歴史を知れば見えてくる。年金はなぜ、今の金額に決められたのか

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一部では破綻の危機もささやかれる「年金制度」ですが、これまで数々の工夫・改正により、現在のしくみが形作られたことをご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『年金アドバイザーが教える!楽しく学ぶ公的年金講座』では、時代ごとに変化を重ねてきた年金の歴史を振り返りながら、著者のhirokiさんがその有益性についてわかりやすく解説します。

年金は給付と負担のバランスを均衡させないと、後代にツケを回すことになる

さて、今日は少し、年金の歴史を振り返りたいと思います。

年金は平成16年に改正があるまでは、年金給付水準を現役時代の60%以上を確保するために昭和29年厚生年金大改正以後5年間ごとに、将来の見通しを立てながら、年金給付を決めてそれに必要な保険料を決めてきました(財政再計算という)。

昭和30年代になり、高度経済成長期という時代に入って賃金がどんどん上がっていき(10年間あれば賃金が2倍以上になる感じ)、現役時代の賃金と年金水準の乖離が著しくなってきたから標準的な年金額も大体月額3,500円だったのが昭和40年改正で1万円年金になり、昭和44年改正で2万円になり、そして昭和48年改正で年金水準は現役時代の60%以上を確保するという考え方に立ち5万円年金になりました。

また、この昭和48年に物価が変動すれば年金もそれに連動して上げるっていう物価スライド制というのが導入された年でもありました。そして、過去の低い賃金をその当時の金額のまま年金額計算に含めると年金額が低くなってしまうので、年金額の価値を維持するために過去の賃金を現在の価値に見直す賃金の再評価」というものも導入された年でもありました。

ところが、物価スライド制が導入されたまさに昭和48年に第一次オイルショックというのが起こり、その後の物価が2年間で41%上がってしまうという狂乱的な物価上昇が発生しました。物価スライド制を導入したから、もちろんそれだけ年金額も上がりました(平成元年改正で物価の上昇が5%未満であっても年金額を上昇させる完全自動物価スライド制というのになった)。

昭和50年になり、高度経済成長期は終わって税収が急激に落ち込み、初めて税収より支出が上回る財政赤字が発生しました。つまり、足りない分は国債等で補う。でも、年金額は昭和51年に月額9万円、昭和55年に月額13万円と上がっていきました。

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