「確認だけの読書」で得られるのは心地よさだけ
読書も気をつけなければ、確認読書になってしまいます。自分が知っているところを再確認する、自分の考えと同じ主張を見つけて安心する、自分が思っていることを著者が代弁してくれて満足する。おおむね、こんなところが「良い本」として売れる傾向にあります。
確かにそんな本は小気味よく、安心して読むことができ、読後感も心地いい。しかしそれだけでは、自分の思考の枠組みを広げることができません。せいぜい現状維持がやっと。
もちろん私も、有名な起業家や経営者が言っていることが、普段の自分の考えと同じだったら、やはりうれしくなります。それに、日々の忙しさにまぎれて忘れている大事なことを、改めて気づかされるということも大切です。
でもやはり、自分の思考が動きだすのは、異次元の主張、自分の考えとは異なる主張、読者に挑んでくるような本と真正面からぶつかることだと思います。
「それは自分には合わない」などと自分を素通りさせるのではなく、「自分とは違う価値観」をどう受け止め消化するかが、確認読書と学べる読書とを分かつことになります。それには読む側に、相応の度量や想像力、共感力が必要ではないでしょうか。
読書は最も学習効率の悪い方法?
読書は手軽な自己投資方法ですが、手軽であるゆえに、もっとも非効率的な学習方法であるとも言われています。
アメリカの視聴覚教育の専門家、エドガー・テールによれば、学んでから2週間後も覚えている割合は、「読んだこと」がわずか10%に過ぎず、本を読むだけというのは、もっとも効果が少ない学習方法という研究結果を発表しています。
反対に、最も学習効果が高い方法は、「動作を伴う発言」であり、2週間後にも覚えている割合は90%だそうです。
もちろんこれは記憶効率のみを計測したものであり、論理的思考力や発想力は測れませんので、一概に「読書がダメだ」というわけではないでしょう。
しかし、やはり読み方を工夫しなければ、本はたくさん読んでいるけれど…ということになってしまいかねないというメッセージにも聞こえます。