英EU離脱の17年前に起きていた悲劇。EU統合のため解体された国とは

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英国のEU離脱から一ヶ月が経過しましたが、混乱は未だ継続しています。離脱という道を選んだ英国ですが、一方で今から17年前、統合のために解体された国があったことをご存知でしょうか? メルマガ『異種会議:戦争からバグパイプ~ギャルまで』では、著者の加藤健二郎さんが、1999年にコソボ紛争真っ只中のユーゴスラビアに取材で訪れた際の生々しい現実を紹介。「EU統合」のために「セルビア人=悪」という報道体制を作らせた当時のヨーロッパ社会の裏側を明かしています。

国家8分割への道程

コソボが独立国として初めて、オリンピックに選手団を送る。

コソボは、セルビア共和国内にあった自治州。米軍主導NATO軍が約80日間の連続空爆して、セルビア共和国に対して「コソボ自治州の分離独立は認めないことは約束するから、コソボからセルビア軍とセルビア治安部隊を撤退させなさい」と交渉したのが1999年。

当時から「コソボの独立を認めないなんて、ウソに決ってる」と当事者たちはわかっていたので、独立に至る過程で大きな混乱は起こっていない。軍隊を撤退させたら自国でないことはヨーロッパ人はわかっている。

カトケンがコソボ紛争を取材していたのは1998年8~9月。欧米のメディアと政府が、なにがなんでも「セルビア人は悪者で、アルバニア系住民は善良な被害者」という世界世論構図を創り上げようとしていることで注目されている紛争だった。

首都プリスティナのプレスセンター(報道受付窓口)に行く「44人の虐殺死体が発見された、取材希望者は1時間以内に出発」という知らせが入った。一般庶民が残酷に殺されてる死体写真は、報道カメラマンとして売りやすいので、ラッキーにもその場に居合わせた人はだいたい行きたがる。

米国人テレビチームが「アルバニア系住民の死体ですか?」と訊くと、プレスセンターは「いえセルビア人の死体41人、ロマ人が3人です」と回答。

テレビチームは「セルビア人の死体では撮っても意味がない」と、取材には同行しなかった。イタリア人カメラマンが「なぜ、彼らは来ないんだろ?」と。「セルビア人が悪者ということになってる戦争だから、アルバニア人が殺されててる映像でないと、高くは売れない」「戦争報道ってそんなもんか・・」

カトケン、イタリア人などを含む5~6人が行くと、ホテルの地下室に、黒い死体袋に入れられた44体が並べられていた。カメラマンが思うことは共通で「死体袋に入ってる死体では報道価値が低い、殺された現場でまだ手をつけてない写真を撮りたい」だ。セルビア当局は「死者に対する敬意を考えると、カメラマンが来るまで放置しておくわけにはいかない」と、死体袋を開けて中を撮影することも許してくれなかった。

その2週間後に、約30人のアルバニア系住民の死体が村で発見されると、死体袋には入ってない現場での赤裸々な写真が公開され、ニューズウィークやタイムなど有名週刊誌などでも6ページ以上の特集で報道された。このニュースを契機として、セルビアに対する制裁強化やいろいろな決議が敢行され、NATO軍による空爆への道筋ができた。1998~1999年のときのことである。

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