真田丸『第37話』裏解説。家康は関ヶ原の後にどうやって権力を得た?

unnamed
 

NHK大河ドラマ『真田丸』を放送直後にワンポイント解説する人気連載シリーズ。今回は「関ヶ原合戦」後の家康について。豊臣vs徳川というよりも、当時は「豊臣政権内部の主導権争い」と認識されていたというこの合戦を境に、なぜ家康は絶大な権力を誇るようになったのでしょうか?『真田丸』の戦国軍事考証を担当する著者の西股総生さんによると、この時、家康が担当していた「手柄の分配」という役割が大きく関係しているようですが…?

今回のワンポイント解説(9月18日)

武士とは、武=戦いや殺生をなりわいとする職能戦士。また、主君に仕える(さぶらう)身分であることから、侍ともいう。その武士たちが親分(主君・武家の棟梁)のもとに結集して作り上げる支配組織が武家政権。したがって武家政権は、軍事政権という性格をもっており、主君は軍団の司令官でもある。

武士たちは、主君の命令にしたがって戦争に行き、敵を倒す。主君は、倒した敵から奪い取った土地や財産を、子分である武士たちに、手柄に応じて分け与える。恩賞だ。この基本的な原理は、 鎌倉幕府も室町幕府も、戦国大名も徳川幕府も、全部同じである。北条家を倒した豊臣秀吉が、北条家から取りあげた領地を徳川家康に与えたのも、この原理にのっとったものだ。

さて、関ヶ原合戦は豊臣対徳川の戦いでは決してなかった。参加した武将たちはみな、豊臣政権内部での主導権争いのつもりだった。しかし結果として、この戦いを境として家康は圧倒的な権力を持つようになり、豊臣家は没落への道を歩む。なぜだろう。

まず、負けた西軍諸将から領地を没収し、手柄のあった者に分配する仕事は家康が担当することになる。勝利した東軍の司令官だったからだ。しかも、五大老のうち西軍の首謀者格だった宇喜多秀家は事実上、滅亡。毛利輝元と上杉景勝も敵対的立場を取ったために、大幅減封。この結果、家康に単独で敵対できる勢力はいなくなった

こうして家康は、圧倒的な武力で他の大名たちの上に立つこととなった。大名たちは、家康に逆らうつもりがないことを示すため、江戸に人質として、妻子を置くようになる。これは、かぎりなく武家の棟梁に近い立場だ。しかも、人口が急増した江戸では消費や流通の規模も拡大するから、全国的な経済都市に成長してゆく。

ただし、もともとの公儀(中央政権)だった豊臣家は存続しているし、大坂・京都は相変わらず日本経済の中枢である。つまり、関ヶ原合戦の日本には、江戸と大坂という二つの焦点があったことになる。そして、軍事では江戸が、経済では大坂が優越し、政治はきわどい均衡を保っている、という状況が大坂の陣まで続くことになる。(西股総生)

今週のワンポイントイラスト
改名して画数が減った信之。信繁も少ない画数に改名しちゃう? 幸村なら15画だぞ!(みかめ)

 

文・絵/TEAM ナワバリング(西股総生・みかめゆきよみ)

ナワバリスト(城郭研究家)の西股総生率いる、お城(主に山の城)と縄張りを愛する3人組

 

メルマガ『TEAMナワバリングの『真田丸』ワンポイント講座

本メルマガでは大河ドラマ『真田丸』戦国軍事考証を担当する西股先生によるワンポイント講座を中心に、書籍、イベント活動などの情報を発信します。
《ご登録はこちらから》

Facebook

twitter

blog 人生竪堀 TEAM ナワバリングの不活発日誌

 

★イベント情報★

◎こんなお兄ちゃんだからこそ、本当はこうしたかった…

12月23日(金)のトークイベント「信繁と幸村の 2016 年をふり返る」 

第2次上田合戦や大坂の陣のほか、幻に終わった信幸による伏見城改修プランや、昌幸の野心 満載だった木幡山出丸計画などについても、楽しくお話しする予定。

場所 : 新宿クラブツーリズム(新宿アイランドウィングビル)

コース番号
第1部 C2021-098 入場料 1,000 円 

第2部 C20212-098 入場料 500 円

★『図解・戦国の城がいちばんよくわかる本』 KK ベストセラーズから発売中 

★『復元イラストで見る「東国の城」の進化と歴史』河出書房新社から発売中

★『真田丸』がより一層楽しめる4コマ漫画、『ふぅ〜ん、真田丸』発売中

今週の『真田丸』SNS反応【編集部まとめ】









print
いま読まれてます

  • 真田丸『第37話』裏解説。家康は関ヶ原の後にどうやって権力を得た?
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け