失敗だらけの日本外交、歴史修正主義者というレッテルはどう貼られたのか?

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中国・韓国との関係悪化にくわえ、邦人人質が殺害される結果となった「イスラム国」への対応など、何かと取り沙汰される日本外交の失策の数々。無料メルマガ『軍事情報』に定期的にコラムを寄せる国際政治学者の大礒正美さんは、いまこそ外交の大改革が必要であると力説しています。

「歴史修正主義者・安倍」というレッテルはどう貼られたのか

安倍晋三首相は2月12日の施政方針演説で、「戦後以来の大改革」「農政改革」など、「改革」を36回、列挙して話題となった。その意欲は分かるが、いちばん肝心な「外交の改革」に触れていないのは、どうにも解せない。

戦後70年にして、日本の外交が失敗続きであることは、ほとんどの国民にも理解されつつある。今夏に予定されている安倍談話に、同盟国のアメリカが、中国、韓国とほとんど同じ牽制と圧力をかけていることが、その失敗がいかに大きなものかを物語っている。

外務省や外交官個人の能力に、すべての責任を負わせることはできないが、今日の外交敗北の遠因を探ると、1941年12月、日米開戦の通告を指定時刻に米政府に手渡すことができなかった時点に遡るべきだろう。

これでルーズベルト大統領は、米国民に対して「卑劣な奇襲を忘れるな」と刷り込むことに成功した。もし、駐米日本大使館がハワイ奇襲までに開戦通告を果たしていたならば、その後の戦況も、戦後の対日関係も大きく変わっていただろう。

この「卑劣な日本人」という刷り込みが、現在の安倍首相に対する「歴史修正主義者」というレッテル貼りに、ダイレクトに結びついていると考えられる。日米同盟関係の深化を謳いながら、実は東京裁判を否定し、米国製の秩序を覆そうとしているのではないかと、本気で疑っているのである。

ナイ、アーミテージを始めとする対日専門家(ジャパン・ハンドラー)のほとんどが、突然のように変心し、韓国の代弁者として日本に当たり始めたのは、まさに日本外交の失敗以外の何ものでもない。

今や知らない日本人も多くなったが、真珠湾攻撃の最中に、まだぽつんぽつんとタイプを打っていた大使館員は、のちに処分されるどころか、2人が外務官僚トップの事務次官に栄進している。反論もあるが責任を取った館員はひとりもいない。

>>次ページ 戦後最悪の外交失策となった「天皇訪中」

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