社員に「俺を刺し殺せ」。京セラ稲盛氏がそこまでして伝えた熱意

2016.02.25
by まぐまぐ編集部
 

本田宗一郎氏、松下幸之助氏、稲盛和夫氏などのカリスマ経営者には、創業当時から大企業に成長するまでの過程で数多くのエピソードを残しています。彼らが成功を押し上げた要因のひとつに「危機的状況」というものがあります。この状況を、どのようにして乗り越え、成長に導いたのでしょうか? メルマガ『戦略経営の「よもやま話」』の著者である浅井良一さんが、現代にも通じるカリスマの名エピソードの数々を紹介してくれています。

「創造」のための手法

「発明王」と言われたエジソンは、1000件以上の特許を取っています。ところが意外だったのは、エジソン1人の作業ではなく研究所を設立して、スタッフとともにシステマチックに創造を行っていたということです。

これに対して、本田宗一郎さんは1人で作業をしていたようですが、本田さんが去った後の「技術」を誰が担うのかは、企業にとって大きな課題でした。本田宗一郎ひとりに頼る危うさを予測して、打開策を考えたのが、相棒であり、経営全般を任されていた藤沢武夫さんでした。

その結果、誕生したのが「本田技術研究所」でした。凡人でも知恵を結集すれば、天才1人に匹敵するのは可能だと考えて生まれた「システム」です。このフラットな組織のなかでは、上下を超えた自由な研究が求められました。

ホンダ独特の「技術を超えた創造性」には、フラットな組織のほか、もう1つの側面があります。これこそが「ホンダの強み」の源泉になるもので、「3つの喜び」や「人間尊重」などのフィロソフィー経営哲学)とチャレンジ精神です。創業時、本田さんと藤沢さんが時間の経つのも忘れて語り合った「夢」と情熱の中から生まれた精神で、やがて直弟子たちの中に染み込んで行きました。

ホンダには、「技術研究所」とならんで独創的なシステムがありました。それは「役員大部屋制」で、ここでは個室はもちろん自分の机もなく、役員が一堂に会して、藤沢さんの助言から生れた“ワイガヤ”が行われていました。「ワイガヤ(自由な話し合い)」は、ホンダにおけるトップレベルの戦略課題が練られ、その上で「考えが共有される場でした。但し、元社長の川本氏により、今は廃止されています。

「ワイガヤ」の創造性について考察してみましょう。スティーブ・ジョブズは、「まだ存在しないものへの消費者ニーズは消費者に聞いても分からない」と、「創造」の困難性について語っています。模倣できないことや定かでないことを探るためには、脳みそをぎりぎりまで絞った議論を通して、「真実のささやきがようやく宿るのだと思います。

「創造」というと、天才の一瞬の「ヒラメキ」のように格好よいものと思われますが、その実は継続的な、地道な試行錯誤の中でもたらされる「真実のささやき」です。iPS細胞の研究で知られる山中伸弥さんや、2015年のノーベル物理学賞受賞者の梶田隆章さん、ノーベル生理学・医学賞を受けた大村智さんの業績を見てみると、いずれも地味な作業の連続から生まれているようです。「創造」には、壮大なビジョンと、障害を乗り越える忍耐強さが必要です。

「創造的な革新」により、零細企業が一代にして大手中堅企業に成長することは稀なことではなく、「パナソニック」「ソニー」「ホンダ」「京セラ」と、数えあげればきりがありません。一般的には、製品の革新性だけに目が行きがちですが、開発の内側には、もっと本質的な経営マネジメント)の、「創造的な革新に至るまでの人間ドラマがあります。

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