昭和は遠くなりにけり。永六輔にあって、大橋巨泉になかったもの

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7月7日に83歳で亡くなった永六輔さんは、幅広い交友関係をお持ちだったことでも有名です。今回の『佐高信の筆刀両断』では、著者で評論家の佐高信さんが、赤坂BLITZで開かれた「永六輔お別れの会」で意気投合した世界的な舞踏家・田中泯さんとのエピソードを交えながら、永六輔さんの偉大さを振り返ります。さらに、永さんと同時期に活躍し、親交も深かった大橋巨泉さんについても言及しています。

永六輔と大橋巨泉

林英哲の太鼓で田中泯が踊る。すさまじい迫力だった。

8月30日、赤坂BLITZで開かれた「永六輔お別れの会」のイベントの一幕である。

私は小室等のコーナーにゲストで出て、そのまま、楽屋で松元ヒロと話したりしていた。

そこに予定されていない客として田中が現われたのである。

私は、藤沢周平原作の映画「たそがれ清兵衛」に不気味な剣客として出たことや、山形の農民詩人、木村廸夫の人生を描いた「無音の叫び声」のナレーターとしての田中ぐらいしか知らなかった。

しかし、あとで聞くと、世界的な踊り手らしい。

木村のドキュメンタリー映画の話から入って、妙にウマが合い、終わって、松元ヒロと3人で飲んだ。

そして、同じ1945年生まれであることを知った。

ふだんは山梨県は甲斐市の山奥で農業をしているという。

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