真田一族の夢の跡。40枚の写真で綴る隠れた名城・上田城の物語

 

尼ヶ淵跡

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現在、上田城跡駐車場と遊歩道になっているかつての尼ヶ淵。当時は、ここに千曲川(信濃川)が流れていました。上田城は南側に千曲川を防御に組み入れた天然の要害だったということです。

 

登城路近道

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登城路の近道。尼ヶ淵跡から直接本丸に登っていくことができる道です。おそらく築城当時にはなかった道でしょう。

 

野面積み石垣

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この登城路近道には野面積みの石垣が見られます。もともと上田城は土塁中心で石垣が少ないのですが、その中でも他の石垣とも積み方などが明らかに異なります。松平氏や仙石氏以前、すなわち真田氏のころの石垣なのかもしれません。詳しい解説がなかったのでわかりません。

 

土塁上からの堀

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本丸から下を見下ろすとこのように見えます。上田城の本丸はよく残っていて、尼ヶ淵のあった南側以外の三方は、このように土塁と水堀に囲まれています。

 

史跡上田城跡本丸跡

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上田城の本丸跡を示す碑。現在の本丸跡には、真田神社があります。また、公園として緑豊かな場所となっています。

 

北西隅櫓跡

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北西隅櫓も本丸に7棟あった二層の隅櫓のひとつでした。残念ながら明治維新後に民間に払い下げられ、その後解体の憂き目にあっています。平成6年度に発掘調査がされた時にこの本丸北西部の隅櫓は土塁の上に直接建てられていたことがわかりました。また、平成3年度に行われた本丸堀の浚渫工事の際に、堀底から大量の屋根瓦が出土しました。中には豊臣秀吉が好んだ金にちなんだ金箔瓦もあったことから、豊臣秀吉に臣従していた真田昌幸時代のものである可能性もあるそうです。

 

北東隅櫓跡

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上田城本丸は他の幾つかのお城同様、鬼門除けのために北東隅に切り欠きを設けていました。これで鬼門である北東角を無くそうといういとがあるのです。そのため、北東隅櫓も2つ存在していました。形式は他の隅櫓や現存する西櫓と同様だったということです。

 

北東隅櫓心柱礎石

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北東隅櫓の中心に据えられていた心柱の礎石。明治時代に少し動かされたそうで、実際にあった位置とは少し異なるということです。

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