20世紀の日本人は、なぜアメリカの黒人から尊敬されていたのか?

 

黒人と日系移民の「連帯意識と共感的理解」

1920年代に本格化したアメリカへの日系移民に対して、黒人たちは温かく接した。「フィラデルフィア・トリビューン」紙は、次のように述べた。「黒人たちは日本人を心から尊敬している。同じ『抑圧された民族』であるのもかかわらず、『自分たちのために一生懸命努力する日本人の態度は見習うべきものである」と。

カリフォルニアのオークランドでは、黒人発行の新聞に日系人がよく広告を出した。「ミカド・クリーニング」、「大阪シルク工業」等々。逆に日系人の新聞には、黒人への差別やリンチを非難する記事がたびたび登場した。

ロサンゼルスの日系病院の医師のうち、二人が黒人だったことについて、「カリフォルニア・イーグルス」紙は次のように述べている。

ほとんどの病院が黒人に固く戸を閉ざしている昨今、日系人の病院がどの人種にも、門戸を開放していることは本当に喜ばしい限りである。同じ人種の医者に診てもらうことができる安心を患者は得ることができるのだから。

黒人を差別しない日本人というイメージは、このようなメディアを通じて、またたく間に西海岸に広まった。「連帯意識と共感的理解」、この言葉が両者のつながりを示すのによく用いられた(同 p82-89)。

日本人を救え

1923年の関東大震災の報に接したある黒人は「シカゴ・ディフェンダー」紙に「アメリカの有色人種、つまりわれわれ黒人こそが、同じ有色人種の日本人を救えるのではないか」と投書し、それを受けて同紙はすぐに日本人救済キャンペーンを始めた。

たしかに我々は貧しい。しかし、今、お金を出さなくていつ出すというのか。

同紙の熱心な呼びかけは、多くの黒人の間に浸透していった。万国黒人地位改善協会は、「同じ有色人種の友人」である天皇に深い同情を表す電報を送り、また日本に多額の寄付を行った。

「シカゴ・ディフェンダー」紙のコラムニスト、A・L・ジャクソンは、長い間白人たちの専売特許だった科学や商業、工業、軍事において、飛躍的な発展を遂げようとしていた日本が、震災で大きな打撃を受けたことにより、黒人もまた精神的な打撃を受けた、と分析した。日本人は「それまでの白人優位の神話を崩した生き証人」だったからだという(同 p82-86)。

日本のエチオピア支援

1936年のイタリアによるエチオピア侵略に対して、アメリカの黒人たちは、アフリカ唯一の黒人独立国を「最後の砦」として支援しようとした。アメリカ政府の消極的な姿勢に比べて、日本が国際連盟以上にエチオピア支援を訴えた事は、アメリカの黒人たちの心を動かした。

「シカゴ・ディフェンダー」紙は、日本の宇垣一茂大将が、「イタリアとエチオピアの争いでは、日本は中立になるわけにはいかない」「エチオピアの同胞を助けるためには、いつでも何千という日本人がアフリカに飛んでいくだろう」と明言したことを伝えている。

「ピッツバーグ・クリア」紙は、エチオピアに特派員を送り、エチオピア兵が日本でパイロット訓練を受けたこと、戦闘機の提供まで日本が示唆していたことを特ダネとして報じた。

そして何よりも黒人たちを感激させたのは、エチオピアのハイレ・セラシェ皇帝の甥、アライア・アババ皇太子と日本の皇族・黒田雅子女史の結婚の計画であった。これは実現には至らなかったが、日本がエチオピアとの同盟関係に関心を寄せていた証拠であった。シカゴ・ディフェンダー紙は「海を越えた二人の恋は、ムッソリーニによって引き裂かれた」と報じた(同 p96-103)。

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