政治の報道介入
最近では政治家が報道に介入するケースが目立ってきているということも言える。総務省が放送法に基づく番組内容への行政指導は1985年から30年間で36件のうち第一次安倍政権で7件。現安倍政権下でもNHK、テレビ朝日に対する事情聴取や行政指導の実施、在京6局に「公平中立」を求める文書を出すといったことが目立っている。
放送法第4条は憲法21条を支えるための倫理規範
高市総務大臣は「テレビ局が政治的公平性を欠く放送を繰り返した場合、罰則規定を適用しないとも言い切れない。」と発言。罰則規定とは、何を意味しているかというと、「電波停止を命ずることが出来る」と取られ、非常に問題となり、議論になった。
高市大臣は「私は電波停止とは言っていない。」というが、罰則規定発言はそのようにとられている。放送法第4条では「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」が規定されているが、それを高市大臣は捉えて発言している。放送法第4条というのは憲法第21条の「表現の自由」を支えるための倫理規範として言われているのだが、それにも関わらず電波停止ととられるように話したことが批判されているのだ。
これはテレビ局が政治的公平性を欠くことを繰り返した場合というが、繰り返すということの意味と内容が非常にあいまいである上に、この「政治的公平性を欠く」という定義は議論の余地があるところだ。高市大臣は「電波停止とは言っていない」というが、何度も同じ趣旨をねっとりといい続けているのをみると放送というものに対して圧力をかけているのではないかという感じを与えている。
現在のメディアのありかたに憂慮
また、昔からよく記者が総理大臣、官房長官、閣僚らに個別に呼ばれる食事会は行なわれている。私の記者時代もあり、政権が何を考えているのかを知るために会うが、全てオフレコで会ったことさえ外には漏れないようになっていた。しかしながら、今は政府自らそれを公表することにより、他社の記者も呼んでほしいと雰囲気となりメディア側から「すり寄っていく」という感じになっている。
そこでは主として政局、政策、外交の話をするが、時にメディア側へ「先日のこの報道はきつかったな」ということを言われ、その場で反論すればよいがそのまま社に持ち帰ってご注進するということも多いようだ。今後、そこをきちんとしないと大変な状況に陥るようにも思う。
個人が発信し、監視する時代に
記者たちは権力におもねらず、そのために「報道の自由とは何か」を常に考えていなくてはならない。最近はネットが政府に反論していくということが、非常に目立っている。事例としては「保育園落ちた日本死ね!!!」 「一億総活躍社会じゃねーのかよ。」 (はてな匿名ダイアリー)というブログが話題となっている。
安倍総理がそのブログに対し「実際にどうなのかということは、匿名である以上ですね、実際にそれは本当であるかどうかを、私は確かめようがない」と発言したことで、ネット社会では「私も落ちたんだ」などさまざまな同調する意見が出た。今や情報社会となり、今やだれもがスマホや携帯一つで証拠をつかめる、隠ぺいできない時代となってきた。さまざまな監視や抵抗をするということが非常に大事であり、介入を許さないような土壌を作ることができる。
当初匿名の書き込みだったが、大きなうねりとなって政権を動かし一つの力になるということを表わした。現代は一人一人が情報を発信する時代であり、「報道の自由とは何か」ということを我々も考える必要がある。
(TBSラジオ「日本全国8時です」3月18日音源の要約です)
image by:Shutter stock
『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』
ジャーナリスト嶌信彦が政治、経済などの時流の話題や取材日記をコラムとして発信。会長を務めるNPO法人日本ウズベキスタン協会やウズベキスタンの話題もお届けします。
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