真面目に対応して疲労困憊している教員も多数いる中で、一部のトンデモ教員は、公務員であろうが即刻クビが妥当ではないか、真面目に働いて税金を納めているのに、なんだ?と思うのだ。
この担任は結果的に何も認めぬまま、校長らとの携帯はおおよそブロッキングをして鳴らないようにしていた。
教育界は主に性善説を唱えるが、そろそろ性悪説も視野に入れるべきだし、性悪説・性善説をミックスして考えることはできないだろうか。
もう一方、大人社会でも福島県ナンバーの避難していた車がイタズラされるということは多々あったはずだ。
横浜市の原発いじめ報道から確かに様々な地域での原発いじめはニュースとなり、この頃では原発いじめの相談は私のところには来ていない。
これはまずいとなってから、よくよく注意し問題が首を引っ込めるということなのだろう。
ただ、続報となる横浜市教育委員会の教育長の「いじめではない」発言からみた事実は、今の教育委員会などにある閉塞的ないじめを認めようとしない従前からの姿勢が表れたものであり、その根拠となる第三者委員会たるものが、その実、調査権限などは強制的ではなく、あくまで任意であり、大した調査もできないという現実問題や論理を弄ぶばかりで前述通り、いじめを認めようとしない姿勢が強い社会が反映されている教育界からみて都合の良い専門家が選任されやすい傾向があるということなのだ。
特に親の立場となる者は、いつ自分がどちら側になるかわからないという意識を強く持つべきだろう。
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