能く之れを補えば、則ち今日の遊観の楽しき、以て百世を閲みして
替えざるべし。此れ又余の後人に望むところなり」。
桜やカエデはいつか枯れるが、後世の人々が植樹して補ってくれれば、
いつまでも楽しめる。それが私の望みだ――と。
(→https://style.nikkei.com/article/DGXNASHC2601G_X20C13A3000000?channel=DF280120166609&style=1)

川路の略歴はこちらを参考に。
(→https://urano.org/kankou/topics/kawaji/index.html)
※結構壮絶です(謎)

★問18は、昭和42年(1967)に薬師寺の管主となり、伽藍の復興に努めた僧侶は高田好胤。

現在の伽藍の復興の礎となったのが、高田好胤さん。
修学旅行生相手に説法をしている姿が有名でした。
そして、参拝者に写経をしてもらって、伽藍復興を成し遂げました。
(→http://www.nara-yakushiji.com/guide/soryo_kansyu.html)

残念ながらわたしは高田好胤さんの説法を聞いたことがないんだな。
中学・高校の修学旅行でも、京都奈良に来たことが無かったので、
学生時代にふれることはなかったし。私が奈良にはまったころはご存命だったけど、
ついにその説法を生で聞くことはかないませんでした。

CD化されているものもあるから、そういうのでも聞いてみようかな。
(→http://www.gakubun.net/pc/00000005/e/331142/c/001003005/?shop=tokusenkan&track_cd=010416)

★問19は、昭和32年(1957)に縄文時代早期の押型文土器が出土した山添村の遺跡は、
大川遺跡(おおこいせき)。
(公式テキストP254)

”名張川の屈折する部分、左岸に広がる河岸段丘上に立地する縄文時代遺跡である。
昭和32年(1957)の第一次調査の際に、早期前半の押型文土器を標式として
「大川式」の型式名所が与えられてから、現在まで七次にわたる調査が行われている。”
P254

★問20は、出土した回廊が飛鳥資料館に復原展示されている寺跡は、山田寺跡。
(公式テキストP132)

”特筆すべきは東面回廊であり、建物が倒壊した状況がそのまま残され、
連子窓などの建築部材が当時の状態を保ったままで大量に出土した。”
P133

これです。
(→http://www.asukanet.gr.jp/ASUKA2/ASUKATERA/tokubetuten_y.html)

★問21は、平城宮跡の復原大極殿の扁額に書かれた文字は、長屋王にゆかりのある文字を集めたもの。

”額字について検討した結果、文字は「大極殿」、字形は第一次大極殿建設に近い時期に書かれた
ものが妥当であるとし、詩序(慶雲4年(707))と長屋王願経(和銅5(712))から集字して
研究所内で検討を重ねた。その結果、奈良時代の扁額として楷書が相応しいこと、奥書の文中のごく
近接した箇所から「大」「極」「殿」の三文字が集められることなどから、「長屋王願経」を
採用することとし、中でも字形の整った滋賀県常明寺所蔵の巻30の奥書から集字する方針をとった。”
(→https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&cad=rja&uact
=8&ved=0ahUKEwiKoZjV8fLXAhWEH5QKHf2iDy4QFggoMAA&url=https%3A%2F%2Frepository.nabunken.
go.jp%2Fdspace%2Fbitstream%2F11177%2F513%2F1%2FBA67898227_2009_004_005.pdf&usg
=AOvVaw3xqo_w5eFUDilgKBGKj-x7)

こんな感じの文字と額です。
(→https://ameblo.jp/bun-bun-atyakotyaho-ihoi/image-12224396707-13810457526.html)

★問22は、第二次大極殿北側の市庭古墳は、どの陵に治定されているか、だから平城陵。
(→https://www.library.pref.nara.jp/nara_2010/0744.html)

もともとは前方後円墳だったものが、平城宮造営時に前方部が破壊され(!)てしまったもの。
(→http://blog.goo.ne.jp/fineblue7966/e/465c23c18b04cddb9b494fc4e895bc53)

しかもこの古墳、平城宮が造営された時(8世紀頭)に壊されたということは、
それよりも古い時代に築かれたものってわけで(どうやら5世紀頃の築造らしい)。

それが平城天皇(在位期間9世紀頭の人)の陵だってんだから、な~ぜ~ですが。
(→http://www2.atpages.jp/kofuntokaare/page734.html)

どうやら、もともとある古墳をリユースして(?)天皇陵ってしたらしいのですが…。
それは、また時を改めてお勉強しましょう(をい)
※先を急ぎますので、これくらいで勘弁してちょ。

★問23は、江戸時代に、崇峻陵とも考えられた桜井市の大型方墳は、天王山古墳。
(公式テキストP145)

”この古墳は江戸時代には崇峻天皇倉梯岡上陵とされていた。”
P145

訪問される方はこちらの映像を参考に。
(→https://ossaka.jimdo.com/%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E5%AF%84
%E3%82%8A%E9%81%93/%E8%B5%A4%E5%9D%82%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3/)

穴から入る古墳か…。
わたしにはハードル高いなあ。

★問24は、明日香村平田にあって、猿石と呼ばれる4体の石像が置かれている墓は、吉備姫王墓。

お墓の玉垣のうちに左右に二体ずつ、奇妙な石が置かれています。
(→https://blogs.yahoo.co.jp/ken_kohun/69295372.html)

もともとここにあったものではなく、
元は欽明天皇陵の堤に置かれていたようです。

それが何故吉備姫王の墓内にあるかというと、明治の頃の天皇陵の整備で、
「こんなとこ、ばーっとひけらかしているような像を
天皇陵に置いておくことはできんってことで、ここへ置かれたんでしょな」
とは、水野正好センセから聞いたことがありましたっけ。

「こんなとこ、ばー」は図はこちらを参考に。
(→http://www.jptravel.net/2013/09/post_791.html)
※言いたいことはわかる(笑)
しかし、女性の墓の中にそれを入れ込むってのも、どーなんだ?って思うけど。

もとは五つセットの変な石だったようですが、
そのうちの一つは現在、高取城の登山道の途中にポツンと置かれています。
(→http://cultural-experience.blogspot.jp/2015/03/blog-post_43.html)

★問25は、明日香村稲淵にあり、明神塚と呼ばれていた墳墓は誰の墓とされているか、だから南淵請安。

南淵請安さんとは、
”飛鳥時代の学問僧。608年小野妹子に従って隋に渡り、640年帰国。
中大兄皇子・中臣鎌足らに儒学を講じ、大化の改新に大きな影響を与えた。生没年未詳。 ”
(→https://kotobank.jp/word/%E5%8D%97%E6%B7%B5%E8%AB%8B%E5%AE%89%E3%83%BB%E5%8D%9
7%E6%B8%95%E8%AB%8B%E5%AE%89-391888)

中大兄皇子や中臣鎌足のおっしょさんといえるような人。
この人の影響で「大化の改新」が成し遂げられたの「かも」
(あ、今は大化の改新っていわないか)

その人のお墓と伝えられるのが、明神塚。

”請安先生の墓はもと朝風にあって「セイサン塚」と呼ばれていたようです
 享保16年(1731)大和志が現在の「明神塚」を当ててからこの地が墓とされるようになったようです”
(→http://blog.goo.ne.jp/fineblue7966/e/ea36b1d042cd06452827edd765155409)

周辺の雰囲気がよくわかる、写真がたくさんあるサイトを参考に。
(→http://small-life.com/archives/11/07/2420.php)

ここ、訪問したことありますけど、結構高い場所にあって、
柵とかなくって、切り立った場所から下の道を見ると結構怖かった記憶があります。

ちょっと明日香の中でも奥まった場所で(奥明日香って場所か)、
あまり観光客もこないような場所ですが、「勧請綱」とか「飛び石」とかと絡めて、
のんびり散策するとよい場所です。

■編集後記■

ドトーの2級問題、開始です(笑)
盛りだくさんでお届けします…ってか、これくらいやっておかないと、
今年中に終わらんのだわ。
ってことで、書き飛ばしているので、どんどん読み飛ばして下さい。

2級は、ほぼ過去問をあたれば合格できますので、
たくさん読んで、たくさん問題にふれれば、それでなんとかなります。
2級はパターン認識で、とにかく「暗記」で知識を蓄えましょう!

もちろん、1級→ソムリエとなったら、それだけでは無理ですけどね。
とりあえずは、2級に受からないと次に進めませんので。

とかいうものの、今回の過去問やって愕然としたことには、
わたし、繰り返し繰り返し勉強しているはずの「古墳」が、
いまだに苦手だってことでした>間違っていること多数でボーゼン。

ま、それでもちょっとずつ覚えていることもあるので、
諦めずに苦手な古墳も勉強続けていきたいと思います。

一生勉強ですよ(笑)
合格して、終わりじゃないんで(はははははは)


★★ 最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。★★


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