なぜ平城京は短命だったのか? 枕詞「あをによし」から読み解く

 

ここで「あをによし」である。

「青(あを)」は寺院建築などにおいて連子窓等を彩る緑青を、「丹(に)」は柱梁を朱色に染める鉛丹や本朱を指す。緑青は酸化銅であり弱毒性がある(因みに一昔前までは猛毒とされてきたが、科学的根拠はない)。鉛丹は酸化鉛であり鉛中毒の原因となる。本朱は硫化水銀であり水銀の強い毒性は知られる通りである。

これだけでも健康を害するには十分だが、仏像における金銅像の制作過程には極め付けの作業がある。鍍金(めっき)である。当時のめっきの方法は実に乱暴であった。まず、熱した水銀に金を溶かし込んで銅像にかける。それを火であぶって水銀だけを蒸発させ金を定着させる。水銀は高温で気化した時が最も毒性が高い。それが水利の悪い狭い盆地で行われていたとすれば健康に対する被害は計り知れない。

この時代の伝染病蔓延の原因には、人口増加に伴う都への人口集中とともに、重金属中毒に伴う免疫力の低下を挙げることができるのではないだろうか。

さらに重金属中毒は重度の神経・精神症状を招くから、不可解な事件や凶暴な事件が起こっても不思議ではない。中でも特に、水銀中毒はそれ自体が死亡原因となり得る重大疾患である。体の小さい乳幼児にとっては尚更である。

とすれば、不思議なことだが、聖武天皇が平城京を離れ、都を転々と遷したのは公衆衛生の観点から言えば正しかったということになる。しかし同様の観点から、国家の安寧と民衆の平安を願って一念発起した大仏造立は大間違いだったと言わざるを得ないのである。一応断っておくが、奈良の大仏は金銅像である。

「青丹よし 奈良の都」は美しかったに違いない。しかし盛りは短かった。現代に伝えられる天平仏の数々が、今猶我々の心を打つのは、その美に信仰と狂気の危うい線を見るからかもしれない。それは、祈りであり同時に叫びでもあるからだ。

後に平安京遷都に当たり、桓武天皇が奈良の大寺院の移転を固く禁じたのは、その歴史的背景が物語ること以外の意味においても或いは英断だったのかもしれない

image by: Shutterstock

 

8人ばなし

著者/山崎勝義

ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。
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