平安の女流作家「清少納言」は、頭が良すぎて嫌われていた?

kyoto20161013
 

『枕草子』の作者として広く知られる清少納言ですが、彼女がどのような人物だったかについてはさまざまな説があるようです。無料メルマガ『おもしろい京都案内』では、清少納言が大納言・藤原行成と交わした句を取り上げ、彼女の常人離れした教養の高さを詳しく分析しています。

女流作家「清少納言」の教養と知識の高さ

平安時代を代表する文化人に清少納言という女性がいます。彼女が書いた『枕草子』は、『徒然草』『方丈記』と並んで三代随筆のひとつに数えられていますね。清少納言は、宮中で一条天皇の中宮・定子ていしに仕えた女性です。彼女は宮中に仕えていたということから贅沢な暮らしをしていたと伝えられていたりもします。そして才色兼備で、その賢さをひけらかすような面があって、嫌味な女性だったという噂があります。実際に清少納言が贅沢をしていたのか、嫌味な女性だったのかわかりませんが、彼女の晩年はあまり派手ではなかったようです。

清少納言は、中宮・定子が第2子を出産した後に亡くなったことを機に宮仕えをやめています。定子の亡骸は、東山の鳥辺野(とりべの)に埋葬されたので清少納言はその近くの東山月輪に隠棲しました。晩年の清少納言は、出家して庵に住み定子の冥福を祈り続けたそうです。このような彼女の晩年の暮らしは清少納言が派手好きであったり、嫌味な女性だったとは思えません。

さて、そんな彼女が残した有名な一句があります。百人一首にも撰ばれているものなので皆さんもかるたなどで聞いたことがあるかもしれません。

夜をこめて 鳥の空音(そらね)は 謀(はか)るとも よに逢坂(あふさか)の 関は許(ゆる)さじ

この句には彼女の溢れんばかりの才気が現れています。技法のひとつである語呂合わせが沢山含まれているのです。

現代語訳はこんな感じになります。

夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、函谷関ならともかくこの逢坂の関は決して許しませんよ(色々とだまそうとしても、私はあなたに決して逢いませんよ)。

という意味です。詳しく見ていきましょう。

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