【書評】すしざんまいを日本一有名な寿司屋にした「3人の女性」

 

新しいビジネスを生み出すために、既存のマーケットのデータを収集することは必須ではありますが、そのデータをどんなに読み込んだとしても、「隠れた需要」を見つけることは難しいもの。今回の無料メルマガ『ビジネス発想源』では著者の弘中勝さんが、そんな「隠れた需要」を見出し大成功を収めた人気寿司店「すしざんまい」の社長が著した一冊を紹介しています。

手付かずのマーケット

最近読んだ本の内容からの話。

バブル期、東京築地の水産会社や寿司店は本業よりも不動産投資に明け暮れて、バブル崩壊後にどこも経営が悪化して活気を失い、かつて年間600万人もの集客があった築地は150万人を下回るお客様しか集まらなくなった。

若い頃から築地で水産物の卸に従事してマグロの目利きに定評のあった木村清氏は、立地条件の良い土地のオーナーや銀行担当者から、「ここを貸すから、なんとか人を集めてよ。保証金などのお金は、儲かってからでいいから」と頼まれ、築地への恩返しとして引き受けた。

木村氏は何十年もの築地での経験から、「おかしいな」「なんでそうなってるんだろう」と疑問に思ってきた寿司業界の常識を自分なりに覆し解決する店を作ろうと思った。そこで、「時価」を無くして価格をメニューに記し、一貫98円、高級ネタは398円と明朗会計を徹底、24時間年中無休という、業界では前代未聞の「すしざんまい」を2001年4月18日にオープンした。

24時間営業は寿司屋としては前代未聞だが、当時すでにコンビニでは当たり前のことであり、木村氏もかつて、24時間の弁当屋を経営していて、「どうして寿司屋にはできないんだろう」と思っていた。築地には日中だけではなく、深夜帯にも5,000台に上るトラックが往来しており、その運転手たちが利用するだろうという読みがあった。

ところが「すしざんまい」をオープンしてみると、トラックの運転手たちは全く来店せず当てが外れたので、木村社長が運転手に聞くと、「早く荷物を降ろして、東京を脱出しないといけない」と、みんな急いでおり、完全に読みが外れた

深夜にお客様が来てくれないのでは、24時間営業をする意味がない。悩んでいた木村社長は、一つのアイデアが浮かび、すぐに電話で3人の女性に連絡をした。それは、銀座のお店のママたちである。銀座のクラブには「アフター」があるから、うちに来てくれてはどうかと連絡したところ、3軒のママが次から次にお客様を連れて来てくれた。

夜中の12時過ぎから早朝5時という深夜帯に着物の女性と一流会社のお偉方が寿司屋に次々と吸い込まれていく、という様子が話題となって新聞やテレビなどで報じられた。その話題を見て、地方から観光に来る人が、「東京で寿司を食べるののは憧れだが、24時間の明朗会計の店なら自分にも行ける」と思ってくれて、続々とやって来た。

さらには、ある時期から、外国人の利用者が増えるようになっていった。成田空港の国際最終便の到着は夜22時台なので、翌朝のトランジット便利用の外国人が、「せっかく日本で数時間滞在するのだから、SUSHIを食べたい」と考えていたところ、当時その時間帯にやっている寿司屋は「すしざんまい」しかない、とガイドブックに紹介されており、成田空港からわざわざタクシーで訪れてくれるようになった。

スタートは閑古鳥が鳴いていた深夜の時間帯も、こうしてお客様が行列してくれるようになった。こうして、35坪、40数席の1号店は、年間10億円の売上を記録する人気店となった。「すしざんまい」はその後、築地を中心に店舗数を増やしていって急成長を続け、「日本一有名な寿司店」と言われるほどになった。

「すしざんまい」の順調な集客を契機にして、バブル崩壊後に活気を失った築地は再び、多くの観光客が賑わう観光地となった。

木村氏は今でも、深夜帯に真っ先に訪れてくれた最初の3人のママに感謝をしており、銀座で飲む時はこの3軒と決めている。当時の恩を忘れてはいけないと思っているからだ、と「すしざんまい」の木村社長は述べている。

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