「誇り」を取り戻せ。日本人が知るべき自分自身の「根っこ」

 

根っこが生み出す感謝と志

アメリカの各地には、歴史博物館や歴史公園がある。ウィリアムズバーグという植民地時代の街並みを復元した大規模なものから、リンカーンの生家だとか、南北戦争の跡地だとか、ちょっとした町ならかならず歴史展示がなされている。そこに多くのアメリカ人が子供を連れて訪れ説明員たちが熱弁を振るっている

「アメリカは歴史がないから、100年程度の民家まで歴史公園にしてしまう」と当初は茶化していたが、今考えると、アメリカの子供たちは小さい頃からこうした歴史施設に連れられて行って、アメリカ国民としての根っこを学んでいるのである。

ここから生まれる誇りは、他国と比較しての優越感ではない。アメリカ国民の共同体という「根っこ」に自分もつながっている事を知り、それを残してくれた先人に感謝し、自分もまたその後に続こうというにつながる。誇りとはその感謝と志が融合したもの、と言っても良いだろう。

優越感とは、現代の他者と比較する水平軸のものだが、誇りとは根っこを通じて先人から子孫につながる垂直軸のものである。

ベトナム戦争による根っこ分断の危機

アメリカ国民がいかにも幸福そうに見えるのは、物質的に豊かなだけではなく、根っこから来る感謝や志、すなわち誇りによって精神的にも満たされているからではないか。

その根っこは、建国以来、太く逞しくつながっているのだな、と羨ましく思ったことをよく覚えている。これに比べると、我が国の根っこは先の大戦で深い傷を受けた。

我が国が侵略戦争をした、という占領軍が始めた東京裁判史観、それを左翼が受け継いで広めた自虐史観で、我々の根っこはほとんど分断され、先人への感謝や志、すなわち誇りを持てなくなっている。アメリカ人の幸福感に比べ、戦後の日本人が精神的に満たされないのは、このためだろう。

実は、アメリカ国民の根っこにも分断されかねない危機があった。ベトナム戦争である。共産陣営のプロパガンダもあって、ベトナム戦争はアメリカの侵略戦争とされ、そのために国民の継戦意欲は失われ、米国史上初の敗戦となった。ベトナム戦争の是非を巡る対立から国民としての一体感も失われ、「自由の国という誇りも損なわれた

それを救ったのが、レーガン大統領だった。大統領は1982年のクリスマスに全米国民に向けたラジオ・スピーチで、空母ミッドウェイの乗員の手紙を紹介している。その乗員は南シナ海で沈みかけたボートに乗った65人のベトナム難民を救助した時の様子を書き送ったのだ。

ベトナム難民たちはすでに5日間も漂流し、水もなくなり、発見がもう少し遅れたら、船は沈んでいた、という。救助船が近づくと、難民達は手を振って叫んだ。「Hello America sailor! Hello freedom man! (ハロー、アメリカの水兵さん。ハロー、自由の人)」と。

この逸話を紹介した後、レーガン大統領はこう語っている。

我々の社会はきわめて独特である。世界中の戦争や圧政から逃れてきた人々で構成されているが、それでも強く、自由である。我々は一つの事を共有している。それは先祖がどこから来た人であろうとも、この自由を信じている、という事である。
『Speaking My Mind: Selected Speeches』(拙訳)

このスピーチを聞いたアメリカ国民は、17世紀にメイフラワー号で英国の宗教的弾圧から逃げ出したピルグリム・ファーザーズと、20世紀にベトナム共産政権の圧政から逃げ出したボート・ピープルを重ね合わせたことだろう。そして考える、「ベトナム戦争も圧政との戦いであった」と。

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