皇帝はなぜ怒ったのか?
「さて、隋の宮殿に着いた小野妹子は、皇帝の煬帝(ようだい)に天皇からの国書を渡しました。皇帝は手紙を読み始めたとたん「このような野蛮国の無礼な手紙が来ても、これからは私に見せるな」と臣下に言いつけたそうです。この手紙のどこかに皇帝を怒らせる言葉があったのですね。それはどの言葉でしょう」
「なんとなくだけど、『つつがなきや』」と自信なさそうな答。
「『つつがなきや』は意味が分からないからね。怪しいと思ったでしょう。でも残念でした。これは『お元気ですか?』という意味です。
別の生徒が答えた。「『日出づる処の天子』と『日没する処の天子』です。『日出づる』日本はこれから発展していく感じですが、中国は『日没する』でこれから夜になるみたいです」
「本当にそうですね。先生も子供の頃はそう教わりました。だから正解とします。でも、これについては単に東と西という意味で、皇帝もそんなに気にしなかったのではないか、というのが、最近の研究のようです。実は皇帝がいちばん許せなかったのは『天子』という言葉なのです。なぜでしょう?」
「日本の天皇と中国の皇帝が同じ偉さになってしまう。だから、そんなこと絶対に許せんって中国は怒ったんだと思いました」
「よく考えましたね」と齋藤先生は当時の「冊封(さくほう)」体制について説明を始める。中国の皇帝が一番偉くて、周りの国は皇帝の家来であり、中国に貢ぎ物をして、そのお返しに自分の国の「王」だと認めて貰う仕組みである。
どうして隋の皇帝を怒らせるようなことを書いたのか?
いよいよ授業は、核心の問いに到達した。齋藤先生は言った。
「聖徳太子は、どうして隋の皇帝を怒らせるようなことを書いたのでしょうか? 自分の考えをノートに書きなさい」
その授業でいちばんノーミソを使ってほしいところでは書かせるのがよい、というのが齋藤先生の流儀だ。生徒たちは一生懸命ノートに向かう。静かな教室に鉛筆の走る音だけが聞こえる。しばらくしてから挙手している生徒を指名して答えさせる。
「これからは、中国と日本の関係を親分子分じゃなくて、日本は独立して中国と同じになる」
「前は日本は中国に従っていたから、『邪馬台国』の邪とか、『卑弥呼』の卑しいとか、悪い字を使われていたじゃないですか。そういう関係はイヤだと思った」
言っている内容は似ているが、言い方にそれぞれの子供の個性が出る。
そんなにうまくいくのか?
「ちょっとみんなに言いたいんですけど」と一人の生徒が反論する。
「国と国とが平等になって独立するのはいいんですけど、日本はこれから中国から文化とかを学んで発展したいんじゃないですか。それなのに、いま親分子分の関係をやめて中国から離れてしまったら、文化や技術を学べなくなっちゃうんじゃないですか?」
この反論から、生徒間の議論が始まった。
「中国の下にいたら、何でも自由にはできない。それだったら、中国から学べないとしても、独立してやっていく方がいい」
「中国から学んでも、国としては平等になろうということだから、中国にそれを認めてもらえれば、それはできると思います」
「でも、実際には皇帝は怒っているんですよね。うまくいかないと思うんですけど」
一人の子供の反論から始まった議論で、子供たちは分かっていたつもりの風景を、反対側からも見るようになった。反論が出せる教室は素晴らしい、というのが齋藤先生の思いである。