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世界各国一周への挑戦

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世界各国一周への挑戦

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22才だった頃の秋。5年間勤めていたおじいさんが経営する会社を辞める事にした。そのまま努めていれば会社を継いで社長にもなれ世間では『安定』と言われた『道』があったのにも関わらず。けれども僕はその『安定』した生活をしてる未来の自分を想像したが自分にとっては全く面白味がなくつまらなさそうな人生だと感じた。『お金や地位でないもの』の方が価値のある様に思えた。地元を飛び出して日本一周をする事に。その後は世界各国一周。『自分の道を切り開くコツ・幸せな生き方とは・幸せなものの考え方とは』ブログもやってますhttp://www.peace-journey.jp

サンプル号


2010年22才だった頃の秋。
5年間勤めていたおじいさんが経営する会社を辞める事にした。
そのまま努めていれば会社を継いで社長にもなれて世間では
『安定』と言われた『道』があったのにも関わらず。

けれども僕は
その『安定』した生活をしている未来の自分を想像したけども

その社会の歯車の上に住んでいる以上は

自分にとっては全く面白味がなく
つまらなさそうな人生だと感じた。

『お金や地位でないもの』

の方が価値のある様に思えた。
辞める決心はしたがただ辞めるだけでは意味が無い。

親にも心配かける事になる。
辞めるからには、何か新しい事を始めなければ。

もう辞めると決めた会社のデスクの上で
真っ白なノートを広げ、半日も仕事そっちのけで考えたのであった。

辞めるとなると、共にこれからは『自由だ!!』
そう感じずには居られなかった。

考え方によっては、何でも出来てしまうじゃないか。

『安定』よりも、当時の自分はその『可能性』にかけてみる事にした。



16才だった頃の秋、とある事から一人でヒッチハイクを決行。
日本の最北端、宗谷岬まで2万円だけを握りしめ、
持ちにくい鞄に着替えと寝袋一つを詰め込み旅に出た。

当時、学校もまじめに行っていなかったバカ野郎。
盗んだバイクで毎日、昼以降に登校したり
世間では『どうしようもない人』だった自分に対して
各地の見知らぬ人達は優しく受け入れてくれたのだった。

そして嫌煙していた口うるさい『大人達』の
様々な人の考え方に初めて正面から触れたのだった。

台風が来ている時にヒッチハイクで捕まえたおじさんに
「こんな日にヒッチハイクするな馬鹿者が。」と叱られ、
そう言いながらも乗せてくれる。

一ヶ月弱の旅だったが数々の人々に助けられ、
応援があって無事に神戸に帰ることが出来た。

到着して財布を広げると中身は
出発当初の2万円が、2万千円に増えて入っていたほどだ。

そんな人情味のあるドラマを毎日、生で経験し体験が出来るという
人生の中での新鮮さが旅を好きになってしまった理由の一つに上げられるだろう。

それからは南の沖縄までヒッチハイク旅を2回ほど4年間の中で行い
いつかは、ヒッチハイクの様に他力本願な行動ではなく
『自分の力で、自分の足で、日本を周ってみたい。』
そう思う様になっていた。

そんな思いもあって日本一周を想い立ったのだ。

そしてどうにか、その生活を続ける事が出来ないのだろうか??

と考えた末の答えが『世界各国一周』だったのだ。

更に、その国を一周する事を達成するたびに
自分一人だけ『一人締め』するのではなく。

家族や仕事、色んな事を抱えている人、色んな理由で
『やりたいけども出来ない人』にも
この経験をただするだけでなく、届けたいと思った。

これから一カ国を周るごとに一冊の本を出す。

もちろんそれまでに自分も、旅に行けない時期があった。
そう云った旅の本を読んで脳内旅行をさせてもらって楽しんだものだ。


受けたら、お返しする。

世界から何かを受けるのならば
それを伝えてゆきたい。

これは日本人の大切に守って来た心
侘び寂びの心そのものだ。

体験記を書き綴って行こう。

じゃあ期間は10年続けてみよう。

例え何も無かったとしても

『成功するか、成功しないか』なんて『やってみなきゃ分からない』のだ。

そう沸々と熱く仕事そっちのけのデスクの上で腹をくくったのだった。

2011年

とはいえ、すぐに旅立てる資金も貯めてなかったので
行きつけのBarで働かせてもらえないかとお願いして
1年間ほどアルバイト。
ある程度お金を貯める事が出来て6月19日に出発。



だが…
1ヶ月と2週間が経った頃だった。


福島県を走行中、80kmくらいの猛スピードで
走って来る車に真横から直撃して跳ねられた。

自分の不注意でもあったけども
その車が見えた時には本当に死を覚悟した。

幸い目を開くと、事故直後の地面の上だった。
うぉーーーー!!生きてるー!!
あっぶねー死ぬとこだった…。「神様マジ感謝っす。」と一命を取り留めた。

目を開けた時の『まだ生きている』
と言う感覚は今でも忘れていない。

それと共に『例え、いつ死んでも後悔が無い様に自分がやるべき事』
が死の淵に立って明確に感じ取れた

。とは言うものの、左足のふくらはぎから骨が飛び出てくる
開放骨折と言う大怪我だった。
福島県の病院に緊急入院する事になった。

もちろん自転車を漕ぐ事も、立つ事すらも出来ず
悔し涙を一人流した日もあった。

事故を経て思うのは、
『生きている限りなんでも出来る』と云う事だ。

いちいち出来ない理由を考えて
出来ない世界に思考を巡らせるのではなく、

どうしたら出来るだろう?と
これからの先に、希望を見出だす。

そういった考えを持つ事が
今の現代の人達には必要なのではないかと思っています。



2011年10月

事故から1ヶ月後、神戸に戻った。

すると、ラッキーな事に日本一周の資金を貯めさせてもらったBarを
たまたま継がせて頂ける事になった。

2012年1月 〜 2014年4月

Barを経営しつつ、日々の足のリハビリはかかさなかった。
近畿圏の最高峰の山々などに出向いて登山などして順調に足を回復。

そして2014年 5月7日。
日本一周再出発する事が出来ました。

3年間も経ってしまったけども
僕にとっての夢の形は変わっていません。

これからは出会っていく人々にとって
人生を大きく変化してしまう事になる人もいるかもしれません。

新しい一歩であったり、思考、行動の変化。

僕が夢に向かってひたすら自転車を漕ぐ。

そんな輝いた姿を車から見かけたりして
ニコニコしている人を毎日見かける。

こんな『なんとでもない人』が
何らかの『影響』を与えているのがわかる。

これからも数々の出会う人達にとって
その一瞬の出会いが、他人の人生を
大きく変化させてしまう事もあるかもしれません。

そんな事があるならば

自分の身の回りを幸せに出来る様な良い事を

この世に少しづつ増やしていけたなら

自分の見る世界は
幸せな世界の人々になっていく。

大きく世界を変えると言っても
目の前の人が悲しんでいては意味がない。

だから、まずは身の回りから。
そうする事でこの世界は少しづつ幸せが増えてゆく。


自分が決めた期限まであと7年。
必ず続けます。

そして、また今日もまた一歩前へ。


平成26年6月28日 上鶴 芳彰
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2016/09/06 第27章 ねぶた祭とアイヌの祭。そして突然現る大きな壁。
2016/09/01 メルマガ27制作中のお知らせ
2016/08/01 果てなき旅の覚悟 #26号
2016/07/01 日本一周北海道道北編 メルマガ第25段
2016/06/01 リアルタイム配信。旅人4人が集結。
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