【熊本地震】台湾から届く励ましの声。変わらぬ日台「友好の絆」

 

「わたし達は皆様の心を暖めます」

しかし、こんな政府の心ない所業をものともせず、日台の心のつながりを深める佳話が、大震災では少なからず見られた。たとえば、台中市の新民高校日本語学科の学生が呼びかけて作られた寄せ書きの一部。

ニュースを見ると、心が痛みます。涙がこぼれます。同時にあなた方を尊敬してしまいます。このような天災に会いながらも、規律正しく、天を恨まず、しなくてはいけないことを整然と行っているのをみると、わたし達も見習わなくてはという気持ちが沸き起こってくるのです。

心が痛くて、悲しくて涙がとまりません。わたし達は皆様の心を暖めますから、寒い中、決してあきらめずにがんばってください。

こんな純真な言葉そのものが、被災者のみならず、我々日本国民の心を温める

この寄せ書きとともに、新民高校の赤十字社青少年奉仕グループは、学内募金で集めた50万元(150万円)、学校理事会の寄付金100万元(300万円)を赤十字社台中支部に届けた。

学内の募金では、多くの生徒が100元(300円)を寄せてくれて、募金集めの生徒は「ありがとう」と間断なく言い続けたという。100元といえば、彼らにとって1時間のアルバイト料であり、弁当が2つも買える値段である。

170億円超という巨額の義捐金の多くは、こうして多くの人から集められた小口の募金だという。

「恩義を忘れない」

子供たちもお小遣いから義捐金を出している。台中市中心部から東に約10キロの小高い山々のふもとに位置する健民国民小学校は、台湾大地震で3階建ての校舎が全壊した。幸い地震発生が未明だったため、児童らに怪我はなかったが、近くの空き地の仮校舎などでの授業を強いられていた。

平成7(1995)年の阪神大震災を経験した兵庫県などから約2億8,000万円の募金が送られ、4階建ての校舎が2003年10月に完成した。校庭には「感恩亭」と名付けられたあずま屋も作られた。

東日本大震災が発生した直後、謝進立校長(55)は「日本の友人が重大な災害に遭っている私たちは積極的に行動すべきだ」と児童や保護者に支援を呼びかけた。

約280人の子供たちは自分の小遣いを持ち寄り、先生に預けた。教諭や保護者、地域の人からも義援金が集まり、計約190万円が日本赤十字社に送られた。謝校長は「恩義を忘れない、という心の教育でもあるのです」と話す。

6年の謝金玲さん(11)は「東日本大震災では津波もあったから、台湾の地震よりもっとひどかったと思う。でも、被災した人の態度がすごく冷静で印象に残った」。6年の何(か)佳凌さん(12)も「とにかくもとの生活に早く戻ってほしいという思いで献金しました」と話す。

恩義を忘れない人々は日本の政治家の中にもいた。台湾の「中華民国建国100周年」祝賀式典に出席した自民党議員団は、10月9日、建民国民小学校を訪れ。団長の麻生太郎元首相はこう謝意を伝えた。

「今回、(東日本大震災が発生し)全校の皆さんがお小遣いの中から義援金を寄付し、日本を支援していただいたことは、日本のメディアでも報道され、日本人はみな深く感動した。

 

台湾と日本は最も良き親友であり、台日関係には心と心のつながりがあり、友誼はきわめて深い。日本人はこの恩を永遠に忘れるものではない。

健民国民小学校の謝進立校長の「恩義を忘れない」という言葉と、麻生元総理の「日本人はこの恩を永遠に忘れるものではない」という言葉は共鳴しあっている。

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