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メルマガ名
部活動NAGANO
発行周期
ほぼ 季刊
最終発行日
2015年01月08日
 
発行部数
123部
メルマガID
0001635083
形式
PC・携帯向け/テキスト形式
カテゴリ
教育・研究 > 教育実践 > 教育全般

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メールマガジン最新号

□□□□□□□□□□□□□□□□□□2015年1月7日□□□□
長野県部活動応援メールマガジン
『メールマガジン 部活動NAGANO』     第3号
発行:長野県教育委員会事務局スポーツ課
~長野県の運動部活動を応援する情報をあなたにお届けします~
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特集 『体罰は、スポーツ指導に必要ない PART1』

昨年9月に県体育センターで開催しました「運動部活動実技指導者研修会」において、筑波大学准教授 山口 香(やまぐち かおり)氏 からいただいたご講演を紹介します。
なお、山口准教授からは、講演内容を本県の各校の研修に活用することについてご了承いただいています。

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コーチングの力 ~ 体罰に頼らない指導 ~
講師 筑波大学准教授 山口 香 氏
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 はじめにかえて ~コーチングの基本は、納得と先見~
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 昨晩、世界柔道のテレビ中継がありました。今大会の日本は、個人、団体とも頑張り、男子団体がロシアとの決勝戦を迎えました。会場では、柔道好きなプーチン大統領も応援していました。
 初戦、二戦ともロシアが勝ちましたが、その後、三連勝で日本が逆転優勝をしました。さぞかし、大統領も悔しがったことでしょう。また、ロシアの柔道の強化費が下がるのではないかと見ていました。

 さて、皆様もご存知の通り、ここ数年、日本の柔道界には様々なことがありました。
 しかし、それは、柔道そのものの問題というより、柔道連盟という組織の問題だと思うのですが、「柔道」自体のイメージも悪くなり、選手に及ぼす影響も少なくはなく、立て直しが大変と言われてきたのですが、今回の世界選手権は、男女共に好結果を収め、再来年のリオデジャネイロオリンピックでの活躍が期待されます。

 私自身も、これまでは「体罰」や「暴力」に特化した話はしてこなかったのですが、今回の体罰問題が明るみになった経緯として大阪市立桜宮高校バスケットボール部の事件と全日本女子柔道の事件があり、柔道が社会問題の発端となったことについて、私自身も話をする機会が増えると同時に、責任とまでは言いませんが、「なぜ、そうなったのか?」の説明をしなければいけないと考えています。

 これから、私の考えを話しますが、皆さんのような現場の指導者にも、それぞれのお考えがあると思います。しかし、体育やスポーツの指導者が、ある程度考え方を共有し、良い方向に向かうことが大事だと考えています。
 また、単に「暴力や体罰はだめ」と封じ込めるのではなく、「なぜ、だめなのか?」をきちんと説明できることが大切だと考えています。
 なぜなら、指導者が選手への指導の際に「このプレイや今の動きはどうだ?」と言ったとき、「なぜ、だめなのか」「なぜ、こうすべきなのか」選手が納得するまで説明することで、良いプレイにつながっていくと考えるからです。
 例えば、試合において「認識したことをいかに早くプレイにつなげるか」が、一流選手になれるかどうかの鍵になると思うからです。指導者に言われた通りやることで、ある程度の形ができ、たとえ、その年代で良い成績を収めたとしても、選手自身が「なぜ、そのプレイがベストなのか」分からずにプレイしているのであれば、その先、伸びていくことが難しいと思うからです。
 要するに、指導者は、選が納得するまで説明し、選手自身で認識し、判断する力をつけてやることが、大切だと考えています。ですから、コーチングや体罰に関しても、皆さんと私が、ある程度「そうだね」と互いに納得できることが大切だと考えています。

 また、体罰を語る前に、指導者は、次の視点を持つことが大切だと私は考えます。それは、スポーツは、単純に「楽しむ」側面がある一方、体育やスポーツを教育として捉えたときに、指導者は、その先に何があるかを見て指導することです。
 「セカンド・キャリア」という言葉があります。指導者は、野球やサッカーを通じて、子どもたちが社会に出た時に、どのように野球やサッカーの経験を活かしてもらいたいか、イメージを描くことが大切です。「野球やサッカーが上手ければいい」と指導者が考えるのであれば、子どもの中にそれ以上のものは生まれないでしょう。言葉にするかしないかは別として、スポーツを通じて、どんな人間を育てたいのか、また、それがどのように社会の役に立つのか、先を見据えた指導が大切だと考えています。

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 なぜ、嘉納治五郎は「柔術」を「柔道」にしたのか?
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 それでは、私自身、専門が柔道なので、これから、柔道についてお話させていだきます。
柔道は、戦国時代に発展した剣術、弓術、空手術等の武術の一つである「柔術」がはじまりです。
 「柔術」が「柔道」に変わったのは明治時代であり、嘉納治五郎(かのう じごろう)が、「術」から「道」といった文化へ方向転換を示し現在に至ります。

 治五郎は、兵庫県の灘の造り酒屋の裕福な家に生まれ、帝国大学を出るほどの頭脳明晰ぶりで、いわゆる、お坊ちゃまタイプでした。それゆえ、治五郎のことをひがみ、理屈では歯が立たなくても、腕っぷしで治五郎をやっつける者も少なくなかったと言います。
 いじめにあう中、治五郎は「世の中をリードするには、頭が良くて理屈を並べるだけでなく、腕力も大切だ」と考えるようになり、いじめの仕返しという不純な動機で柔術を習い始めます。

 「柔術」について説明しますと、「術」の目的は、相手を倒すことであり、それも、できれば一発で致命傷を与える技を身に付けることにあります。また、自分が倒される危険性もあり、命の獲り合いの「術」は、恐怖心に負けず、自分の力を発揮しなければならないため、禅の世界に近い精神性の高さが求められ、「武士道」とつながっています。
 そのため、柔術には弱者を強くするという考えはなく、今行われている柔道は、畳の上で安全に配慮しながら系統的な指導をしますが、当時の柔術は、受け身の指導もなく、いきなり板の間に投げられます。
 また、指導者は教えることをせず、「見て、投げられて、感じて、身体で覚えなさい」が当然であり、これが、日本の指導の特徴にあると私は考えています。

 治五郎も、散々投げられ、痛い思いをしながら、見様見真似で技を覚え、強くなっていきました。
 ある日、自分が強くなったことを自覚した治五郎は、「今こそ、リベンジの時」として、その機会を待ちます。しかし、待てども、待てども、治五郎をいじめようと近寄る者は誰もいません。
 ふと、治五郎は、ある考えに至ります。「柔術で心と身体を鍛えることで、内なる自信がみなぎり、自ずと相手に強さが伝わり、戦わずにして戦いを収めることができたのではないか。柔術は素晴らしい。私は、この素晴らしい柔術を後世に伝えていきたい」

 治五郎が生きた時代は、武士の時代が終わり、西洋文化がどんどん日本に入ってくる大きな変革期でした。後世に柔術を伝承しようと考えた治五郎は、これからの社会に柔術が必要とされるには、「術を目的にするのではなく、術を手段とした人間教育」が必要、つまりは「道」を目的にしようと考え、「柔道」としました。
 例えば、茶道がお茶の飲み方だけを学ぶのであれば、茶道に意味はありません、お茶という手段で、人間教育を行うのが茶道の目的であり、つまり「道」の文化となります。

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 「道」の文化における「型」とは
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 日本には、茶道、華道、書道など「道」の文化がたくさんあります。そして、私たち日本人は、少なからず「道」の文化の影響を受けていると思います。また、日本の教育の根本に「道」の文化があると私は考えています。

 「道」の文化の特徴として、例外なく「型」があります。
 なぜ、「型」があるのかと言えば、「道」の文化には「流祖」と呼ばれる人がいて、例えば、茶道や華道の家元を遡ると、その道の流派を起こした流祖がいます。流祖は、自分の作った流派を後世に伝承する方法として「型」をつくります。インターネットが普及した現代の情報社会とは違い、「元祖○○ラーメンの出汁のとり方」というように、師匠から弟子へと脈々と「型」が人伝いに受け継がれていきます。
 また、「型」は「基礎」と捉えられています。例えば、家の基礎工事が大事なように、基礎がきちんとしていないと、その上にどんな建物を建てても、崩れ落ちてしまいます。
 人間の教育も同じで、基礎をきちんとすることが大切とされ、さらに、基礎はそれ自体大きな差はないと考えられています。

 一方、「型」がどのような方法で伝えられてきたのか、それが、日本の指導の特徴として表れていると考えています。
 例えば、茶道では、一杯のお茶を飲むための一つひとつの所作が決まっています。もちろん、それらには理由があるのですが、お茶の先生は、その説明をほとんどしません。
 「型」を身に付けるにあたっては、有無を言わさず、良いとか悪いとかの理屈ではなく、没個性に徹し、徹底的に身体に覚えさせるようにしています。だから、「道」の世界では、「練習」ではなく「稽古」という言葉を使います。
 「稽古」という言葉は、「古いものを考える」と読みます。つまり、決められた「型」を何百、何千、何万回と繰り返す中、「流祖がこの型を通して伝えたかったのは何か?」自分で考えることが大切とされ、「型」には、人間としての生き方や日本人の美徳などが詰まっており、「型」をある程度やり終えることで、ようやく「人間としての基礎」ができると考えられています。

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 「型」の先にあるもの ~守破離(しゅはり)の思想~
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 さらに、「道」の文化には、「型」にとどまらず「守破離(しゅはり)」という師弟関係の思想があります。
 ・「守」(しゅ)…「型」を徹底的に守り、人間として、必要な基礎(生き方、考え方)をつくる。
 ・「破」(は)……「型」を経て、「型」と自分を照らし合わせ、自分らしく「型」を工夫する。
 ・「離」(り)……「型」から離れ、個人として自由になる。
 この思想は、「一芸に秀でる者は、多芸に通ず」の発想で、ある道を極めた者は、何においても通用し、社会に貢献できるという考えであり、私は、西洋文化と比べても遜色ない素晴らしい文化だと思っています。

 しかし、今、日本で実際に行われている武道やスポーツの指導は、往々に「型」の指導が強過ぎるため、そこを突き破って自分らしいスタイルを作ることができない選手、選手が競技を離れた時や社会に出た時のことを見据えた指導ができていない指導者が多いのではないかと感じています。
 さらに、「型」の文化が「身体に覚えさせる」ことにあるため、指導現場での「体罰」に関与しているとも考えますが、私たち指導者は、「型」の先にある「守破離」の思想も知り、指導することが必要と考えます。

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 段位制度に見る「自己の完成」と「世の補益」
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 また、治五郎は柔道の目的として、「自己の完成」と「世の補益」を掲げています。
 強くなることとは、相手に勝つことでなく、「自己の完成」を目指すものとし、相手との真剣勝負によって、自分の精神力や技能を計ることができると言っています。したがって、元々が命の獲り合いであった柔道ですので、命を懸けてまで戦ってくれる相手に尊敬と感謝の気持ちで「礼」をすることになります。

 さらに、柔道を競技と捉えたとき、一番強いのは、女性では3段や4段、男性では4段や5段になると思います。また、柔道の目的が金メダルの獲得であれば、20代で柔道が完結するものと思います。
 しかし、柔道には「段位制」があります。私は、現在6段ですが、3段より強いかと言われればそうではなく、競技力に比例しない段位制があるのは、柔道の目的の一つが、「世の補益」にあるからと考えます。
 柔道を通して、自分を高め、完成させていくことにより、柔道で培った精神で社会貢献をすることが大切にされ、段位制に反映されているわけです。

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 スポーツでの成功を収めることによって背負う十字架 
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 剣道との違いの一つに、柔道がオリンピックの道を踏み出したことが大きく、それにより、柔道に脚光が浴びることになるのですが、私が不思議に感じていることは、例えば、25歳の選手が世界大会で金メダルを獲った時、世間があまりにも大きく持ち上げることにあります。
 金メダルを獲るまでは誰にも相手にされなかったのに、金メダルを獲った途端、どんな一言を発しても「さすが、チャンピオン」と褒め称えます。確かに、柔道では世界一になったのかもしれませんが、人間として、まだまだ駆け出しの25歳が、世間から大きく騒がれることにより、自分を見失い、人としての道も誤りかねないと考えるからです。

 私は、「一番頑張った選手が、一番になるとは限らない。それが、勝負の厳しさ」と選手に言います。
 また、金メダルを獲った選手は、決して偉くなったわけではなく、より高い「自己の完成」が求められるようになり、逆に言えば、一生重い十字架を背負うことになったと考えます。
 例えば、世間が「山口 香」という名前を忘れても、オリンピック出場の記録、金メダル獲得の称号を消すことはできません。アスリートの善い行いは、一流の人間がすることとして当たり前に見なされますが、それとは逆に、世間一般の人だったら隠せる程度の悪い行いでも、マスコミをはじめとし、世間から厳しい非難を受けることになります。

 スポーツで実績を収めること、名誉や栄誉を得ることは、責任が生じるということであり、これからオリンピック出場やメダルをねらう選手たちに「メダルを獲ったら終わりではない。獲ったところから始まる」「世間の人が、オリンピアンやメダリストに求める人間像に向かって、努力を続けていかなければならない。」ことを伝えることも、指導者の大切な役割だと考えています。
 つまり、治五郎の言葉「自己の完成」「世の補益」は、オリンピックに出場する選手に伝える価値のある言葉と考えています。

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 「精力善用」と「自他共栄」
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 「世の補益」に関わって、治五郎は「精力善用」「自他共栄」という言葉を使っています。要は、「柔道で身に付けた力を良い方向に使え」ということであり、社会に貢献することを示しています。

 一般に、柔道家は身体が大きくても気持ちは優しい人、スポーツを行っている人は紳士的と思われがちですが、実際、個々がどうかは分かりません。極端に言えば、相手に勝つこと、つまり「術」だけを徹底的に教えられていたとしたら、ゴリラを育てて社会に送り出しているようなものです。
 例えば、柔道家が飲んだ勢いで隣の人と喧嘩になって投げたとすれば、それは許されないことであり、犯罪となります。

 良く切れる包丁は素晴らしい料理を作り出しますが、使い方を間違えれば凶器にもなる。柔道も同じであり、強い人間を育てる一方、「使い方」もセットで教えなければいけないということです。
 学校教育も同様で、知識を教えるだけでなく、社会に貢献されるように教えなければ意味がなく、知識を教えて悪い人間をつくるのであれば、教えない方がいいと考えます。

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 ナショナルチームとは…  ~私が怒った理由~
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 女子柔道の体罰問題が明るみになり、私自身も怒りを感じて様々な機会に発言してきましたが、メディア等により、問題がすり替えられてしまった気がしています。
 当時、私はナショナルチームのコーチの暴言と一般のスポーツのコーチの暴言を分けて考えていました。
 なぜなら、スポーツにおいて厳しい指導はつきものであり、柔道にいたっては、それ自体がルールのある取っ組み合いで、暴力に近い面もあるため、ある程度の厳しさは、自分の中で許容していました。でなければ、もっと以前から問題提起をしていたことになるでしょう。

 では、私がなぜ怒ったのかと言えば、ナショナルチームの問題だったからです。
 ナショナルチームとは、国民の代表と言うべき日の丸をつけて戦います。日本を知らない外国の方は、ナショナルチームを通して、日本人を知り、日本人を想像します。だから、技術だけではなく、いろいろな意味で最高峰の選手を育成する理念のもと、私たち指導者は、日夜指導を行っています。
 その日本代表選手を集めた合宿において、コーチが選手を殴る、蹴るとは、私にとっては考えられないことであり、逆に、殴られなければやらないような選手を選んでいるのかと疑いたくなります。

 選手は、練習をすれば強くなると考えます。特に、モチベーションが高い選手ほど、練習過多になってしまいます。中学、高校、大学等の指導も同じで、勝ちたい意識が強い選手は、練習のし過ぎによって、疲労性骨折や貧血を患ったり、そこまでいかなくても、体調不良により本番で力を発揮できなかったりすることがあります。
 指導者は、選手と同じではなく、少し離れた視点に立って、練習過多の選手にストップをかけたり、コントロールをしたりすることが、役割ではないでしょうか。
 また、逆に、モチベーションが低い選手に対しては、コーチが引っ張り上げてやることも考えられます。その方法は、時として、厳しい指導が必要になることがあるかもしれません。

 日本の女子の柔道は、男子の後付けのように始まりました。最初は、強化費や試合が少なく、特に、女子のコーチを引き受ける男性の指導者も少ない環境だったので、とにかく弱く、誰にも相手にされませんでした。だからこそ、とにかく勝つしかなく、勝って認めてもらいたい、勝つことで環境も変えられると信じて頑張りました。
 やがて、強くなり、注目されるようになると、これまで見向きもしなかった指導者がコーチを引き受けるようになりました。
 しかし、いかにも、俺たちが強くしてやったと思うのは、いかがかと思います。もちろん、コーチの指導が強くなった一面ではありますが、選手自身が頑張った結果であることを、まず受け止めるべきであるのに、それを跳び越えて、男性コーチが、女性選手に殴る蹴るとは、決して認められるものではありませんし、もちろん、ナショナルチームにおいてそのようなことが行われることは、絶対に許されるものではないと考えています。以上が、私が怒った原因です。

 私としては、違う面(ナショナルチームのあり方)で問題に感じていたのですが、メディアが「女子柔道で暴力」と先行し、世論も同じ方向で流れていったため、私自身もきちんとした考え方を持って発言をしなければいけないと思い、「ナショナルチームではだめと言うが、ナショナルチームでなければ、暴言や暴力はいいのか」深く考えました。
 当然ですが、結論はだめであり、なぜだめなのか、私なりの考えを述べさせていただきます。

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 東京オリンピックの16個の金メダル
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 私は、1964年(昭和39年)東京オリンピックの年に生まれました。当時のスポーツは、今と全く違うと感じていますし、また、当時のスポーツ経験者が指導者となり、今のスポーツをつくってきたわけですから、もしかしたら、変わらなければいけないところが、変わらずにそのままきてしまった感じを受けています。

 当時のスポーツは、「巨人の星」が象徴しています。主人公は強制ギプスを付け、厳しい父親に鍛えられて成長します。今なら児童虐待で、絶対に許されるはずがなく、アニメといえども指導が入ることでしょう。また、私は女の子でしたから、「アタックNO.1」を見ていました。イケメンのコーチが、厳しい指導で、至近距離からボールをぶつけ、罵声を浴びせます。主人公は、涙を浮かべ、苦しくったって頑張ります。子供ながらに「スポーツとは、こういうもの」と私も心に刻み、バレーボールではありませんが、柔道を始めたわけです。

 では、なぜ、当時そのようなスポーツ観があったのか、それは、時代が後押しをしていたと考えます。
 戦後から高度経済成長に向かう中、国民に求められたのは、一に我慢、二に我慢、三に我慢、そして、根性です。そうすれば、必ず夢は叶う。その急先鋒に立ったのが、スポーツだったのです。

 ところで、東京オリンピックでは、日本は16個の金メダルを獲りました。アテネでも16個の金メダルを獲りましたが、ロンドン7個、北京9個。東京オリンピックから50年経ちますが、一度も東京の16個を超えてはいません。
現在、「金メダル1個1億円」と言われ、多くの予算をスポーツに投資していますが、なかなか、2桁に乗せることが難しいことが分かります。

 東京オリンピック当時は、靴やウェアーはもちろん、食べ物すら乏しく、強化費も欧米に比べて到底及ばない中、16個もの金メダルを獲れたのは、なぜでしょうか?
 それは「根性」、今とは比べ物にならない「根性」でした。もちろん、メダリストの中には、科学的な考え方やトレーニングもあったでしょうが、当時の日本のスポーツのキャッチフレーズは、根性、努力。そうすれば、夢は叶う、金メダルが獲れる。それが、日本を牽引する原動力だったのです。

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 お金で夢が買える時代から、現在は…
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 当時を生きた私自身が、現在とは違い、根性や努力で夢が叶う時代だったと信じています。なぜなら、お金で夢が買える時代、物で幸せが計れる時代でした。冷蔵庫、カラーテレビ、二層式の洗濯機など、家電が増えていくことで豊かさが感じられる時代でしたし、私の家に初めて車がきた日は、家中の掃除をして車を迎えました。
 それら夢の実現は、いつ寝ているのか不思議に思うくらい、頑張って仕事をする両親のおかげでした。

 忘れられない思い出の一つに、父親がお酒を飲んで帰るとき、お土産を買ってくることがあります。誕生日にしろ、クリスマスにしろ、特別に何かもらえることは、何でも嬉しかったですし、お土産のケーキを3人の兄弟で獲り合って食べたことが、幸せを感じる一部分でした。
 今の子どもはどうでしょうか。父親がお土産を持って帰っても喜ぶでしょうか。

 私の子どもは、サッカーをやっていましたが、親として応援できることは差し入れだろうと、試合がある度に、冷たいものや甘いものを持って行きました。
 すると、今時の子どもは、「申し訳ないけど、甘いものは苦手なんだ」と、必ず何人かが言います。
 そう言う子どもには、「人から物をいただいたら、先ずはありがとうと言いましょう。君たちの好き嫌いは問題ではなく、人が好意で持ってきてくれたこと、その気持ちに対して、感謝の意を示すことが大事です」と話をします。

 一方で、私自身、そういう子どもの気持ちも分からなくはありません。町にはコンビニや自動販売機があって、いつでも甘いものが買えますし、家の中に菓子が山積みにあっても誰も食べようとはしない、そのような時代に生まれ、育ってきた子どもたちです。何で、夢を感じて、つかむことができるのか、そこを私たちは考えなければいけないと思います。

 同じ時代に育った指導者は、今の子どもの気持ちも分かるかもしれません。しかし、若い指導者の中にも、私たちの世代に育てられ、古き良きものを継承することだけに固執してしまうと、間違った方向に導きかねないと危惧しています。

 スポーツの指導も、時代によって変化が求められます。しかし、私たち指導者は、変化に対して不安を感じ、なかなか受け入れようとしません。これまで、私が受けた指導の中にも、今ではタブーとされながら、長年続けられてきた指導があります。例えば「練習中に水を飲まない」や「うさぎ跳び」がそうです。
 逆に、今では必要以上の水分をとる選手もいますが、より高いパフォーマンスを得るため、適切に水分をとらせる指導が必要ですし、うさぎ跳びにしても一律にいけないのではなく、年代や方法を工夫すれば、効果的な場合があるのではないでしょうか。

 指導者は、時代の変化に対応するとともに、絶えず勉強していくことが大切なのではないでしょうか。
 また、指導者が時代の変化を受け入れなければ、これからの社会に役立つ人間として育てていくことも難しいと言わざるを得ません。

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 これからの社会が求める人間とは
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 時代の変化によって、スポーツは変化します。今は「巨人の星」ではなく、「キャプテン翼」です。主人公が楽しそうにサッカーをやっています。
 では、現在はどのような時代なのか、そして、時代が求める人間とは、どのような人間でしょうか。

 どのような時代になろうとも、「我慢」と「根性」は必要と私は思いますが、現在、多くのことを「我慢してやるのは、機械の仕事」であり、人間は、もっとクリエイティブなことが求められています。
 掃除機が勝手に床の掃除をする時代です。昔は自分の手でやったことも、現代では、電化製品が概ねやってくれます。
 例えば、明日、世界中の発明が終わりを告げても、不自由はないと思います。逆に、これ以上便利になる必要があるのかとさえ思います。

 つまり、今まで以上に、よりクリエィティブな発想、アイディア、考え方、イノベーションが求められる時代が来ていると考え、今までと違う発想で、教えられてきたことを突き破る。守破離で言えば、「破」「離」に重点を置くような子どもを育てていかなければいけないと考えます。

 なぜなら、「我慢」や「従順」では、これからの社会において生きていくことはできません。昔は、親の言う通りに勉強し、いい大学、いい会社に入り、じっと我慢していれば、年功序列で昇進・昇給もしました。
 しかし、今はどうでしょうか?
 一流大学を出たからといって、就職できない人がどれだけいるでしょうか。会社から、いつリストラされるか分かりませんし、会社そのものが、明日にもつぶれるかもしれない時代なのです。
 そのような時代に生きていく子供たちを、私たちは育てていかなければならないのです。

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 デジタルネイティブ世代の価値を認めること
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 私たち指導者は、選手に「変化」を求めます。例えば、試合後には、「今日の結果を反省し、次に活かすためには、自分自身が変わらなければ、だめだろう」と選手に言います。
 しかし、本当に「変化」を受け止め、自分を変えていかなければならないのは、指導者側にあると私は考えています。「変化」を受け入れ、対応していくのは、大変なことですが、社会に役立つ子どもを育成するためには、まず、指導者が変わる覚悟をもつことが大切だと考えます。

 私たちの世代は、「説明書の世代」です。新しく家電を買ってきても、まず、説明書を読まないと製品に触れることができない。下手に操作して壊れてしまうのを怖れる世代だと思います。
 しかし、今の子どもは、説明書を読むことはしません。梱包を開けるとすぐに触り、ケータイにしろ、パソコンにしろ、触りながら覚えて、できるようになっていきます。

 今の指導者が、まず受け入れなければいけないのは、ある意味そこだと思います。
生まれながらにしてインターネットやパソコンのある生活環境の中で育ったデジタルネイティブの世代は、我々より情報量が豊富で情報への適応力も優れています。
 スポーツ選手も同様で、指導者が知らないことでも、選手たちが知っていることも多々あります。そこで、私たちがわかったふりをしたり、むやみに否定したりするのではなく、「そうなんだ」「また、教えてね」と、彼らの良い点を認めることが必要と考えます。
指導者は、全部知っている必要がないのです。また、そうでなければ、私たち自身が息苦しくなってしまいます。

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 「はじめてのおつかい」に見るコーチングの基本
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 「はじめてのおつかい」という番組がありますが、私は、この番組にコーチングの基本が伺えると思っています。
 就学前後の子どもに、親が心配しながらも一念発起して、「はじめてのおつかい」をお願いします。家を出るまで泣いたり、駄々をこねたりしていた子どもが、見知らぬ人に道を尋ねたり、歌を歌って自分を奮い立たせたりと、おつかいの中で様々なドラマを繰り広げ、親でさえ知らない表情を見せます。

 それは、親と一緒の買い物では決して発揮できない力であり、子どもが一人で行くからこそ発揮される勇気や知恵です。困難に出会った時、親に頼る、あるいは、親が守ろうとします。しかし、親がいないので、一人で乗り越えようとします。そして、「できた!」という成功体験。
 「はじめてのおつかい」を終えた子どもは、「やった!」「できた!」という顔で、例外なく笑っています。番組を通して、ちょっとお兄さんになったと思う位、顔つきも変わります。一方で、親は泣いています。

 私は、「負けて学ぶことは、非常に多い」また、「負けて学ぶことができるのは、人間だけ」と思っています。負けたことにより、知恵を得て、負けたことを糧に、次の勝ちにつなげることができるのです。

 しかし、負けて得られないことが一つあります。
 勝たなければ得られないこと、それは「自信」です。
 指導者側から言えば、勝たせること、成功させることで与えることができるのが「自信」です。
 だから、負け続けている子は、いいところまでいくけど、最終的には負けてしまいます。それは、勝つ方法を知らないからであり、「また負けるのではないか…」と、いつも不安に思っています。
 そんな子を、無理にでも勝たせることが、指導者の力にあると思います。
 そして、一つの成功体験が、次の挑戦を生み出します。次の困難を乗り越える子どもの力につながっていくと考えるのです。

 「この番組で何を学ぶのか?」「誰のための番組か?」と尋ねられれば、私は「親のための番組」と言います。親は子どもを自分の手 から離す勇気が必要です。手をつないだままでは、子どもが持っている力、一人で困難を乗り越える力を引き出すことができません。

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 ゲームの中で監督(指導者)がしてやれること
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 スポーツの指導者も同様です。監督は、ひとたび選手を試合に送り出せば、横から声をかけることはできても、手を貸してやることはできません。たとえ、どんなに大差で負けていて、どんなに選手が苦しがっていても、手助けすることができないのです。
 この夏の高校野球では、茨城県代表の藤城高校は甲子園の初戦で初回に8点先取しましたが、終わってみれば10対12の逆転負け、 また、石川県大会の決勝戦では、星稜高校が小松大谷高校と対戦し、0対8から9回裏にサヨナラ勝ちを収めました。

 勝ったチームを持ち上げるより、「負けてしまった選手たちが、野球をやめてしまってはいないか」と負けたチームに私は思いを寄せます。
 試合を想像すると、どこにも逃げられない、ギブアップもできない、1点、1点と追い上げられていく中、ピッチャーは投げる球もなくなり、屈辱的な長い時間を過ごしたのだと思います。
 その中で、監督がしてやれることは何か、選手に任せるしかないのです。3つアウトをとって、ベンチに帰ってくるまで待ってやるしかないのです。どんなに選手が屈辱的な思いをしていようと何もしてやることができない。
 しかし、だからこそ、選手が強くなるのだと思います。
 スポーツの素晴らしいところは、手を貸せないところにあると思います。だから、たとえ、屈辱的で残酷な経験だろうと、やがて、それが素晴らしい経験となり、彼らの人間的な成長の糧となっていくのだと思います。
 そういう意味では、藤城高校や小松大谷高校の生徒は、これから生きていく上で、何一つ怖いことはないと思います。しかし、先述したように、彼らの自信を取り戻させ、次に挑戦できる気持ちを奮い立たせるのが、指導者の役割だと思っています。

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 コーチングのスキル
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▼(1)指導者は常に教材を見つけ出す→Q&A          ▼
▼(2)相手に伝える(伝わる)言葉を持っているか?       ▼
▼   意味もなく長い話をしていないか?            ▼
▼(3)常に選手の前にいる→学べる環境、ネットワーク→Open mind ▼
▼(4)OnとOffの切り替え→冷静と情熱の間            ▼
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 「みる」と「Q&A」
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 「みる」という意味の漢字を思いつくだけ書いてみます。
 「見」「視」「監」「観」「診」「看」「瞰」「覧」「覗」「占」「賭」「胥」
 私の先輩のラグビーの指導者から教えていただいたコーチングに必要な「みる」です。
 また、その先輩に、「コーチングの仕事は、何ですか?」と尋ねた時、「答えは、選手の中にある。持っている力を引き出してやったり、気づかせてやったりすることがコーチングです」さらには、「Q&A」が大切だと教えていただきました。
 つまり、「いい質問(問いかけ)をする。そのことにより、いい答えを引っ張り出す」ことがコーチングでは大切なのです。

 指導者は、様々な場面を想定し、仮想の場面を作ってやることが大切です。例えば、暑い時、寒い時、国際大会になるとスケジュールの変更も頻繁にあります。様々な状況やハプニングはつきもので、私が経験した中においても、試合中、突然、停電で会場が真っ暗になったこともあります。
 そのような様々な状況に、どう適応していくか、指導者は、選手の中に引き出しをつくってやることが大切です。だから、「Q&A」といっても、A(答え)を教えるのではないということです。

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 「~たら・~れば」の連続を正しく認識し、素早く対応を考える習慣
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 体罰問題が明るみになり、指導者のスキルが問われるようになりました。私は、スキル(技術)という面で、指導者が最低限持っているべきポイントが、いくつかあると考えています。

 まず、「Q&A」という点では、指導者がどのような質問をするかが大事で、いい質問は、選手が考える習慣を身に付けさせると思います。
 例えば、試合に負けた選手に「なぜ、負けたんだ!」と言い、選手が「弱かったからです」と返し、「じゃあ、次は頑張れよ!」では、絶対に勝てるようにならないと思います。
 質問は一通りではありませんが、選手が気づくような質問でなければならないと思います。
 「あの時、なぜあのプレイを選んだか?」「あの場面で、どんな気持ちになったか?」という指導者の質問に、選手は試合を見返します。もしかしたら、指導者が指摘した場面は、選手にとって山場と考えてなかった場面であったりするが、良く考えてみる、先生がおっしゃるのも分かるというように、自分なりの考えを膨らませていき、自分なりの答えを見つけ出すようになる。
 その訓練をさせていくことで、やがて、選手は自問自答するようになります。

 スポーツに「~たら・~れば」はないと言いますが、試合中は、常に「~たら・~れば」の連続です。相手があることなので、一つのプレイで全て上手くいくことはなく、むしろ、上手くいかない方が多い中、自分で「何が、だめなのか」「何が、通じているのか」を認識し、次のプレイに早くつなげていける選手が、優れた選手と考えます。

 試合の中で、同じ失敗を何回も繰り返すようではだめで、初対戦の相手であったり、相手からの奇襲もあったりするので、一回目の失敗は仕方ないと思います。
 柔道では「一本」と言われたら終わりですが、「技あり」ならば、まだチャンスがありますので、選手は素早く気持ちを立て直し、「なぜ、投げられたのか」を認識し、「どう守り、どう攻めるか」と考えをつなげていくことが重要です。

 それが、試合でできるかできないかは、日頃の訓練からであって、指導者は、それができる選手を育てていかなければならないと考えます。
 そのため、「ああしなさい」「こうしなさい」と指導者が言ってしまうことは、「指導した感」があり、また、その方が手っ取り早い時もあるのですが、長い目で選手のことを考え、選手自身が、自ら成長していけるように、考えさせる習慣づくりが日頃の練習から必要と考えます。

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 相手(選手)に伝える言葉 と 冷静と情熱の間
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 体罰については、様々な事例を見たり聞いたりしていますが、「言うことを聞かない」「言った通りにやらない」という指導者が結構多いのですが、それは、指導者の言葉が相手に伝わっているという前提に基づく考えだと思います。しかし、選手に伝わっていないことが多くあります。また、選手も、分からなくても、「はい」と条件反射のように返事をしている場合があります。
 分からないことは、分からないと言わせる指導が大切なのですが、日本では、幼い頃から「口答えをするな」「理屈を言うな」といったしつけもあるので、「分かりません」と言える選手にするには多少時間がかかりそうです。

 また、指導において、特に、気を付けなければいけないのは、カッとなっている時です。頭の中が整理されていないため、選手が理解できるよう伝えることも難しいですし、いいことはありません。
 私も、カッとなりながら選手を指導している自分をテレビで見たことがあるのですが、自分で、何を言っているのか、よく分かりませんでした。それ以来、試合後のミーティングをやめるようにしました。

 相手(選手)に伝えるためには、まず、自分自身が何を伝えたいのかを明確にすることが大切です。
 以前、NHKでサッカーフランスW杯のドキュメンタリー番組がありました。その中で、試合前のミーティングで、細かな指示を与えたり、選手を鼓舞したりする監督の姿がありました。
 不思議なことに、次の映像でも、全く同じミーティングのシーンが繰り返され流れています。実は、最初の映像は、誰もいないミーティングルームで監督が予行練習をしている場面だったのです。
 また、マサチューセッツ工科大学に「白熱教室」という一般の方への公開講座があるのですが、講座を担当する大学教授が、物理学など、難解な理論を分かりやすく説明するために、予行練習を行っています。

 それらを見て、これまでの自分が、そこまで徹底してやってきたか、「教える」以前に「伝える」ことが大切で、自分の意図が正しく相手(選手)に伝わらなければ、全く意味がないことに気づかされるとともに、その努力をする監督や教授に畏敬の念を感じざるを得ませんでした。

 また、自分の選手時代を振り返ってみると、競った試合の後半になると、「いけ!」「やれ!」と檄を飛ばしてくれる監督の気持ちは十分に伝わるものでしたが、その言葉は、応援でしかなかったと思います。
 監督や指導者は、「冷静」と「情熱」の間に立つことが大切と考えます。つまり、選手を鼓舞するため、熱くなる演技も必要でしょう。しかし、常に冷静に試合を分析し、選手に伝えるべき「言葉」を持っていることが大切で、それが「スキル」なのです。

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 Open mind ~自分に足りないものを常に考える~
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 さらに、指導者には、絶えず学ぶ姿勢が必要だと考えます。
 「私にはできません」と選手が言った時、指導者はそれを良しとするでしょうか。「努力が足りない」「もう少し頑張ってみよう」と言うのではないでしょうか。指導者も同じで、「オープン・マインド」の精神で、「自分には何が足りないのか」「この分野をもっと研究する必要があるな」と常に考えることが大切です。

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 コーチングの前提
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▼(1)自分の思い通りにはいかない!               ▼
▼(2)選手(生徒)の夢が、指導者の夢(逆であってはならない)  ▼
▼(3)自分のコーチングに整合性はあるか? 説得力を持っているか?▼
▼(4)選手育成に偶然はない→計画・立案・実行          ▼
▼(5)「今、すべきこと」「今、すべきではないこと」       ▼
▼   一貫性のコンセプトを理解する               ▼
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 思い通りにいかないことを前提に
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 自分が産み、育てた子どもですら親の思い通りにならないのに、全く異なる環境や価値観で育った子どもに「自分の思い通りになれ」ということが、そもそも間違いなのです。
 指導者も人間ですから、選手の態度や言葉に腹を立てることもあるかと思います。
 しかし、「選手は、反抗や口答えもすることがある」と考えているのと、「選手は、言うことを聞くもの」と考えているのでは、大きく結果が違ってくるのだと思います。

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 選手の夢が、指導者の夢
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 指導者は、知らず知らずのうちに、自分の価値観を選手に押し付けてはいないか、考えることが大切です。親は、できるものなら、子どもには困難な人生を歩ませたくないですから、「勉強しなさい」「いい大学に入りなさい」と言いますが、それは、「子どもの夢」ではないでしょう。

 部活動に入っている生徒たちに「勝たせてやりたい」と、指導者は思います。
 でも、皆が「勝ちたい」と思っているかどうかは別の話になります。「このチームにいること自体が好き」という生徒だっていますし、当たり前ですが、みんなが世界チャンピオンになれるわけではありません。

 しかし、指導者は、「勝たせなければ…」とつい思いがちです。でも、そうではなく、一人一人の夢、目指すところが違うことを踏まえ、その子が何を目指しているのかを知り、そこに寄り添うことを考える必要があると思います。

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 自分のコーチングに整合性はあるか?
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 コーチングの整合性は、先述しました「伝える言葉」と同じです。選手に「なぜ?」と聞かれたときに、答える言葉を持っているでしょうか。
 日本人の指導者が鍛えられていないのは、選手が質問をしないことが原因とも考えます。
 しかし、「なぜ?」と思う選手は必ずいるはずです。指導者は、「なぜ、この練習なのか」「なぜ、このプレイがベターなのか」「なぜ、このメンバーなのか」聞かれないから、考えないのではなく、常に、コーチングに整合性を持たせるとともに、説得力のある言葉を準備すべきだと考えます。
 また、その準備が、いい指導につながると考えています。

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 選手の育成に偶然はない。そして、「今、すべきこと」と「今、すべきことでないこと」
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 指導の前提には、やはり、きちんとした計画のもと、月や週のトレーニングを立案し、実行していくことが大事です。
 また、一貫指導に関わって、選手がどこで花を咲かせるのか分かりませんが、「今、すべきこと」と「今、すべきことでないこと」を分けて考える必要があります。

 例えば、今年の全国高校軟式野球準決勝は、延長50回に及ぶ試合となり、敗戦投手となった高校生は、4日間で689球を投げたそうですが、これには、一貫指導の概念はないと思います。
 車が、何万km、何十万kmと走れば、パーツ交換が必要になるように、人間の身体の部位も使うことで消耗していきます。車は、パーツを交換すればいいのですが、人間の身体の部位は、交換できません。
 今回は、高校の監督に問題があるのではなく、ルールに問題があると私は考えています。また、延長戦が続いていく中で、現場の大人による決断が必要だったか、とも考えています。いずれにせよ、協会や連盟だけでなく、現場の指導者が声を上げていく必要があると考えています。

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 TEAMで選手を育てるために
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 現在、選手を育てるのに必要なのは、「チーム○○」なんだと思います。いい指導者といい選手がいれば、育つとは限りません。学校の先生、親、地域、もちろん教育委員会も含めて、みんなで選手を育てることが大事であり、また、それによって、勝利の喜びは二倍、三倍になっていくのです。

 そして、「手柄をとり合わない」ことが大事です。指導者の中には、「あの選手のことなら何でも知っている」と、自分の手柄のように話す人がいます。確かに、選手との信頼関係が結ばれているのでしょうが、私は、その選手が自立できていないと考えてしまいます。
 自分の子どもであってさえ、ある時を境に全く分からなくなります。学校での様子を担任の先生から伝えられることで、家では見せない姿を知ることになります。しかし、それは悪いことではなく、友達、先生、親、それらに違う顔を持つことが、大人へ成長するということではないでしょうか。
 選手の全てを知るということは、監督が選手に無理を強いているのではないでしょうか。指導者が知らない一面があって然り、選手の色々な顔を認められる余裕が、指導者には必要だと考えます。

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 おわりにあたり  ~あなたは私の翼を運んでくれる風だから~
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 夢が叶うとは限りません。「努力すれば、夢は叶う」という言葉は、嘘ではないですが、かなり確率は低いと思います。頑張った人がみんな一番になれるほど、一番の席はありません。
 しかし、大事なことは、「過程」なのです。頑張ることは、柔道の「自己の完成」と同じで、自分を進歩させることができるのです。
 過去にはなかった自分が見えるようになります。そして、それを見せてやるのが、コーチングです。
 おわりにあたり、指導者として私自身を戒めながら、好きな言葉と音楽を皆様方に贈ります。

 「You touch the future!(我々は、選手の未来に触れている)」
   アンディ・ロクスブルク(ヨーロッパサッカー連盟テクニカルディレクター)

 「学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない」
   ロジェ・ルメール(サッカー前フランス代表監督)

 「選手とともに夢を持ち続ける Bestはない。明日は今日よりもBetterに」
   マイケル・チャン(テニスコーチ、現在は錦織圭のコーチを務めている)

 ♪Wind Beneath My Wings 愛は翼にのって♪
  「cause you are the wind beneath my wings(和訳:あなたは私の翼を運んでくれる風だから)」
   ベッド・ミドラー(アメリカ 歌手 女優 映画監督)


【人物紹介】山口 香(やまぐち かおり)氏

■人物概略
 東京都豊島区生まれの元柔道選手
 第3回世界柔道選手権(ウィーン)で、日本人女性柔道家として史上初の金メダル獲得
 愛称は、「女姿三四郎」
 得意技は、小内刈
 筑波大学准教授であり、柔道指導者、現在は六段

■主な戦績
 全日本女子柔道体重別選手権10連覇(1978年~1987年)
 ソウルオリンピック         (1988年)52キロ級 銅メダル
 世界柔道選手権   ニューヨーク  (1980年)52キロ級 銀メダル
           パリ      (1982年)52キロ級 銀メダル
           ウィーン    (1984年)52キロ級 金メダル ※日本女子史上初
           マーストリヒト (1986年)52キロ級 銀メダル
           エッセン    (1987年)52キロ級 銀メダル
 アジア柔道選手権  ジャカルタ   (1981年)52キロ級 金メダル
           クウェート   (1985年)52キロ級 金メダル

■筑波大学准教授
 専門分野
   柔道方法論
   スポーツマネジメント
 研究テーマ
  「オリンピック及びワールドカップなどにおいて個人またはチームが最高のパフォーマンスを発揮するためのマネジメント」
  「トップアスリート育成におけるタレント発掘と一貫指導」
 著書・論文
  「女子柔道の歴史と課題」
  「日本柔道の論点」
  「図説 新中学校体育実技:柔道」

■その他の業績及び活動
 (公財)全日本柔道連盟強化委員会女子強化委員(2013年)
  東京都教育委員会委員(2013年~)
 (公財)日本バレーボール協会理事(2013年~)
 (公財)全日本柔道連盟監事(2013年~)
 (公財)日本オリンピック委員会理事(2011年~)
  コナミ株式会社取締役(2014年~)
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