モルガン財閥の大富豪に惚れられた「日本人女性」波乱の半生

 

お雪は川村と別れ、ジョージと横浜で挙式を挙げてアメリカに行きます。しかし2人を待ち受けていたものは幸せなものとはかけ離れていました。船がサンフランシスコに着いた瞬間にそれは待ち受けていました。黄色人種の日本人芸者を妻にして帰国したジョージに対してアメリカ社交界が交際を拒否したのです。当時アメリカでは移民の受け入れを規制していて特に日本からの受け入れを厳しくしていました。そのことによって日本ではその当時のアメリカの移民法を排日移民法と呼んでいました。

2人はアメリカで生活することを諦めて、ヨーロッパに向いました。やっとパリで2人が自由な生活を得たと思って暫くするとジョージはスペインで病死してしまいます。結婚生活10年、熱烈にお雪を愛したジョージは40歳ほどの若さで亡くなってしまうのです。1915年(大正4年)のことでした。

お雪はモルガン家を頼りにアメリカに向かいますが、第1次世界大戦中で排日運動がさらに激化していました。仕方なくお雪は1人で再び住み慣れたフランスに戻りました。それから10年ニースの片田舎でひっそり生活していたそうです。そんな時にパリ産業博覧会に日本映画を出品するためにマキノ省三と、某銀行の代表としてかつての恋人川村がやってきました。マキノはこの時2人の再出発を勧めました。数ヶ月後、お雪はその気になってマキノに会うためにパリの博覧会場に出かけました。するとマキノはお雪に呆然としながら川村が心臓発作で急死したことを伝えました。お雪は再び絶望の淵に立たされてしまいます。

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