国語指導のカリスマ福嶋隆史が語る「日本の国語教育に足りないもの」

 

ところで福嶋さんの塾では、小4から高3までの子どもたちが、学年関係なしに同じ内容のものを学んでいると聞いて、すごく驚いたんですが……。

そうなんです。国語だからこそ、それができるんですよ。国語って漢字以外は、学年単位で習うことが変わらないんです。その漢字にしても、別に教えちゃえばいいだけの話ですからね。

いま有料メルマガでは、『重松清「セッちゃん」を徹底的に読み解く』ということで、私の塾で実際に行った授業の内容を公開しているのですが、これも小4から高3までがまったく同じ問題をやりました。

photo03

例えば小学生のほうが、高校生よりも正確に理解するとか、そういうこともあるんですか?

結構ありますよ。小5や小6ぐらいになれば、熱中する能力が高いというか、こう一回頭に入っちゃうと、スラスラと解いちゃうこともあります。その点では、高校生とかのほうが鈍いこともあって、「さっき来た小学生より下だぞ」みたいなことを、いつも言ってますよ。

そういう逆転現象が起こるというのは、“技術としての国語”を教えているからこそで、感覚的にやっていたら不可能ですよね。私が教えているのは、すべて“型”ですから。“型”だからこそ、小4でもキチッとできるんです。

国語における“型”というのは、どういうことなんでしょうか。

算数や数学みたいに、誰もが真似できることが必要なんですよ。算数・数学って、公式習って応用していくだけじゃないですか。それと同じように、国語も公式を習って真似していかなきゃいけないはずなんです。

それはなぜかというと、国語とは言葉だからなんです。言葉っていうのは、数学ほどではないけれど、ルールによってできている。文法もありますしね。だから国語教育においては、その点をしっかりと教えて、手ごたえのあるものにしなきゃいけないっていうことなんです。

私自身、そのことを“言語技術”あるいは“国語技術”と呼んでいるんですが、そういうことをやっている人は、それこそ東進ハイスクールの林修さんじゃないけど、特に大学受験界だといっぱいいらっしゃいます。ただ、私の場合、それをもっとシンプルにして、小学生でも理解できるところまで下ろしたのが、他にはない特徴だと自負しています。

こういう国語技術を磨く鍛錬というのは、やっぱり早いうちから始めたほうがいいんでしょうか。

そう思いますね。大人の方からの感想でも、もっと小さい頃からやりたかったですっていうのは多いですし、中高生の子たちやその親御さんからも、小学生から学んでいればよかったっていう声はよく聞きます。

だから、少なくとも中学生のうちから始めていれば、結構身に付くと思います。それより上の高校生や大学生になってからだと、もちろん役には立つんですけど、すでに身に付いたものに左右されちゃうんです。

もし国語が不得意だという子どもがいるとすれば、どういうことをやらせればいいんでしょうか。

私の塾にも、国語が苦手ということで来る子どもは多いんですが、やはり“型”を徹底的に学ぶということで、同じなんじゃないでしょうか。私が教えていることって、実はすごく簡単な技術なので、不得意な子ほど本当に役立つんです。

私が教えている技術で最もシンプルなのは、「アはAだが、イはB」っていうやつです。昨日は雨だったが、今日は晴れだとか、カレーは辛いけれど、シチューは甘いとか、それだけです。これなら、小学1年生でもできますよね。……そういうのを徹底的にやっていき、その「ア」「イ」「A」「B」に入る内容がだんだん抽象的になると、中学・高校のレベルということになる。それだけの話なんです。

苦手な子ほど、そういうことをやったほうがいいですね。だから私の塾では、反対語をよく教えています。「早い・遅い」といったシンプルなものから、「保守・革新」「絶対・相対」「独創・模倣」とか……。そういう反対語を、ひたすら教えています。それを使いこなせるようになれば、あらゆる概念を操作できるようになります。

print
いま読まれてます

  • 国語指導のカリスマ福嶋隆史が語る「日本の国語教育に足りないもの」
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け