これから急成長を遂げていく国として期待されている国、インド。日本は外交上、インドとの関係を良好に保つ必要性がみえてきました。無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者である北野幸伯さんは、過去の第2次世界大戦で「日本はどの国と戦うのかという戦略がなかった」と指摘。これからの中国の脅威に対して、インドとの友好関係が最重要になってくるとの持論を展開しています。
日本の大戦略とインド
皆さんご存知のように、日本とインドの関係がよくなっています。
日印首脳、蜜月さらに 対中懸念共有 1カ月で3回会談 産経新聞 12月13日(日)7時55分配信 【ニューデリー=田北真樹子】「歴史的な会談」―。
安倍晋三首相がこう表現した12日のインドのモディ首相との首脳会談。
両首脳は懸案の原子力協定締結とインドの高速鉄道計画への新幹線方式導入で合意した。
この成果の背景には「両首脳の良好な関係と中国の脅威に対する共通認識」(日本政府高官)がある。安倍首相「自分とモディ首相でなければ達成できなかった成果だ」
モディ首相「安倍首相の指導力に敬意を表する」両首脳は会談で、こう蜜月ぶりをアピールした。
というわけで、今回は日本とインドについて考えてみましょう。
大戦略不在で負けた日本
「なぜ日本は第2次大戦で負けたのだろう?」
調べれば調べるほど、「負けるべくして負けたのだ」ということがわかってきます。なんといっても、日本には「大戦略」がなかったのです。
「戦略」とは、「戦争に勝つ方法」のこと。戦略をたてるためには、「どの国と戦う」のかを、まず設定しなければなりません。そして、「敵」の数をできるだけ減らし、「味方」の数をできるだけ増やします。
たとえば、アメリカは、日本、ナチスドイツと戦うために、宿敵ソ連と組みました。ところが、2次大戦が終わると今度は、敵だった日本とドイツ(西ドイツ)と組んで、ソ連と戦いはじめた(冷戦)。
これが正しいやり方です。ところが日本は、「敵」がどの国なのか、決まっていませんでした。
陸軍は、「最大の敵はソ連である!」と主張していた。海軍は、「最大の敵はアメリカである!」と主張していた。それで、日本外交はフラフラし、結果として、1937年に日中戦争がはじまったとき中国、アメリカ、イギリス、ソ連を敵にまわしていた。
こんなもん、勝てるはずがありません。私は自虐史観を持っていませんが、「大戦略がなく、孤立したから負けた」ことは事実として知っておく必要があるでしょう。