京都・寺町通りのナゾ。なぜ秀吉は、京の東部に寺を並べたのか?

 

寺町通りの散策

寺町を一番賑やかな寺町四条から北に向かって歩いてみましょう。この辺りから少し南側にはかつて電気街だったようですが、最近は大型電気店に押されて多くは店じまいしてしまったようです。今では数店舗だけしか残っていません。

四条通を過ぎると寺町通は大きなショッピングアーケードに覆われます。隣の通りに平行に走る新京極アーケードと連日多くの人で賑わっています。強いて言えば新京極アーケードが若者向けの店が多いのに対しして、寺町通の店はもう少し対象年齢が高いようです。両脇には色々なお店が立ち並んでいます。

突き当りまで行くとそこは東西に走る三条通にでます。正面に見えるのは「かに道楽」京都本店です。寺町通はこの突き当りを右斜めに少しだけ折れて北に延びています。この辺りは高級すき焼き店で有名な「三嶋亭」があります。明治6年に開業し、京都で初めて牛鍋を出したお店です。

ここから先の寺町通には、古本屋、古美術店、純喫茶などレトロな雰囲気が漂います。和紙などの専門店で今では東京の銀座四丁目にあるお店の方が有名になった「鳩居堂」もこの辺りにあります。江戸時代にこの地に薬種商として創業したのが始まりですが、前身は平安時代までさかのぼる老舗中の老舗です。「鳩居堂」はこちらが本店で、東京銀座にあるのは東京本店です。

三条通りより北に続く寺町通沿いには「迎え鐘」で有名な矢田寺や御池通りの手前には織田信長が焼け打ちとなった本能寺があります。本能寺に関しては、「本能寺の変」の時とは場所が変わっています

御池通りを過ぎると、極上ほうじ茶で有名な一保堂や和紙の紙司・柿本や書道具の専門店・古梅園などが立ち並びます。右側には、革堂の呼び名で親しまれている行願寺下御霊神社などがあります。

丸太町通を過ぎると、通りの西側は今出川通までは御所になります。丸太町から北に進むと、右側に同志社の創始者・新島襄が八重夫人と暮らした邸宅が見えてきます。

その先には紫式部が源氏物語を書いた場所と伝わる廬山寺や浄土宗の清浄華院、西側には萩で有名な梨木なしのき神社などがあります。今出川通りにぶつかると左側には同志社大学の赤レンガの建物が沢山見えてきます。

 

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