無神論者の中村うさぎが語る「神なき時代」の私たちの祈り

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作家・中村うさぎさんが綴るメルマガ『中村うさぎの死ぬまでに伝えたい話』。今回は、人間なら誰しもが日常的に行っている「祈り」について。無神論者だという人でも、無意識のうちに「もういやだ、助けて」「今の環境を変えたい」「キレイだと思われたい」など、さまざまな願いを心でつぶやいていませんか? それは一体誰に向けたものなのでしょうか? うさぎさんが、「祈り」と「人間の非力さ」について力強く問いかけます。

神が幻想だとしても、人間は祈らずにはいられない

ツイッターでインド在住の日本人のお坊さんと時々やりとりしている。

仏教には何の知識も関心も持たなかった私だが、彼との会話は面白い。

「これは何のお経?」

「これは陀羅尼(ダラニ)といって仏教呪文です。チチンプイプイです。痛いの痛いの飛んでけ~の原形」

「ほほう!癒しの呪文なのね」

「呪文は癒しというより、もっと切実。医学知識や天候の知識がなかった時代に祈りと呪文は命がけの人間の神仏に対する叫びでした」

「ああ、祈りか。人間は祈らずにいられない。神仏への信仰がなくなった現代でも、私たちは無意識に祈ってるよね。大切な人が死にませんように、とか。自分の力の及ばない事がたくさんあるから、理不尽な不幸がたくさんあるから、そのたびに遥かな何者かに祈ってしまう。宛先不明の電報を打ち続けるように」

「宗教は宛先不明ではなく私書箱ありますよと確約提供しますが、配達証明は出しません

確かに。

宗教は「おまえの祈りは宛先不明ではないよ。ちゃんと届いているよ」と言ってくれるけど、配達証明を出したためしがないのだ。

だから私は神仏を信じきれない

でも、それでもなお、いるかいないかわからない神に祈ってしまうのは何故だろう。

誰かに聞いて欲しいと、誰かに届いて欲しいと、願わずにいられないのは何故だろう。

それは、人間ならではの希求なのだろうか?

犬や猫は、自分を超えた遥かな何者かに祈ることなどあるのだろうか?

無数の人間たちの祈りが、この世界を埋め尽くしている。

宛先不明の電報が、必死の叫びを載せて虚空をさまよっている。

タスケテ、タスケテ、タスケテクダサイ。

ダレカ、ワタシヲ、スクッテクダサイ。

コノ、クルシイセカイカラ。

コノ、ゼツボウテキナ、ジブンカラ。

ねぇ、どうして私たちは考えてしまうんだろうね。

自分は何故生まれてきてしまったのか、と。

自分は何のために生きているのか、と。

そこには答なんかないのに。

そんなこと、わかってるのに。

もしかしたら誰かが答えてくれるんじゃないかと心のどこかで期待してる

そして、その答をくれる相手がいるとしたら、それは神しかいないんだ。

神が実在したらどんなに世界はシンプルだろう

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