百貨店は死なず。大丸、松坂屋、鶴屋百貨店で奇跡を起こした男達

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バブル崩壊を境に、苦境続きと言われている百貨店業界の中で、独自の経営改革で奇跡のV字回復を遂げた「大丸」と「松坂屋」。そして、熊本県民に寄り添い共に成長を続けて創業65年を迎えた、今も客足の途切れることがない「鶴屋百貨店」。「テレビ東京『カンブリア宮殿』(mine)では、放送内容を読むだけで分かるようにテキスト化して配信。百貨店不況の中で、これらの店はなぜ愛され続けるのか? そこに隠された徹底したオリジナリティーに迫ります。

お弁当1000種類!100億円を売り上げる東京駅のデバ地下

JR東京駅に隣接する大丸東京店。客でひしめき合うデパ地下には1日5万人が押し寄せる。 客のお目当ては、鳥取・境港で上がった山盛りの「カニチラシ」(1280円)、あま辛いタレにナムルがたっぷりの「焼肉ビビンバ重」(1080円)……。お弁当は約1000種類。だがこのデパ地下の仕掛け人重村武秀によれば、客を呼ぶ本当の秘密は数ではないという。

フランス「ポール・ボキューズ」の総菜店の一番人気は、「ローストビーフ パヴェ仕立て」(100g788円)。贅沢な角切りで肉の旨味が一気に口の中に広がる。実はこの総菜店があるのは大丸松坂屋のデパ地下だけ。

最高級の肉にこだわる「ミート矢澤」は、五反田で行列が絶えないステーキとハンバーグの名店。デパ地下の厨房で調理していたのは、最高級黒毛和牛を使ったサーロインステーキ。そこに肉汁たっぷりのハンバーグを添えた、まさに肉づくしの「極味弁当」はなんと9980円。この贅沢ステーキの名店も大丸東京店だけ。

実はこのデパ地下、徹底的に初モノの店にこだわっているという。

新鮮な魚介を幾重にも重ねたミルフィーユ弁当が売れまくる「創作鮨処タキモト」もデパ地下は初お目見え。さらに仙台の「牛たん かねざき」も、この店が東京初進出だ。これらは全て重村が口説き落としてきた

日本橋人形町で連日大行列をつくる創業250年の「玉ひで」もそのひとつ。初めて親子丼を売ったという歴史に名を残す店だ。そんな「玉ひで」の主人、山田耕之亮さんも、初めてデパ地下に「たまひで からっ鳥」を出店した。重村が提案したのは新たな業態での出店。「玉ひで」自慢のおいしい鶏肉を唐揚げで味わってもらう店だ。「親子丼でなくてもいいと重村さんが言ってくれたのでだったらやりたい」(山田さん)

実はこのデパ地下、贅沢な初もの弁当で、新幹線の利用客を狙う一方、「どちらかというとオフィスで働く方のランチのお弁当もあります。1000円を切る値段のお弁当で満足いただける」(重村)という。

大丸は、立地のニーズを徹底的に分析することで、年間100億円をこのデパ地下で売り上げている。

百貨店不況に負けない!J.フロントリテイリングの成功

しかし今、そんな百貨店は例外中の例外だ。バブル崩壊後、様々な業種に価格破壊を起こす小売りが現れ、さらに郊外には巨大なショッピングモールができ、圧倒的な規模で客を集めた。

その一方で、かつての小売りの王者・百貨店には、厳しい現実が突きつけられている。三越もこの3月、千葉店、多摩センター店の2店舗を閉鎖する。

以前、カンブリア宮殿で取り上げた大田区の「ダイシン百貨店」。地元の高齢者に大人気のデパートとして知られていたが、去年営業を終了、ドン・キホーテに変わっていた。ニトリも出店する激安の殿堂だ。

2010年以降、閉店した百貨店は全国で40店以上。百貨店の市場はピーク時の9兆円から縮小を続け、6兆円にまで減った。

しかし、そんな中で驚くほど業績を伸ばしているのが年商1兆1600億円大丸と松坂屋を率いるJ.フロントリテイリングだ。

2007年に大丸と松坂屋が経営統合、全国に19の百貨店をかまえるJフロントは、今や売上が業界1位の三越伊勢丹に迫る勢いだ。その快進撃の象徴が大丸東京店。年間の入店客は実に3700万人。これは東京ディズニーランドとディズニーシーをあわせた数を遥かに上回る。

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客が殺到する“大胆売り場”戦略

その秘密は百貨店の常識を覆す売り場づくりにある。

例えば1階。通常なら化粧品売り場だが、並んでいるのはおいしそうなスイーツだ。1階に東京駅の利用客がお土産を買いやすいようにとスイーツの名店を集めている

そんなスイーツ売り場で、ひときわ長い行列をつくっていたのは、他の百貨店では買えない「N.Y.キャラメルサンド」(8個入り1080円)。割った瞬間、とろとろのキャラメルソースが一気にあふれる病み付き必至のスイーツだ。娘さんに頼まれたという出張帰りのお父さんも、無事にお土産をゲット。1階に魅力的なスイーツ店を集め、東京駅の利用者のニーズを掴んでいた。

その一方で、通常1階にある化粧品売り場は全て2階に集結させていた。実はこれも、集客アップにつながっているという。女性にとっては、人の出入りの多い1階より2階の方が立ち寄りやすいという。

さらに8~10階には人気の生活雑貨店東急ハンズ」が。これは上層階に客を吸い上げる作戦。駅を使う客向けの旅行グッズの充実はもちろんだが、売り場の工夫は「東急ハンズ」に隣接させた大丸の売り場にある。お互いの関連商品を近くに並べることで、男性客もついつい買い回りをしてしまうのだ。

一方、5階の婦人服売り場には、デパートらしい大手アパレルの服が並ぶその奥に、格安のファストファッションで知られる「ZARA」が入っている。近隣で働く丸の内のOLを意識し、この界隈にない「ZARA」にあえて出店を依頼した。

この立地を研究し尽くした戦略こそJフロントの得意技。名古屋最大の繁華街・栄で100年の歴史を持つ松坂屋・名古屋店では、業績低迷の中で売り場改革を行い、客が400万人も増えたという。

本来、婦人服で埋め尽くされているはずの中層階を覗くと、そこに3フロアぶち抜きで家電量販店が丸ごと入っていた。実は長年、栄地区には家電量販店がなかった。そんな住民たちの悩みを解決するために、大胆な改装に踏み切ったのだ。

さらに客でにぎわうおもちゃ売り場で、売っていたのはポケモンのぬいぐるみ。子供たちが夢中になっていたのはポケモンのゲーム。ここはポケモンの専門店ポケモンセンター」。年齢層が高かった老舗に、子供連れ客を呼び込むためあえて誘致したのだ。

そんな売り場を生み出したのが、J.フロントリテイリング社長・山本良一。「今の子どもさんが求めている今の時代のおもちゃ売り場を考えた時に、百貨店にポケモンセンターがあっていいんじゃないか。概念を壊さないと前へ進めない。守っていたら衰退する一方ですから」という。

革新の連続だった百貨店の歴史

上野にある松坂屋。この店には、百貨店の革新の歴史が詰まっている。

創業は1768年。江戸時代、松坂屋はここで呉服屋を営んでいた。その様子は歌川広重の有名な浮世絵にも描かれている。

ちなみに歴史ある百貨店の多くはもともと呉服屋などの和服を扱う店だった。明治に入り、洋服が普及し始めると、生き残りをかけ変化に挑む。客が自由に商品を選べる陳列販売を始め、さらに客の要望に応えて衣類以外も扱い始める。つまり、変化を恐れなかった呉服屋が百貨店へと進化を遂げたのだ。

現在の松坂屋上野店のビルが建てられたのは、今から90年前。館内にはかつての百貨店の姿が今も残っている。「上り」「下り」とランプが灯るエレベーター。時計の文字盤のように階数が表示される。

この上野店で1929年、日本で初めてとなるエレベーターガールが登場した。制服を洋装にしたのが日本初なら、初めて土足で店に入れるようにしたのも松坂屋。時代を超え、革新を続けてきた。

そんな百貨店は戦後の経済成長が生んだ莫大な需要と共にさらなる成長を遂げる。世界中の珍しい商品や、最先端の流行を発信し、日本人の暮らしを変えていった。

まさに百貨店が輝いていた時代。だがその現場で、疑問を抱く若手もいた。それが1973年、大丸に入社した山本だ。

最初に配属されたのは食器売り場。ここで山本は、ある先輩の一言に衝撃を受ける。ちょうど商品を補充していた時のこと。「先輩、このお皿、あまり売れてませんが、毎月何枚ぐらい出てるんですか?」と訊ねると、「そんなの数えてるわけないだろう。仕入れなんて勘と度胸でやって、売れるもんで稼げばいい」。百貨店が好調な時代、無駄な在庫を抱えていても、誰も気にしていなかったのだ。

山本はもっと売れる商品だけを効率よく仕入れられないかとひとり商品ごとの販売データを分析し始めた。山本はそのデータを使って、仕入れの無駄を減らし売り場の利益を拡大させた

V字回復をもたらした驚きの“利益倍増売り場”

そんな百貨店も90年代に転機を迎える。他の百貨店同様、大丸も年々利益を減らし赤字寸前に。当時の社長、奥田務はその改革をある男に託した。当時営業を取り仕切っていた山本だった。

その使命は「最小のコストで、最大の顧客満足を実現せよ」。そこで山本が取り組んだのが、売り場店員の配置の見直しだった。

例えば靴下売り場には、何人も販売員が立ち、パッケージを見ればわかるような情報を丁寧に説明していた。しかし、一方では人手が足りない売り場もあった。これを見直せばもっと儲かる売り場ができるはず。そう考えた山本は、全ての売り場の接客状況の調査に乗り出す。その結果を受けてまとめ上げたのが「営業改革マスタープラン」。独自の分析に基づき、社員を接客がいらない売り場から必要な売り場に配置し直したのだ。

例えば、商品説明のいらないハンカチ売り場からはほとんどの店員を引き上げた。その一方で、社員を大幅に増やしたのが靴売り場。他の部署で減らした人材を大量に投入した。

靴売り場は、改革前は靴のブランドごとに分かれていた。それぞれの売り場にメーカーからきた販売員が立って、自分のところの靴を売るのが習わし。大丸の社員は、そのサポートをする程度だった。つまり、客が他のブランドと比べにくい売り場になっていた。

そこで山本は、売り場をひとつにまとめ、接客をメーカーの販売員から大丸の社員に切り替えた。これにより、客はブランドの垣根を越えて欲しい靴が選べるように。さらに、客が自分にあった靴を見つけやすいように専門の接客担当も配置。大丸の独自資格をもつコーディネーターは、服装に合う靴をアドバイスしてくれる。

人材を有効活用しながら、客の満足度をアップ。山本はこの手法を全店舗に展開。赤字目前だった営業利益を一気にV字回復させることに成功する。山本の改革で時代に取り残されそうになっていた百貨店が息を吹き返した

銀座に巨大商業施設が~全国の絶品が集結!?

銀座・三越の先に、カメラに収まりきらないほどの巨大な建物が出現。街の1区画が丸々巨大なビルになっていた。実はこの一部は、銀座の松坂屋があった場所。ここがJフロント、山本の新たな挑戦の舞台だ。

銀座6丁目に位置するこの施設は「ギンザシックス」。「最高に満たされた暮らし」をコンセプトに、241のテナントが入るという。

そのひとつ、岡山・倉敷にある「平翠軒」。客で賑わう店内に並ぶのは1500を超える商品の数々。どれも見たことのない美味しそうなモノばかり。代表の森田昭一郎さんが探し出した絶品を集めた店なのだ。

例えば「ちりめんドレッシング」(821円)は広島にある「おばんざい木むら」のもの。この店のサラダに使っていた、採れたてのシラスとニンニク醤油で作った手作りドレッシングに森田さんが惚れ込み、特別に売らせてもらっているという。

一方、鹿児島・鹿屋市から「ギンザシックス」に店を出すのが「南風農菓舎・デザートハウス」だ。ゆったりとした空間で客が味わっているのは、回りを囲む農園で大事に育てている様々なフルーツ。地元特産のぼんたんを、収穫後、すぐに皮をむき、シロップに加工していく。それを、焼き上がったパウンドケーキにたっぷりと染み込ませれば、「オースミ・レーヌ」(1000円)の出来上がり。そんな旬のフルーツを使った味わいが自慢だ。

「ギンザシックス」には、そんな地方でしか味わえない贅沢が集結する。山本は松坂屋の跡地に建つギンザシックスで大きな決断をした。それは「百貨店はやらない」。森ビルや住友商事などとタッグを組み、オフィスが一体となった全く新しい複合施設を目指すという。

「百貨店を進化させるというレベルではなく、誰も見たことがない商業施設をつくろうということです」(山本)

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熊本発!地方を活性化させる百貨店の奇跡

一方、苦戦が伝えられる地方の百貨店に未来はあるのか。震災から9ヶ月の熊本に希望の光があった。

半径わずか10キロに、3軒もの巨大ショッピングモールが乱立している熊本市。しかし、客を奪われているはずの中心部の商店街は驚くほど賑わっていた。ある商店主はその理由に、創業65年の鶴屋百貨店の存在をあげた。

この百貨店不況の中、去年は売上げを20億円も増やし、年商は576億円に達する。

午後2時5分。館内には県民にはおなじみ「鶴屋のテーマ」が流れ始めた。実はこれ、鶴屋から毎日行われている生放送のラジオ番組。熊本全県で聞くことができる。曲のリクエストは鶴屋の買い物客から。なんだかローカルな雰囲気だ。客は誰もが鶴屋好き。鶴屋に来るのが健康の秘訣というおばあちゃんもいる。

2011年、社長に就任した久我彰登は、郊外のショッピングモールに客を奪われる中、徹底して地域密着にこだわり業績を回復させてきた。その信条は「お客様にどれだけ近づくことができるか。ある意味で空気、水、電気と同じようなインフラの一部のようになるという気持ちを持って実践している」と言う。

朝の開店時間。するとまだオープン前だというのに、客が店内へ入ってくる。鶴屋では毎朝、店内に客を入れて10時の開店を迎えるという。「寒い時に外で待たせるのはお気の毒。親戚が自分の家を訪ねてきた時、外で待たせるか、ということです」(久我)

そして社長以下の全役員で毎朝客を出迎える。これも鶴屋流の家族主義だ。

10時半、受付に最近車いす生活になった常連客がやってきた。さっそくベテラン店員が車いすを押し、買い物スタート。客の要望通りに売り場を巡り、次々と用事を済ませていく。これは売り場を自由に案内してくれるコンシェルジュサービス。車いすに限らず、どんな客も無料で案内してくれる。このサービスのおかげで、店に来るのが難しくなった客も、鶴屋を利用し続けているという。

「儲からない場所は客のために」~“客は家族”の超密着戦略

そんな家族目線のサービスをするため、久我は大幅な売り場改装も断行した。

紳士服売り場の一番奥に、その改革を象徴する場所がある。扉を開けると、そこは豪華な雰囲気の部屋で、クラシックが流れていた。聞いているのは、奥さんの買い物を待つお父さんたち。使われているのは高級スピーカーとマニアにはたまらない真空管のアンプ。会員の予約がなければ、誰でも無料で利用できるという。

久我が進めた改革ポリシーは明快だ。儲からない場所は客のために使う

例えば、売上があまり上がらなかった着物売り場を改装して作ったのは、無料のキッズスペース。小さな子供のいる家族を想定した改装だ。こうして久我は、売り場を次々に家族目線の空間に変えていったのだ。

「高度成長期のように何でもかんでも詰め込めば営業がうまくいく時代ではない。リニューアル後、売り場面積は減ったが、売上は伸びています」(久我)

地域密着の鶴屋流は地元メーカーも支えている

店のお歳暮コーナーで人気を集めていたのは、県内で作られた商品の詰め合わせ「肥後だより」(5400円)。多くは地震で被災したメーカーの商品だ。

いまだ電車も復旧せず客足が戻らない阿蘇市の漬け物屋さん「お漬物処 産庵」もそのひとつ。長年作り続けてきたのは「阿蘇たかな漬」。鶴屋のお歳暮のお陰で、なんとか商売を続けられたという。同社の村上小百合さんは「通常より多く買っていただいたので、本当に助かりました」と言う。

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感動売り場をつくる社員たち~全員参加のデパート改革

奇跡の集客を誇る熊本の鶴屋。そこで働く女性社員は、時々、驚くべき変身を遂げる。昼過ぎ、バックヤードに消えていったかと思うと、しばらくしてそろいのドレスに着替えて登場。店内の広場で客を前に歌い始めた。

実は彼女たちはイベントごとに曲を披露する「鶴屋コーラスグループ エンジェリア」。同好会ではなく、来店客へのサービスとして社員のアイデアで始めたという。

サンタに扮した社員が行っていたのは、クリスマス期間の特別企画「みんなもサンタになろう!」。誰もがサンタになれるという、CGを駆使した楽しいサービスだ。これも社員たちが考えて実現した。このアイデアの元となった「誰もがサンタ」というクリスマスのキャッチコピーも社員が考えたものだ。

久我は社員全員を魅力ある店づくりに参加させることで、現場の意識改革を行ってきた。

自分たちのアイデアや気持ちで会社を変えていける。そういう会社にできれば仕事も楽しくなると思います」(久我)

以前は企画会社に任せていたイベントも、今は自分たちでアイデアを出し実行している。

久我はそんな改革の手始めに、全社員に店内で改善すべきことを提案させ、ひとつひとつ実行に移していった。

例えば冬の季節、「入り口ドアの取っ手が金属で冷たい」と指摘があれば、そこにカバーをつけるアイデアを考え、実行した。さらに「おつりは新札の方がいい」という客の声があれば、銀行と交渉し、できる限り新札を用意してもらうことにした。

地域住民にどこよりも愛される店を作るため鶴屋は全社員が一丸となり闘っている

「百貨店はたくさんの人が働いているので、それぞれが知恵を出していろいろ始めると、すごいことができる。そういうことをひとつひとつ丁寧にやっていけば、必ず道は開ける。今こそ百貨店だと思います」(久我)

~村上龍の編集後記~

幼いころ、コンビニもアウトレットもモールもない時代、週末に家族で出かけるところは、百貨店しかなかった。

衣服や玩具売り場を回り、屋上で遊び、食堂でオムライスを食べた。

あらゆるものが揃っている夢のような空間で憩いの場でもあった

だが、今、百貨店は深刻な岐路に直面している。

消滅するのか、大きく変化するのか、再び「憩いの場」としてよみがえるのか。選択は地域性にも左右される。

「夢のような空間」は復活するのか。可否は、おそらく百貨店という業態ではなく、個々の店舗の経営戦略に委ねられている

 

 

<出演者略歴>

山本良一(やまもと・りょういち)1951年、神奈川県生まれ。1973年、明治大学卒業後、大丸に入社。2003年、大丸社長就任。2013年、J.フロントリテイリング社長就任。

久我彰登(くが・あきと)1955年、熊本県生まれ。1978年、宮崎大学卒業後、鶴屋百貨店に入社。2011年、社長就任。

source:テレビ東京「カンブリア宮殿」

テレビ東京「カンブリア宮殿」

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テレビ東京系列で毎週木曜 夜10時から放送。ニュースが伝えない日本経済を、村上龍・小池栄子が“平成カンブリア紀の経済人”を迎えてお伝えする、大人のためのトーク・ライブ・ショーです。まぐまぐの新サービス「mine」では、毎週の放送内容をコラム化した「読んで分かる『カンブリア宮殿』~ビジネスのヒントがここにある~」をお届けします。

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