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投機との出逢いと失敗の日々~プロローグ

鉄火場の懐かしい面々

記憶に焼きつく大投資家・投機家、というテーマでエッセイを書かないかと言う。私は咄嗟に幾人かの人々を思い出した。大投資家はもちろん、株式売買の鉄火場での思い出に残る面々が、瞬時に何人も脳裡を駆け巡った。

「スマートガイMさん」(ウォール街では「聡明な奴・M」の意)や「犬走りのPさん」など、何もかも皆懐かしい。彼らからは種々の悪智恵(から身を守る法)を学んだ。

「犬走り」とは塀の外側に沿って敷いてあるコンクリートのこと。「塀に沿って走っているが決して塀の中には入らない」の意。無論、この「塀」と言うのは刑務所の塀のことだ。このI氏は塀の内外の境界で活動するが塀の向こうには決して落ちず「口笛吹きながら塀の上を歩いているのさ」と“豪語”する男だった。

ここで語るべき人物は枚挙に暇がないが、いちばん多くを私に教えて去った、あの人のことを忘れるわけにはいかない。私が深く学んだ或る顧客(Kさんとしよう)だ。

「そんなことを俺に話すなよ!」

1970(昭和45)年、私が日本橋1丁目1番地(※1)の野村證券本店営業部で4年半を勤め、紀州和歌山支店に赴任してからのことだ。私はKさんに、ある銘柄のカラ売りを強く薦めて、大損させてしまったのである。

買った株の損は、ゼロ円以下の株価はないのだから損金額は限定されるが、株価の上昇には制限がない。理論的には無限大もあり得る。だからカラ売りの大損は保証金の全額よりも損金の方が何倍も大きい場合があり、保証金のすべてが素っ飛んでも不足した損金を新たに現金で入れなければ解決されない。これが鉄火場の鉄則であって、なんぴとたりとも容赦されない。

その時の大損は尋常の手段では解決できず、或る「ウルトラC」を使って処理した。このウルトラCは犯罪スレスレのことだから今でも書きたくない。処理の直後、その方法を支店長に尋ねられて正直に話すと、支店長が驚いて「そんなことを俺に話すなよ!」と叫んだ。が、彼が聞いたから話したのだ。

その時の支店長とは今でも年に3回くらいは会って食事会をするが、45年前の事を「あの時は驚いたなあ」と語る始末だ。

Kさんは私に深く学ばせ、人生の哀歓を訓え、私の誕生日と同じ日に、桜の散る中を爽やかで華やかな生涯を終え、彼岸に渡って時間の流れを止めた。だが、Kさんの御長男(現在66歳)、姪御さん、そしてそのお嬢さんとは今でも親交がある。

第5代国鉄総裁とKさんの不思議な縁

さて、そのKさんと同じ銘柄を同じ時期にカラ売りして大損した或る著名人が、身代を潰しそうになり「蒼くなって」損金を処理したということを、事後8年後の1973(昭和48)年に知った。

1992(平成4)年には、そのことを城山三郎も伝記に書いている(※2)から実名をここで挙げてもいいだろう。三井物産の元社長で、時の総理・池田勇人氏に懇願され第5代の国鉄総裁を務めた名物総裁で快男児、石田禮助氏(※3)である。

ここで快男児・石田禮助氏に繋がるか、と私は勝手に彼を“戦友”と決め、氏の大損失から15年が過ぎた1985(昭和60)年に、Kさんと一緒に彼の墓に詣でた。この「事後15年」には大きな意味がある。次回で触れる。

彼の墓は鎌倉の円覚寺にある。私は拳々服膺(けんけんふくよう)して自戒とするために今も財布に入れて持ち歩いている、あの時の損金の計算書を持参して円覚寺の入り口右側の石田禮助氏の墓前にお参りし、般若心経を三度読経してきた。

そのついでに、円覚寺から徒歩10分の銭洗弁天(※4)へ行ってきた。ここで紙幣に柄杓で水を掛けると2倍になると言う。参詣者はみな、1万円札に柄杓で水を掛けていたが、私は1万円が2倍になっても仕方ないと思っていたから、事前に用意した証券会社の残高照合書と銀行通帳に柄杓で水を掛けた。たくさん掛ける方が効き目が大きいと考えてザブザブと掛けた。

その後に大きなツキが来た。4回も来た。やはり豊富にザブザブと掛けたから効能あらたかだったのだ。事前に証券会社の残高照合書を用意して行くという“真摯な行動”に、弁天様が報いてくれたのだろうか――。

顧客のカネで学んだこと、失敗から学ぶべきこと

私は、じつに多くを学んだ。忸怩たる思いで書くが顧客のカネで学んだのだ。「忸怩たる思いで書くが」と前置きせねばならない、当時学んだことは非常に多い。

相場変動は経済学の教室で起きているのではない。それは市場というジャングルで行われるのだ。そして、ジャングルにはジャングルの掟がある。だがそれは、何をやっても勝手次第と言う野獣の世界ではない。そのことも学んだ。私の真の出身大学は「ジャングル大学だ」と言える。懐かしいのは、その大学の教授たちだ。

いよいよ本題に入る次回は、このKさんに薦めたカラ売りの具体的な顛末と、「生涯の大失敗から学んだ教訓」について触れよう

投資家は、成功からは何も学ばず喜んで終わり、失敗からこそ学ぶ。それ、かのバートランド・ラッセル(※5)も言ったではないか。「残念ながら我々は善人からよりも悪人からの方が多くを学ぶものだ」と。

※1 日本橋1丁目1番地
現在の東京都中央区日本橋1丁目9番1号、日本橋野村ビルディング

※2 城山三郎も伝記に書いている
『粗にして野だが卑ではない 石田礼助の生涯』(ISBN-10:4167139189)

※3 石田禮助
いしだれいすけ(1886-1978) 戦前の三井物産で海外支店長を歴任し、大豆・錫等の取引で成功。78歳で第5代国鉄総裁

※4 銭洗弁天
神奈川県鎌倉市佐助の銭洗弁財天宇賀福神社。宇賀神・弁財天が祀られ銭洗信仰で有名

※5 バートランド・ラッセル
Bertrand Arthur William Russell(1872-1970) 英国の哲学者、論理学者、数学者。第3代ラッセル伯爵。1950年度ノーベル文学賞を受賞

山崎和邦(やまざきかずくに)

山崎和邦

1937年シンガポール生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。野村證券入社後、1974年に同社支店長。退社後、三井ホーム九州支店長に、1990年、常務取締役・兼・三井ホームエンジニアリング社長。2001年同社を退社し、産業能率大学講師、2004年武蔵野学院大学教授。現在同大学大学院特任教授、同大学名誉教授。

大学院教授は世を忍ぶ仮の姿。実態は現職の投資家。投資歴54年、前半は野村證券で投資家の資金を運用、後半は自己資金で金融資産を構築、晩年は現役投資家で且つ「研究者」として大学院で実用経済学を講義。

趣味は狩猟(長野県下伊那郡で1シーズンに鹿、猪を3~5頭)、ゴルフ(オフィシャルHDCP12を30年堅持したが今は18)、居合(古流4段、全日本剣道連盟3段)。一番の趣味は何と言っても金融市場で金融資産を増やすこと。

著書に「投機学入門ー不滅の相場常勝哲学」(講談社文庫)、「投資詐欺」(同)、「株で4倍儲ける本」(中経出版)、近著3刷重版「常識力で勝つ 超正統派株式投資法」(角川学芸出版)等。

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