日本とはまるで違う文化や慣習、考え方に戸惑ってしまった……。海外に旅行した際、このような経験をした方は多いのではないでしょうか。メルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』の著者で米国の邦字紙「WEEKLY Biz」CEO 兼発行人の高橋さんは、米国在住16年目となった今でも、異文化交流の難しさを感じるそうです。そして、ご自身の過去の恥ずかしいエピソードを交えつつ、その難しさを語っています。
真の異文化交流って何?
在米15年を超えてもまだ、当たり前ですが僕たちは、この国では「外国人」です。 当然だけど。
なので「外国人」として、この街に暮らすということは、自分が今まで築き上げてきたアイデンティティーや、習慣、文化が常に攻撃に晒されることになります。
対処法はすっかり自分が「アメリカ人」になってしまうことですが、それだけは拒絶したい。
だからと言って「日本の方が素晴らしい、素晴らしい!」と主張するなら、帰ればいい。
「なんで、あたなはその素晴らしい国に戻らないの?」と現地のアメリカ人に言われて終わりです。
つまりは、結局のところ、その中間の「慣れてしまう」ということが、異文化の中で暮らしていく、もっとも適切な対応策ということは疑いようがない。
例えば、電話ひとつとっても、日本のサラリーマンを経験した僕は、相手の電話を切る音を聞いてから、そっと受話器を置きますが(その習慣が身に付いちゃってますが)、もちろんアメリカ人は用が済んだ時点で、Bye! と言うか言わないかで、ガチャン!!と切ります。 もちろん悪気も他意もない。 この国に住ませてもらってるのだから、こっちが慣れるしかない。 「ツー・ツー、、」という切れた電話の音を聞きながら「まだ話の途中なのに、、、」という思いを苦笑いと共に、噛み締めるしかない。
レストランでウエイトレスにコップの水をこぼれるくらいの勢いで、ドカッ!っとテーブルに置かれても「アメリカっぽいなぁ」とへりくだった笑顔で、自分で紙ナプキンをとって、自分で拭く。 それが嫌なら、完璧なマニュアルで従業員教育をしている母国に戻るしかない。
そう。 異文化に慣れるということは、ある程度自分を抑え、慣れることなのだと思いますー。 それがすべてではないとはいえ、そういった要素は確実にある。
それは頭ではわかってる。15年以上もこの街で暮らした経験上、心の底から理解しているつもりです。
それでもー。
慣れなくていいんじゃないか、自分を殺さなくていいんじゃないか、と思うときだってある。 それが例え、この国では一般的な「アメリカ文化」だとしても。 住まわせてもらっている自分が歩み寄るべきことが正解だとしても。