世界初「自動包あん機」発明者は、なぜ前職を何度もクビになったのか

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「プロフェッショナル」という言葉が巷に氾濫していますが、 「その分野を突き詰めるだけでは本物のプロとはいえない」と語るのは、無料メルマガ『ビジネス発想源』の著者・弘中勝さん。さまざまなフィールドで世界一の座に立つ日本企業のエピソードを集めた1冊の本を紹介しつつ、「本物のプロに必要なこと」について解説しています。

離れた分野も学ぶ姿勢

大正15年に台湾の精糖会社の技師の家に生まれた林虎彦氏は、戦争によって家族を失い、戦後に日本に戻ったものの身寄りがなく、貧困と病気で生死をさまよいながら各地を転々とする。

ある日、「住み込み募集」の電柱広告を見て、学校給食用のコッペパンを中心に作っているパン屋の店員として働き始める。パン屋では夜9時から仕込みの作業に入り、焼きあがるのが朝の4時で、学校に配り終えるのが朝10時ごろで、午後は集金と注文、夕食が終わるとまた明日の準備。

パンという人間に必要な温かいものを作っているのに、それを作っている人間はなぜ過重労働を強いられるのか。同僚たちは昼は少しの時間も惜しんで仮眠をとったが、林氏はわずかの時間を見つけては図書館に通って、その疑問を解明するためにあらゆる分野の本を読み漁る

しかし1年ほど働いたある日、突然、パン屋の主人から「やめてくれと言われた。理由がわからなかったが、次は菓子屋のウィンドーに飾られていた饅頭に魅せられ、今度は菓子屋の店員になり、菓子の勉強に没頭した。でもなぜかこの店もクビになり、3、4軒の店を転々としたがどこもクビになってしまう

菓子店もクビになる理由がわからなかったが、図書館に行っては菓子のことを学び、茶道を学ぶようになって、菓子の歴史や文化を知り、林氏の菓子への興味はますます深まっていく。

やがて林虎彦氏は、金沢で自分で菓子を作るようになり、26歳のときに菓子舗「虎彦の看板を掲げ、各地の温泉街や門前町に土産物として卸されるようになり、従業員を30人近く抱えるほどまでに繁盛した。しかし、成功すればするほど、菓子職人たちは過重な労働を余儀なくされることになる。

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