天国も地獄もない。石田衣良が語る「身近な人の死」の乗り越え方

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作家・石田衣良さんが親切にお悩みに答えてくれるメルマガ『石田衣良ブックトーク「小説家と過ごす日曜日」』。今回は家族が亡くなったことがトラウマになっているという方からのお便りです。「身近な人の」死という経験は、誰もが一度は通る道。自身もご両親を亡くしている経験をもつ石田さんは、心の中で故人との対話を重ねながら、自然に死と距離を置くことで悲しみを乗り越える方法を説いています。

大切な人を亡くした悲しみを乗り越えるには…?

Question

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私は家族が亡くなって、すごく深い悲しみを抱えたという出来事があります。衣良さん自身、トラウマについてどう考えていますか。あと、家族とか身近な人の死に接したときに、それを乗り越える信念とか信条があったら参考に聞かせてもらいたいです。

石田衣良さんの回答

トラウマっていうのも確かにアドラーが言うように「物語」ではあるよね。そこにこだわることでなんとか自分を保っているっていうことですから。でも、アドラー心理学の話、ぼく『美丘』でちょっと書いたんですけど、その後『嫌われる勇気』ブームが来たので、もうマスコミの取材がうるさいんです。チラッと書いただけなのにさ。ぼく大学時代に勉強しただけなので、もう覚えてないんですよね、アドラーの話。

自己分析をしていた頃はユングやアドラー、フロイトの本はダーッと読んだのですが、正直言ってどれもストーリーです。何かが真実であるというのではなく、「こういういろんな見方があるストーリーがあるね」っていうことですね。そのストーリーによってうまく救われる人もいればいない人もいるということで。

身近な人が亡くなったときって、猛烈にショックなんですけど、距離を置いてだんだんと忘れていく遠くなっていくっていうのがいいと思いますね。ぼくも25歳のときに突然母親が亡くなって、3、4年前に父も亡くなりましたけど。

そういうのを見て、「順番だな」と思いました。直木賞も3回、4回と候補になると、「そろそろ取るよな。順番だな」と思います。結婚も、子どもが生まれるのも、順番です。その中でただ生きている。それに、死ぬこと自体はべつに不幸ではないんですよ。だってぼくたち夜寝る前に、「わあ、気持ちいい。やっぱりお布団最高」っていって寝るじゃないですか。でも寝ている間は意識がまったくない。

死もそうだと思います。世界のいろんな宗教がいうようなことはウソで、天国も地獄もないまま何もないところにスポッと落ちていく。ぼくのイメージでは明かりのついていない階段をゆっくり降りていくっていうのが死ぬことだと思っているんです。それなら、当人は不幸ではないですから、死を理由にあまり自分を苦しめないほうがいいです。

これはよくあることなんですけれど、「自分の悲しみがこれだけ深いそれほど愛していたのだ」っていうのが、自分に対する言い訳だったりするんですよね。でも、生きている間、その人はそんなに素晴らしいだけの人ではなかったはずですよ。なので、心の中で亡くなった人とけんかをしたり仲直りをしたりしながらだんだんと死を遠くに感じていくっていうのが、一番いいのかなと思います。それを向こうも望んでいると思うんですよね。

source: 石田衣良ブックトーク「小説家と過ごす日曜日」

image by: Shutterstock

 

石田衣良石田衣良ブックトーク「小説家と過ごす日曜日」
著者:石田衣良
本と創作の話、時代や社会の問題、恋や性の謎、プライベートの親密な相談……。
ぼくがおもしろいと感じるすべてを投げこめるネットの個人誌です。小説ありエッセイありトークありおまけに動画も配信。週末のリラックスタイムをひとりの小説家と過ごしてみませんか?メールお待ちしています。
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