聖ピオ十世会だより「マニラのeそよ風」

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カトリック教会の聖ピオ十世会に所属しているトマス小野田圭志神父は、フィリピンのマニラの修道院から「マニラのeそよ風」をメールマガジンとして発信中です。主に、カトリック教会の伝統的な霊性、教義の説明をはじめ、キリスト教文化、芸術、グレゴリオ聖歌、音楽、建築の源であるラテン語の聖伝ミサについてのお話や、黙想のメッセージなどが紹介しています。

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メルマガ名
聖ピオ十世会だより「マニラのeそよ風」
発行周期
必要に応じて不定期に発行します
最終発行日
2018年02月02日
 
発行部数
81部
メルマガID
0001069260
形式
PC向け/テキスト形式
カテゴリ
生活情報 > こころ > 宗教

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メールマガジン最新号

聖ピオ十世会だより  2018/02/02 聖母の御潔めの祝日

~~~~~~~~~
マニラの eそよ風 (第437号)
~~~~~~~~~

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 典例法規によると2月2日にはミサの前にロウソクの祝福と配布があります。そこ
でフランス語では「La Chandeleur」、英語では「Candlemass」とも言われています。
「ロウソクの祝日」「ロウソク・ミサ」とでも言いましょうか。

 御潔め(「おんきよめ」と読み慣わしています)は、御降誕の聖節の最後の祝日で
す。聖伝によるとこの日まで「馬小屋」を飾る習わし(アシジの聖フランシスコが始
めた)があります。

 御潔めの祝日を最後に、典礼暦年は「御降誕」から「御復活」へと黙想のテーマが
移行します。何故なら、天主の聖母、終生童貞なる聖マリアの胸に抱かれている天主
なる幼子イエズス・キリストを見るのですが、同時に、聖母は聖子をすでに犠牲とし
て捧げているからです。十字架の下にたたずむ聖母のイメージと重なります。

 御降誕から正確に40日後、ローマ教会は聖母が幼子イエズスを神殿に捧げたこと
を祝います。御降誕では光が闇に輝きました。幼子を受けた人々はほとんどわずかで
した。聖母、牧場の牧者たちだけでした。御公現では光がエルサレム(教会)に輝き
ます。闇に住む異邦の民も光に招かれます。今日、御潔めの祝日には、光は私たちの
手に与えられます。ミサの直前に、人となった天主であり世の光であるイエズス・キ
リスト(ローソク)が私たちに与えられます。私たちはイエズス・キリストの光を手
にして、教会の外を行列します。しかもミサの時にも、福音の時、典文(カノン)の
時、光の灯ったロウソクを手にします。まさしく「ロウソクの祝日」「ロウソク・ミ
サ」です。光は今日の典礼の一部のなります。

何故でしょうか?何故なら、今日は救い主と人類との「出会い」の日だからです。だ
からカトリック教会は、救われるべき私たち人類が、今日救い主と出会い、人となっ
た天主の「憐れみを愛を込めて受け入れた」ことを祝うのです。SUSCÉPIMUS, Deus,
misericordiam tuam in medio templi tui! 天主よ、御身の神殿の中にあって、われ
らは御あわれみを受けた!(入祭唱)教会は、その時、花嫁として救い主を迎え入れ
ます。

御降誕では、教会は目立ちません。生まれたばかりの天主たる王、花婿が主役です。
御公現では、喜びに満ちて飾られ、救いの服を着飾った花嫁として現れます。御公現
の近くで祝われるカナの婚姻の宴会、イエズス・キリストの洗礼、東の博士たちの贈
り物は、神秘的な婚姻との関係で理解されます。
今日、典礼は婚姻が終わった花嫁が、花婿に先だって夫婦の寝室を飾るのです。花嫁
は花婿を腕に抱きます。だから教会は婚姻の歌を典礼で歌います。

ADORNA thalamum tuum, Sion, et suscipe Regem Christum:
amplectere Mariam, quae est coelestis porta:
ipsa enim portat Regem gloriae novi luminis:
Subsistit Virgo adducens manibus Filium ante luciferum genitum:
quem accipiens Simeon in ulnas suas praedicavit populis Dominum eum,
esse vitae et mortis, et Salvatorem mundi.

シオン(教会)よ、汝の寝室を飾れ、しかして王たるキリストを迎え入れよ:
天の門なるマリアを抱擁せよ。
何故ならマリアは、新しき光の栄光の王を運び給い、
明けの明星の上る前に生み給いし御子を手にしつつ、おとめにとどまり給う。
その御子をシメオンは両腕の抱え人々に予告せり、
「この聖子は生と死の主にして世の救い主なり」と。

 人類はこの救いの業に参与する、つまり、人類が花嫁として、救い主を花婿として
受け入れて一つの体となる、これが今日の祝日の意味です。だから東方典礼では、ギ
リシア語で「出会い」と言います。人類が神殿(教会)において、救い主と出会っ
た、ということです。教会は朝課で私たちをこう招きます。Ecce venit ad templum
sanctum suum Dominator Dominus: Gaude et laetare, Sion, occurrens Deo tuo. 見
よ!主権者である主がご自分の聖なる神殿(教会)に来給う。シオン(教会)よ、喜
びかつ歓喜せよ、おまえの天主を迎え出よ、と。その通りです。教会は喜びのうちに
主を受けました。教会は何度も繰り返します。「天主よ、御身の神殿の中にあって、
われらは御あわれみを受けた!」と。この出会いの仲介者はシメオンです。あるい
は、老シメオンは私たちの代表です。

 今日の祝日で、光が象徴するのはイエズス・キリストです。私たちの中にあるキリ
ストの命、天主の命、超自然の命です。シメオンも言うとおり、LUMEN ad revela-
tionem gentium: et gloriam plebis tuae Israel. 異邦人を照らす光、御民イスラエ
ルの光栄です。光の祝日です。(かつて存在していた異教の祭で、夜に松明を付けて
行列する不潔な行事があったのですが、それの罪を償い浄めるためにもこのロウソクの行
列が制定されました。そのために以前は償いのために紫でロウソクの行列が行われて
いました。)

 カトリック教会は、洗礼を受けてキリスト者になったばかりの信徒にロウソクを与
えます。今日は、それが繰り返されます。今日与えるロウソクは、危険の時、雷の
時、特に臨終の聖体拝領を受けるときや終油の秘蹟を受けるときに使いなさい、とし
て渡します。同時に、私たちの洗礼のときのロウソクを思い出させようとします。

Accipe lampadem ardentem, et irreprehensibilis custodi Baptismum tuum: serva
Dei mandata, ut, cum Dominus venerit ad nuptias, possis occurrere ei una cum
omnibus Sanctis in aula caelesti, et vivas in saecula saeculorum.

燃えるともし火を受けなさい。また、あなたの洗礼を咎なく保ち、天主の掟を守りな
さい。それは主が婚宴に来給う時、天国の全ての聖人らと共に、あなたが主を走って
出迎え奉ることができるため、そして世々に生き長らえるためです。

私たちが天主の子供として、キリストの神秘的花嫁の一部として、毎年この「洗礼の
ロウソク」を新たに受けるのです。「主が婚宴に来給う時、天国の全ての聖人らと共
に、あなたが主を走って出迎え奉ることができるため」にです。

カトリック教会は、私たちに絶えずイエズス・キリストを、天主の命を与えます。私
たちは手に光を持って、イエズス・キリストを手にして行列し、その後で光を保った
まま、教会に、天主の家に(すなわち天国に)入らなければなりません。私たちはキ
リストとともに天国に向かって行列します、行進します、マーチします、歩きます。
ロウソクの行列に似た行列は、枝の行列です。ロウソク行列では光を持って天国(教
会)まで、枝の行列では殉教者として、王たるキリストの騎士として、天国(教会)
まで行列します。

ミサの時も、福音の時には、受けたロウソクに火を灯します。何故なら、福音の時キ
リストは私たちに霊的にましますからです。だから歌ミサでは普通侍者がロウソクを
手にして、香係は香を持って福音書の近くに立ちます。いつもは侍者が私たちの代わ
りにロウソクを持ってくれていました。しかし今日は特別です。私たちがロウソクを
手にします。正に、「ロウソクの祝日」「ロウソク・ミサ」です。唯一の例外です。

 サンクトゥスが終わって典文(カノン)が始まると、私たちはもう一度ロウソクに
火を灯します。私たちはシメオンのように霊的に両の腕を広げて天主の御子を迎え入
れましょう。この世の光を手に取りましょう。何故、典文の時にロウソクを?何故な
ら全実体変化によって、福音の時の霊的なやり方だけではなく、イエズス・キリスト
は真実に・現実に・実体的に祭壇の上に来られるからです。

 ミサでは、マラキアの預言を読みます。主は「神殿に来るであろう」と。
「天主なる主は言い給う。見よ、私は天使を遣わす。彼は、私の前に道をととのえる
であろう。汝らの探し求める主権者、汝らの望む契約の使いは、すぐさま、神殿に来
るであろう。見よ、彼は来る、と万軍の主は仰せられる。誰が、その来るべき日を悟
り得ようか。誰が、彼を見るに堪え得ようか。なぜなら、彼は、溶かす火、布さらし
の草の汁のようである。彼は座って、銀を溶き清めるように、レヴィの子らを清め、
彼らを金銀のように清め、彼らは正義において、主にいけにえを捧げるであろう。ユ
ダとエルザレムとのいけにえは、昔の日々のごとく、古き年々のごとく、主に嘉せら
れるであろう。全能の主は、こう言い給う。」

 私たちにはこう聞こえます。「主権者」「契約の使い」は、今日、教会の祭壇に来
るだろう、と。御聖体拝領の時、私たちはシメオンのように主を受けます。私たちも
シメオンと同じく、主のキリストすなわち「油を注がれた者」を、光を見ることがで
きるだろう、と聖体拝領唱で歌われます。
RESPONSUM accepit Simeon a Spiritu Sancto, non visurum se mortem, nisi videret
Christum Domini.
シメオンは、聖霊によって、主のキリストを見るまで死なないと示されていた。

私たちにとって、聖母の御潔めは、ミサ聖祭の「奉献 offertorium」のようです。司
祭がホスチアのパンをパテナ(聖母のような役割をするパテナ)に載せて、カリスに
葡萄酒を注ぎいれるかのようです。
聖金曜日がミサ聖祭の「聖変化」で、十字架上で肉体的に(また祭壇の上では秘蹟的
に)、イエズス・キリストの御体と御血が分離します。

願わくは私たちもシメオンのように、イエズス・キリストを受けて、この世への未練
も無く次のように歌うことができますように!

Nunc dimittis servum Tuum, Domine, in pace secundum verbum Tuum!
主よ、今や、御身のしもべを御言葉の通り平和のうちに逝かせて下さい。
主よ、この地上で主をいただく以外のことは、何も求めません。
主よ、わが信仰の目は主の救いを見ました。
信仰と愛とによってわたしはわが救いなる主を有しました。
今や、御聖体によって私の体は主の聖なる体と一つになりました!

主は、私たちの暗闇を照らす真の光、わが知性とわが心を照らし出す輝く光です。
主は、永遠の報い、わが栄光、御身の民である新しいイスラエルの栄光、諸聖人の楽
しみ、心の喜びです!
Lumen ad revelationem gentium!
et gloriam plebis Tuae Israel!

 さて「友人と恩人の皆さまへの手紙 第88号」をご紹介します。本当はもっと早く
そうすべきだったのですが、それができずに兄弟姉妹の皆様にお知らせするのが遅れ
てしまったことをご容赦願います。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


友人と恩人の皆さまへの手紙 第88号

2017年11月21日

【要旨:この友人と恩人の皆様への手紙第88号において、聖ピオ十世会総長ベルナー
ル・フェレー司教は、ルターの反乱と1917年10月のロシア革命、すなわち自由主義的
弛緩と国家共産主義または国家社会主義を結び付けている深い理由を示します。「こ
の原理は、人間を、天主への依存および天主によって打ち立てられた秩序から自由に
するという目的を持っています」。フェレー司教は、共産主義者によって実行された
反キリスト教的大迫害が、ファチマで聖母によってすでに告知されていたこと、また
聖母がこれらすべての悪に対する超自然的な治療薬をお与えになっていたことを思い
起こします。】

親愛なる友人と恩人の皆様、

2017年10月の一カ月間に、人類の歴史と教会の歴史の行方を決定づけた三つの記念日
がありました。ルターの反乱、ボルシェヴィキ革命、ファチマの奇蹟です。

500年前の1517年10月31日、マルティン・ルターは、カトリック教会に対する反乱を開
始しました。100年前の11月7日、革命がロシアで勃発しました。ロシアはユリウス暦
に従っていたため、この革命の名称は「十月革命」として知られています。

100年前の何日か前の10月13日、聖母の汚れなき御心は、壮観な奇蹟によって、教会と
世界において将来起こるであろう大きな出来事を告知するご自分のメッセージが正し
いものだと保証するしるしをお見せになりました。その出来事の中には、第二次世界
大戦のような今では過去に属するものもありますが、汚れなき御心の凱旋やロシアの
回心のようなまだ起きていないものもあります。

ルターによって始められた改革は、一見すると宗教的出来事であったように思われま
す。確かに、このドイツの異端の指導者は、カトリック教会を、その基礎に至るまで
混乱させ、教皇制度、聖なるミサ、司祭職、ご聖体などを攻撃しました。人類に永遠
の救いを得させるため天主によって人類に与えられた信仰とその手段が拒否される
か、あるいは深刻な段階にまで捻じ曲げられたのです。

でも、一方に教会と恩寵という超自然の秩序があり、他方には人間の政府と市民社会
というこの世の秩序がありますが、両者の間には否定しがたい結び付きがあるため、
非常に迅速に教会に対する反乱が人間社会に広がり、今日までヨーロッパを分裂さ
せ、宗教改革を経た国々で教会に対する何世紀にもわたる迫害を始めさせ、ヨーロッ
パ中に恐るべき戦争の傷跡を残したのであり、その戦争のうちで最も悲惨だったのは
三十年戦争でした。今日、カトリック聖職者がこのキリスト教世界にとって非常に悲
しく、また非常に恐るべき出来事を記念し、祝いさえするのを見るとき、私たちは本
当にひどく困惑してしまいます。

ルターの反乱は、いわば現代思想の基礎である一つの原理、今の時代の社会すべてを
支配している一つの原理に基づいているのであり、その原理が自由主義を主張しよう
と社会主義・共産主義を主張しようと関係ありません。この原理は、人間を、自然の
レベルと超自然のレベルの両方で、天主への依存および天主によって打ち立てられた
秩序から自由にするという目的を持っています。

しかしながら、人間の本性の奥深くには、創造主に全面的に依存しているという存在
論的な現実があります。人類が天主への依存から逃れることのできる領域は全く存在
しないからです。創造という考えそのものが、このことを明確に示しています。ま
た、被造物の側にとっては、この客観的な依存は、天主なる創造主に等しく絶対的に
服従する義務を生じさせます。この服従は、人間にはごく最も普通の語句表現と思わ
れるもの、すなわち天主の掟への従順、道徳上の従順よりもはるかに超えたものにま
で拡張されます。その服従はさらに、知性の秩序、私たちの知識にまで拡張されるの
です。これは、真理の正確な定義は「知性を現実へ固執させること」、客観的な現実
へ固執させることという仕方で、私たちの理性を、私たちが負わされている現実に服
従させることです。信仰の領域においても同じ道に従うのですが、この場合は、この
服従に対応する理性が異なります。私たちの持つ自然の理性は、証拠という観点に服
従するのですが、超自然の理性は、真理である天主の権威に服従します。天主は、私
たちが信徳唱で唱えるように、私たちを欺いたりご自分が欺かれたりすることなく、
ご自分を啓示なさったのですから。

ルターは、「個人の自由な解釈」すなわち「権威によらない自由な判断」[liberum
examen]によって、この服従を破壊しました。それ以来ずっと、世界中に響き渡るス
ローガンは、「自由」という叫びになって現在に至っています。それは実際には、天
主および天主のご意志で定められた物事の秩序への反乱です。この現代の自由は、原
罪以来ずっと堕落してきた霊魂に対しておもねっています。これは今の時代における
誘惑、試みです。これは幻想です。これは空想的な夢物語であり、大天使ルチフェル
の罪とそれに続くあらゆる罪をそそのかした夢物語です。このいわゆる解放とは非常
に悪しき終わりを遂げるものであり、究極的に本当の自由とは全く何の関係もありま
せん。なぜなら、もし人間が自由であるように創造されたとしたら、それは人間が、
最終目的であり至高の善である天主に逆らうことのできるようにするためではなく、
むしろ人間が、自分を天主に導く手段を自分で選ぶことのできるようにするためでし
た。ですから、天主が被造物と分かち合いたいと望まれている永遠の幸福を得るため
の過程の中には、功徳を積むことが含まれているのです。

この自由主義的な雰囲気の中にいるせいで、これらの真理を理解している熱心な男女
は今日いかに少ないことでしょうか。それにもかかわらずその真理は基本的なものな
のです!

このまぎれもなく行き過ぎた自由主義はその論理的結論に至るのですが、それが無政
府主義であっても、ちょうど、その恐るべき熱狂の中で少なくとも250万人の死を伴っ
て20世紀に悲劇的な傷跡を残した行き過ぎた社会主義や共産主義のような物質主義の
政府という専制政治であっても、私たち現代人は、それについて深く考えているよう
には思えません。

ロシア革命は、その時代の権力のくびきに対するこの反乱で始まりましたが、その源
流はロシアのものではありませんでした。それは西ヨーロッパにありました。カール
・マルクスはドイツ人でした。ある歴史家たちによれば、ロシアは、西側の実業家た
ちによる金融支援を受けて、カール・マルクスによって苦心して作り上げられた原理
の実験場となったのです。それにもかかわらず、革命は非常に素早く宗教への攻撃を
行ったのです。そして、共産主義は常にカトリック教会を、もし可能であるならば、
他の何よりも破壊すべき不倶戴天の敵とみなしているのです。共産主義から教会に対
する最も激しい迫害がやって来ました。この迫害は今日でも、中国や北朝鮮、ベトナ
ムで続いています。

こういったすべてのことは、ファチマで予言されていました。聖母は教会の権威者た
ちとすべてのキリスト教徒に対して、地上に襲い掛かろうと脅かしていたこれらの悪
を避けるために、非常に単純な行いをするようお求めになりました。それは、汚れな
き御心への信心、天主の御母に対してなされる侮辱を償うための5回の初土曜日の信
心、そしてロシアの奉献です。

人類の病を癒やすために天によって提案された手段と、人類の歴史の中のこの瞬間に
おける各国の悲劇的運命の間には、驚くべき不釣り合いがあります。しかし、あらゆ
る人間の不安を無限に超えておられる全能の天主は、人間的な手段を必要とはされま
せん。天主にとっては、一つの言葉があれば、宇宙を創造するのに、宇宙を再生する
のに、宇宙を救うのに十分です。しかし、それは、最終的に天主の主権を認めた人類
を通してのみ起こることになるのです。「戦争は終わるでしょう。しかし人間が天主
を侮辱するのをやめないならば、さらにひどい戦争さえもピオ十一世の御世に始まる
でしょう」。「人々が私の求めを心に留めるならば、ロシアは回心し、平和が訪れる
でしょう。そうしないならば、ロシアは誤謬を世界中に広め、戦争と教会に対する迫
害を始めるでしょう」。世界の平和、そして教会の平和は、マリアの汚れなき御心へ
のロシアの奉献と密接に関係しているのです。私に個人的に報告のあった疑う余地の
ない証言によると、シスター・ルチアは死の少し前に、ある司祭に対して、「ロシア
の奉献は行われるでしょうが、大変な困難の末にでしょう」と告げました。

マリアの汚れなき御心の凱旋はいずれはやって来るのであり、私たちはそれについて
疑いを持っていませんが、そのとき戦いは猛威をふるい、今度は教会の内部でさえも
そうなるでしょう。揺れることのないように思われた信仰の柱が、その基礎において
揺れ動くのです。司教や枢機卿の中には、自分たちの新しい教師であるルターをはる
かに上回るほど先に行く者や、ルターの反乱の記念日を今年祝う者もいます。啓示さ
れた真理を擁護する者はほとんどいません。地上の教会において皆が頼りとする声
は、固く沈黙を守っています。「神の国」を侵略する教理的かつ道徳的な混乱という
闇が、現在許されているのです。

公会議の閉幕からわずか3年後の1968年12月7日、教皇パウロ六世はこう認めなければ
なりませんでした。「教会は、不確実の時代、自己批判の時代を迎えており、ある人
は自己破壊だとさえ言っています」。1972年6月29日、教皇は「裂け目からサタンの煙
が教会に入りました。疑い、不確実、問題、心配、対立があります」と演説しまし
た。今日では、それはもはや細くたなびく煙ではなく、分厚くてもうもうとした火山
噴火の煙です。聖ピオ十世は、すでにこう宣言していました。「このすべてを考慮す
るとき、恐れを抱くべき良き理由があります。その恐れとは、この大いなる強情さ
が、まるでそれが前触れだったかもしれない、おそらく終わりの日のために残されて
いるこれらの悪の始まりであったかもしれないという恐れであり、また使徒の言う
『滅びの子』(テサロニケ後書2章3節)がすでにこの世にいるかもしれないという恐
れです」(1903年10月4日付の回勅「エ・スプレミ・アポストラトゥス」から)。100
年後に、少しずつ崩壊させられている教会を目にして、何が言えるでしょうか? 201
6年6月26日にアルメニアから戻る飛行機での記者会見の間、[教皇の]その同じ声が
「ルターは義化の問題について誤っていなかった」と言うのを聞くとき、私たちの血
は凍りつきます。「私は、マルティン・ルターの意向は悪くなかったと思っていま
す。ルターは改革者でした・・・そして今日、ルター派とカトリックは、全てのプロ
テスタント各派とともに、義化の教理について一致しています。この非常に重要な点
について、ルターは間違っていませんでした」。

ですから、たとえどんなことがあっても、私たちには、聖なる教会が常に行ってきた
ことを継続する以外には、聖ピオ十世会のための、親愛なる信者の皆様のための計画
はありません。すべての時代に聖人たちを生み出してきた真理の道は、主と聖母に倣
うことによって、常に天国への確実な道、福音の道であり続けるでしょう。私たち
は、私たちがそれ以上良くすることができない確実さを持っている、天によって私た
ちに示された手段を使います。私たちのロザリオ十字軍は、公式には今年の8月22日で
終了しました。それにもかかわらず、私たちは皆様に、皆様が身に付けられたこの良
き習慣を粘り強く守ってくださるよう請い願います。それはロザリオを唱えること、
すなわち天主を非常にお喜ばせし、また霊魂たちを永遠に救うための力を持つ小さな
犠牲のことです。ただし、私たちがこの霊魂たちに私たちの親愛なる主への愛の種を
まくならばの話です。

私たちがファチマのご出現100周年を祝っている今年の終わりに当たって、終生童貞に
して天主の御母なるマリア様の教訓と要望を思い起こしましょう。聖母ご自身のお言
葉によれば、聖母の御心は私たちの避け所にして天主への道です。私たちは、私たち
を取り巻く恐るべき出来事によって落胆することなく、この希望によって生きている
のであり、私たちは皆、聖伝という宝を忠実に保存することによって現代人に対する
善を行うことができるし、また行わなければならないということをよく知っています。

皆様のたゆまない寛大さに対する私たちの心からの感謝を受け入れてください。皆様
がマリアの汚れなき御心の凱旋を待っておられる間に、天主が恩寵によって皆様に報
いてくださり、祝福を与えてくださいますように。

2017年11月21日、童貞聖マリアの奉献の祝日に、メンツィンゲンにて

+ベルナール・フェレー
聖ピオ十世会総長

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