クラウドファンディングで日本食堂開業!場所は…アフリカです

washin
 

今やネット社会にすっかり定着した観のあるクラウドファンディング。様々なユニークなアイディアが形になっていきましたが、クラウドファンディングのひとつ、CAMPFIREで集めた資金で、西アフリカのセネガルにて焼きとり屋を開業を目指す勇者が現れました! でも、そもそもなぜセネガルだったんでしょうか? 勇者・原田翔太さんのメルマガをどうぞ!

そもそもどうしてセネガルなのか

初めまして。この度、メルマガを発行させていただくことになった原田翔太と申します。

2015年2月から西アフリカセネガルの首都ダカールに在住し、日本食堂「和心」という名の焼きとり屋を開業します。

このメルマガでは、日本食堂「和心」の様子やセネガルでの生活について書いていきたいと思います。

「そもそもなぜ、セネガルなのか?」

簡単に書いていきたいと思います。

僕が初めてセネガルに来たのは、2010年23歳の時でした。日本で知り合ったセネガル人の友人が里帰りするというので、半ば無理やり僕も一緒に連れて行ってもらいました。アフリカには昔からなんとなく興味がありましたが「いつかいってみたいな~」という程度のものでした。

セネガルに着き、驚いたことが沢山あります。

まず、家族が多い! 総勢20人程の家族で、とてもじゃなけど、すぐに名前は覚えられない(笑)。冷蔵庫やエアコン等の家電がなく、停電や断水もしょっちゅう。初め慣れなかったそんな生活も、気づけば当たり前になっていました。

また、町中を歩いていても、物乞いやホームレスがほとんどいないことにも驚きました。

「アフリカ=貧困」
「アフリカ=危険」
「アフリカ=お腹がポッコリと出ている栄養失調の子供」

そういった光景にはほとんど出会いませんでした。

ただ、彼らに話を聞いてみると、食べるものがない程ではないけれど、やはりお金には困っているようでした。「買いたいものがあっても買えない。行きたいところにも行けない。」と。

彼らは働く意欲があってもなかなか働くチャンスがない。僕はこの時にただ漠然と「いつかこんな人たちと一緒に仕事をしてみたいな~」と思いました。

しかし、何もできなかった僕は1ヶ月後に日本へ帰国しました。その後はセネガルの事は忘れたり思い出したりしながら、日本で普通に生活していました。ある時はインドで1年間働いたりもしました。

そうこうしている内に「自分でも何かできるのではないか?」と思い始め、「まずはとりあえずセネガルへ行ってみて何かをしてみよう!」と思いました。妻と結婚をして3ヶ月後の事でした。

セネガルに来て僕は何かこっちでのキッカケを見つけなければならないと、セネガルの首都ダカールで当てもなく歩き廻ったりしていました。

>>次ページ セネガルで初めて手がけた事業とは?

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