あるきすと平田のそれでも終わらない徒歩旅行~地球歩きっぱなし20年~

あるきすと平田のそれでも終わらない徒歩旅行
~地球歩きっぱなし20年~

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どうして徒歩でユーラシア大陸を旅行しようなどと無茶なことを思いついたんですか?

サンプル号にも書きましたが、大学時代に横浜から富山の実家まで歩いたり、奥の細道を歩いてみたりと、徒歩旅行に関しては社会人になる前に経験していたんですね。いわゆる普通の旅行は、それはそれで面白いんだけれど、歩く旅行はそれに輪をかけて面白いということを体感としてわかっていたんです。ただ、まさか大学を卒業してからも歩くとは思ってませんでしたけれど(笑)。

それが、20代の後半くらい、雑誌の記者をしていた時期ですが、もう一回歩きたいな、という思いがむくむくと起きてきたんです。そして、どうせ歩くのなら世界で最も長い道のりを歩いてみたいな、と思ったのが海外を歩く旅行のきっかけだったと思います。

実際にルートを探ってみると、どうもユーラシア大陸の端から端までがもっとも長い道のようだから、じゃあそれを歩いてみよう、と。東西の端から端まで歩くという目標を立てたわけです。

当初は大陸の東側、つまり日本に近いところから出発して、だんだん西のほうに歩いてゴールを目指すということを考えていたんですが、僕が旅行を始めようと思っていた1990年ごろと言うのは、中国を外国人が徒歩で旅行することはできない状況でした。今は問題ないんですけど、当時は今よりいろいろ厳しい規制があったんです、外国人の旅行には。そんなわけで仕方なしにポルトガルからスタートしたんです。

目論見としては、僕が歩いているうちに中国もいろいろ考えを変えて、外国人でも徒歩旅行できるようになるんじゃないか、と言うのはありましたね。見切り発車です(笑)。さらに言うと、ゴールは韓国の釜山を考えていたんですが、僕がゴールする頃にはもう北朝鮮はなくなってるだろうと考えてました(笑)。朝鮮半島は統一されているだろうなーなんて勝手に考えていたんですが、北朝鮮、しぶとく残ってますね。それが誤算と言えば誤算ですね(笑)。

ちなみに今はどこまで歩かれたんですか?

上海です。今までも基本的には海に近い国道を歩いてきたんですが、これからもそんな感じになると思います。山東半島っていうちょっと大きな半島が中国にあるんですが、そこをぐるっとめぐる形になるんじゃないかと。

ゴールが釜山と言うことは、北朝鮮国内も歩くんですか?

そういうビザは北朝鮮からは現段階では下りないので無理ですね。ですから、中国と北朝鮮の国境ギリギリのところまで歩いて行って、そこからいったん大連か瀋陽まで戻って、韓国の仁川まで飛行機、もしくは船で移動してそこから再び歩き出す、と言う形を考えています。北朝鮮はこういう旅は一切受け入れてくれないし、僕も密入国してまで歩くつもりはありませんから(笑)。

ゴールまであとどれくらいかかりそうなんですか?

上海から釜山まで、概算で3000kmくらいだと思うので、今までのペースを考えれば、半年くらいの行程かなと思ってます。

平田裕さん

今8月ですから、すぐにスタートしたとしても真冬に朝鮮半島付近を歩くことになりそうですが、厳しいのでは?

ああ、冬場になりますね。実を言うと、この旅行で真冬に寒いところを歩いた経験はないんですよ。今まで冬場も歩いたのは、フランスの南部だとかイタリアの北部、それと一部トルコなんですが、やっぱり地中海沿いの国っていうのは、冬と言っても雪が降るほどでもないので、長そで長ズボンで歩けばそれほど寒くもなかったんです。トルコの内陸部は雪も降るし、スリップ事故も多いということで危険だと判断して、その時は日本に帰ってきているんです。

今回、中国の北部を歩くころには確実に冬になっていると思うんですが、中国東北地方の海沿いの道はそれほど雪が多くないと聞いています。もしスリップ事故などが頻繁に起こっていて、交通上もの凄く危ないとなれば帰国も考えますが、今のところは歩こうと思っています。

経験から言うと、暑い中を歩くよりは気候的に寒い方が楽じゃないかと思っているんです。インドで49℃の中を歩いていたんですが、暑いと歩く気が失せます。今回は冬場にかかってしまいますが、それほど危惧していません。

やはり暑さは堪えますか。

そうですねー。インドではトータルで1年4カ月くらい歩いてるんですが、雨季に入る直前ぐらいがもっとも暑いんですね。だいたい4月~6月くらいでしょうかね。暑さでおかしくなるのには段階があって、まずは脱水症状みたいになります。それを我慢して歩いていると、意識が一瞬飛ぶようになるんです。テレビの放送が終わった後の“砂の嵐”みたいな、ああいう感じに一瞬目の前がザザザッっとぶれるっていうか、景色が一瞬飛ぶんです。

そういうことを何度か経験して、これはヤバいなと思いつつインドの英字新聞を読んでみると、毎日インド人が100人単位で熱中症で死んでいるという。「次は俺の番じゃないか!?」っていう不安感に襲われて、「これはもう撤退だ!」と。無理して歩いてもしょうがない、という感じで、2年連続で帰国しました。やっぱり暑さは大敵です。

そういう中を歩くのには水は必要不可欠だと思うんですが、やはり生水には気を付けていたんですか?

極力、気を付けてはいました。今はどうだかわかりませんが、僕がアジアを歩いていた頃、今から10年以上前ですが、田舎の方ではミネラルウォーターはなかなか手に入りませんでした。どうするかと言うと、ココナッツ、ヤシの実を売っているので、それを買うんです。1個5円~10円、高くても20円くらいでしたね。それをナタで割ってもらって水代わりに飲む。おいしいのですが、一回割っちゃうと飲みきらなければいけないわけで、多い物だと1リットルくらいの量を一気飲みです(笑)。

それがないときには、生水を飲んでいました。で、ほぼゲリしていましたね。ゲリ症状は毎日あったんじゃないかなと。インドが一番ひどかったです。

では、歩いていて一番つらかったのは?

インドですね。暑さもあるし、インド人と合わなかったというのもあるし、カレーもからかったし(笑)。世界中の人といろいろ話してきたけど、インド人は図抜けて変わってるなと思いました。

子どもはなんにでも興味を持ちますよね。「なんでなんで?」とか「これどうなってるの?」なんて、質問もしてくるじゃないですか。これは日本を含めてどこの国も同じ。でも、大人になれば、興味はあっても隣の人に「なんで?」「どうなってるの?」なんて聞きませんよね。だっておかしいじゃないですか、全然知らない人にそんなこと聞くの。普通だったら、“大人になってそんなことを聞いたりしたらおかしいって思われる”とかって考えますよね。ところがインドの人たちっていうのは、子どものまま大人になってしまっている。子どもの“興味津々さ”を持ち続け、大人になっても「なんでなんで??」としつこく聞いてくるんです。

決して悪いことだとは思いませんよ。思いませんけど、やっぱり毎日そういう大人たちにワッと来られると疲れるし、いい加減にしてくれよってなってしまうんです(笑)。むこうにしてみれば、なんでこいつ怒ってるんだろうってことになるんでしょうけど。

じゃあ当然、二度と行きたくない国は…

それぞれいい体験もしているので、言いづらいんですが、インドは今度行くのなら、バックパッカーとしてではなく五つ星ホテルのツアーで行きたいですね。無用なことをいろいろ考えたくないんです。猛暑の中で宿を探す辛さ、飲み水がどこにあるかわからず右往左往する、なんていう旅っていうのは、精神的にけっこう厳しいですからね。

では、何度行ってもいいな、と思う国は?

これははっきりしています。スペイン、イタリア、トルコ、あと僕の場合は長くいたベトナムですかね。

ベトナムには何年いらっしゃったんですか?

5年~6年くらいですかね。むこうで女性と付き合っていましたから。南部のホーチミン市にいたんですが、当時ベトナムは、社会主義の国っていうのもあっていろいろ厳しくて、外国人と現地の人間が、結婚を前提としない、あるいは結婚の意思がないのに一緒に住んではいけない、っていう法律がありました。だから皆さんどうするかというと、地元の交番に毎月ワイロを持っていくんです。相場で50ドルって言ってました。そうするとお目こぼししてもらえて同棲ができるわけです。でも僕は同棲はしていませんでした。

僕はもっと古風な形で、夜這いです。付き合っていた彼女はバツイチで生後6ヶ月の女の子を抱えて実家で家族と住んでいたのですが、そこに週3回くらい、12時とかそこらになると訪ねて行って、コンコンと。そうすると、彼女のおじさんに当たる人がカギを開けてくれる。ちなみに、そのおじさんにもお小遣いをあげるんですけど(笑)。

ベトナムだけではないと思うんですが、向こうで現地の人と結婚したいと思ったら、その本人と両親、兄弟全員の経済的な面倒を見るというくらいの気構えがないと、あとから「話が違う」と言われるところがあります。『グッドモーニング・ベトナム』っていう映画の中で、デートにベトナム人の彼女の一族郎党がついてきちゃうっていうシーンがあったけど、あれです、あのまま。

僕はそのシステムっていうのはおかしいと思ったし、何よりしがないバックパッカーなわけだから、そんなに大金持っているわけではないし、正直言って彼女の一族みんなを養うのは無理でしたよね。でも、なんかよくわからないんだけどもそのうち、彼女と付き合うっていうことよりも、生後6ヶ月の娘の面倒を見るほうが楽しくなってきちゃって、僕が粉ミルクとかオムツとか買いに行って与えていました。不思議な疑似家族のようなものだったのかもしれませんね。

そこからまた歩き始めるきっかけは?

富山の実家の父が交通事故で亡くなったんです。それが一念発起した大きな理由ですね。

肉親が亡くなって、ようやく目が覚めたと。

そうそう、それくらい腰が重くなってて、根っこが張っちゃって。これがバックパッカーの世界で言う“大沈没”ってやつです。人間、こんなに怠けられるのかっていうくらい怠けていましたから。ダメ人間なんですよ、基本が(笑)。

よく、何のために歩いてるんですかって聞かれるんですが、単純な貧乏旅行でしかないんです。中には、世界平和のために歩いているのか、なんて聞いてくる人もいるんですが、正直、そんなことを意識したこともないし。移動手段が歩きなだけっていう、単なる僕の自己満足の貧乏旅行でしかないんです。だから、なんのためにって聞かれるのが一番困るんです。大義名分なんてないわけですから。

逃避なんですよね、ある意味。日本にいたら働かなきゃいけないですよね。でも、向こうではゲリしながら歩くだけなんだけど、なんか気分的にはやることやってるかな、っていう気にはなれるんです。歩いてますからね。だから、誰のためでもなく、僕の自己満足の世界。でも歩くって決めたからには、とにかく一筆書きでつながるくらい頑張って歩いてみたいっていうのは変わっていません。こんなに時間がかかるとは思ってなかったけど(笑)。

平田裕さん

読者に何か一言お願いします。

人生をなめてかかっても、生きてはいけます。当然、なめた分のしっぺ返しはあるんだけれど、だからと言って死ななくてもいい程度には生きられる。そういうことをやっている僕を見て、笑ってくれればいいな、っていうか、もう笑ってもらうしかないなって思います、馬鹿な旅をやっているっていうのを(笑)。

一種のバーターっていうのかな、捨てたものは捨てたし、その分得たものは得た、と言うか。生き方もほかの人とずいぶん違っちゃいましたね。今のところ僕も、これでいいのかなっていう不安がないわけではありません。でも、これまで体験してきたことを否定する気はまったくありません。“面白いことをやってきた”っていう気持ちはありますしね。それをメルマガで書きたいと思っています。読んでいただければわかると思いますが、普通こういうことは経験しないし、まあしようとも思わないでしょうけれども(笑)、そういうことを比較的楽しんでやっている人もいるっていうのを知ってもらうのもいいかな、と思っています。“実録地球の歩き方”ですから。とりあえず笑えますよ。

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平田裕さんプロフィール

1962年4月13日富山県魚津市生まれ。横浜市立大学卒。大学1年で横浜から富山まで東海道・北陸道経由で18日間歩き、3年のとき東京深川から山形県鶴岡市まで23日間かけて奥の細道を歩いたことで、徒歩旅行の魅力にハマる。卒業後は中国専門商社マン、週刊誌記者を経て、ユーラシア大陸を徒歩で旅しようと、1991年ポルトガルのロカ岬を出発。おもに海沿いの国道を歩きつづけ、路銀が尽きると帰国してひと稼ぎし、また現地へ戻る生活を約20年間つづけている。ポルトガル出発からタイ到着までの約5年間は東京のラジオ局で生中継による現地リポートを毎週敢行し、好評を博した。

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