1987年10月19日「ブラックマンデー」の思い出と教訓=石川臨太郎

ブラックマンデーのとき、株式投資を始めたばかりの私は「天国から地獄へ」を経験しました。しかしこのような暴騰や暴落を経験することで投資家が成長することも多いのです。(『億の近道』石川臨太郎)

「やばい」売買が成立せず、気配値だけが下がっていく恐怖――

根拠のない自信に満ちていた当時の私

私は株式投資を始めたころに「ブラックマンデー」を経験しました。

そのブラックマンデーのときは、電気興業<6706>というアンテナメーカーで私も「天国から地獄へ」を経験しました。しかし、利益を上げて逃げられたのはラッキーだったと感じています。高くなってから買い増していたら大損害を受けるところでしたから、やはり運があったのだと思います。

【関連】プロ任せは危険!「投資信託ビンボー」にならないための資産運用入門=俣野成敏

私は当時ナンピンという買い下がり方法を学んで、それを実践で使っていました。

1987(昭和62)年1月14日 630円で1000株購入
1987(昭和62)年3月03日 600円で1000株購入
1987(昭和62)年3月12日 580円で1000株購入
1987(昭和62)年4月04日 501円で1000株購入
(この株は月足チャートでみると昭和62年4月16日に475円で大底をつけています)

しかし、ある日突然、私が買っていた電気興業ではなく、ヨコオ<6800>(当時東証第二部、現在東証第一部)というアンテナメーカーの株が暴騰し始めました。

「なんで電気興業ではなくヨコオなんだ…」と腹が立ったことは言うまでもありません。でも、「いや、いつか電気興業だって上がるに違いない」という、変な確信が芽生えました。

私が電気興業を仕込んでいるとき、電気興業よりより安かったヨコオ(1987[昭和62]年2月9日現在420円)は、なんと1988(昭和63)年の2月には4,200円まで上昇することになります。

ジリジリしながら待つうちに、思った通り電気興業株への投資も報われる日がやってきました。電気興業もストップ高を伴って暴騰を始めたのです。1987(昭和62)年8月31日に1,640円まで一直線に上昇しました。

「2倍になったら半分売れば投資額を全額回収できる。残った株は元金ゼロで株で儲けた利益だけが残ったコストゼロの株だ。コストゼロの株を作ろう」と最初は考えていました。でも私は自分で作ったシナリオどおりに行動することは出来ませんでした

1,000株だけは売りました。1987(昭和62)年8月22日に840円で売りました。しかし、株価は8月31日には1,640円になったのです。たった9日後に2倍になったのです。

こうなるともう当初のシナリオは頭から飛んでしまいました。儲かっているのに、儲け損ねたことで気分を悪くしていました。いま考えると、とても馬鹿らしいことですが、このときは本当に自分に腹を立てていました。

残りの4,000株はもう握りこんだまま、テコでも動かないと決心しました。その時、ヨコオが2,000円以上になっていました。だから「電気興業だって絶対上がる」と何の根拠もなく考えていました。信じ込んでいました。

しかし、その後はなかなか上がらないのです。ヨコオは3,000円近くまで上がってきているというのに、電気興業は少し下がってそこでうろうろしている。でもヨコオの株価上昇を見ているので、私の欲はパンパンに膨れ上がっていました。

Next: 膨れ上がった期待が弾けるとき…1987(昭和62)年10月19日に何が起こったか?

1 2

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

MONEY VOICEの最新情報をお届けします。

この記事が気に入ったらTwitterでMONEY VOICEをフォロー