日本人は見ず知らずの人に親切、身内には他人行儀
「俺が俺が」の不安定社会においては、見ず知らずの他人はすぐには信用できない。そうした社会の人々が日本に来ると、驚くことがある。
韓国人たちも、日本を旅行した感想として語るベスト・スリーの日本印象のなかには、必ず「日本人は親切」というのが入っています。とくに初めて日本を訪れた韓国人は、ほとんどの場合、「日本人は悪い奴」という先入観を持っていますから、逆に意外な親切さに驚き、印象的に思うようです。
もちろん、この親切というのは、たとえば道をたずねたときとか、ショッピングでの対応とか、各種窓口での接触とかを通じての印象です。つまり、日本での見ず知らずの人間に対する、一回切りの接触での親切に、韓国人たちはとくに感心します。いや「見ず知らずの人間にもかかわらず、なぜあんなに親切なのか」という意味で、日本人の一般的な親切さに感心するのです。
(同上)
逆に韓国ではいったん親しくなると、「肝までくれてやる」とことわざに言うほど、とことん親切にする。そして、お互いにその親切さを要求する。こうした感覚から見ると、日本人は親しい間柄になっても、よそよそしく「他人行儀」だと韓国人は非難する。
日本人が感謝すべきこと
日本人と韓国人は外見はそっくりだが、その行動様式はこれほどに異なる。お互いに外見がそっくりだから、行動様式も似ているだろうと思いこむところから、摩擦が始まる。無用な摩擦を回避するためには、まずはお互いに全く異なる文化を持つ「外国人」どうしであることを認め合わなければならない。
そして、両国民の行動様式の違いの大きな要因の一つが、李炳注氏の指摘したように、日本人が「安定した環境である程度の確立した社会」の中で皆が平等に仲良く暮らす国柄を築いてきたのに対し、韓国人は「常に不安定で価値の乱れた社会」の中で生きてこざるをえなかった点にあるようだ。
日本民族は、近隣諸国から海で隔絶された安全な美しい島国に住み着き、数千年の間、他国に比べればはるかに平和で安定した、そして平等な社会を築いてきた。たまたま、そのような国に生まれついた我が身の幸福を認識しなければならない。
そして、このような幸福な社会を築いてくれたご先祖様に感謝し、それをさらに維持・発展させて、子孫たちに受け継いでいくべき責任が、我々の世代にあることも自覚すべきであろう。
さらに、世界の多くの恵まれない国々に生まれついた人々のためには、なにがしかの分福(福の分かち合い)をしたいものである。
文責:伊勢雅臣
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