舛添氏騒動の裏で。マスコミが見過ごす「刑事訴訟法改正案」の危険度

 

周防は「裁判員制度対象事件に検察独自捜査事件を加える事務局案では、対象事件が全体の2~3%と少なすぎるし、検察独自捜査事件というくくり方に危うさを感じる」と強く主張したが、押し切られた。

事務局の法務省司法法制部官僚が委員の意見を取り入れながら試案をつくり、会議で提示して、改訂を繰り返すプロセスは、どこの審議会でも似たようなやり方だが、結局は、長い時間を費やした末、事務局の考える「落としどころに決着してしまう。

会議終了後に有識者5人で臨んだ記者会見で周防は思わず「民主主義は大変ですね」と口にした。そのときの心境を巻末でこう綴っている。

もともとは検察の不祥事が原因で開かれた会議であったはずなのに、その不祥事に対する批判も反省も忘れている人たちを相手に、改革の必要性を訴える日々は、虚しさに満ちたものだった。言葉を重ねても、手応えなく素通りしていったり、強く跳ね返されるばかりで、およそ意見を闘わせたという実感はない。

この長期にわたる審議の間に、「可視化」を捜査に有利に使う方法を検討していた最高検察庁は2014年6月16日、「取調べの録音・録画の実施等について」という依命通知文書を出し、先行して取り調べの録画映像を立証に積極活用し始めた。

しかしこれは、検察官にとって都合のよい場面、有罪の立証に役立つ部分しか録画しないという危険性の高いものである。

これに関して最近、問題になったのは、7歳の女の子が殺害された今市事件の裁判員裁判で、直接証拠がないために、検察側が被告の自白場面の録音録画映像を立証の手立てとして使い、無期懲役の判決に持ち込んだケースだ。

被告は台湾生まれで日本語が十分に話せず、女の子の連れ去りや殺害について、身ぶり手ぶりをまじえて説明する姿が映し出された。

被告は2014年2月18日に初めて検事に殺害を自白したが、その場面は録音録画されておらず、別の検事による4月24日~6月23日までの取り調べ映像が証拠として再生された。被告はその後、無罪を主張している。

この判決のあと、中途半端な可視化の危険を懸念する声が強まっている。

近畿大の辻本典央教授(刑事訴訟法)はこう語る。

取り調べ可視化が議論されているが、公判でどのように使うかははっきりしていない。今後も、検察側が自白部分を中心に調書替わりに使ったり、被告側が強圧的な取り調べがあったと主張した場合、その部分を見せて自白の任意性を立証するのに使ったりする可能性がある。

(産経2016年4月9日)

これが検察の本音だろう。「可視化」を逆手にとろうというのだ。いわば悪用だ

刑訴法が改正されて、裁判員制度対象事件と検察官独自捜査事件に可視化が義務付けられても、その件数はごくわずかだ。しかも、例外規定があって、録音録画するかどうかは捜査側の判断しだいとなりやすい。

恣意的に都合のいいところだけを録音録画し、調書代わりに自白映像を使って、声や映像の迫真性を悪用する。そんなことがまかり通れば冤罪被害はいつまでも無くならない。

名ばかりの刑事司法改革まさに改悪と言っていい法律が成立してしまった。司法取引、通信傍受の拡大で捜査力はアップするかもしれないが、その代償として、国家の秘密と監視のもと、国民は息苦しい社会に住まなければならない。

image by: Wikimedia Commons

 

国家権力&メディア一刀両断』 より一部抜粋

著者/新 恭(あらた きょう)
記者クラブを通した官とメディアの共同体がこの国の情報空間を歪めている。その実態を抉り出し、新聞記事の細部に宿る官製情報のウソを暴くとともに、官とメディアの構造改革を提言したい。
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