東京にも進出。新潟発の「非効率すぎる」ファミレスが愛される理由

 

東京にも進出~知られざるご当地グルメ企業

こうした大手ファミレスとは全く違うやり方で人気を集め、拡大している三宝。ファミレスの他にもラーメン専門店など今や45店舗を展開している。厳しい外食業界にあって、売り上げも右肩上がりの快進撃を続けている。

その本部は新潟市西区ののどかな田園風景の中にある。新商品の開発に当たる試作室。あれだけメニューがありながら、客を飽きさせないようさらなる商品開発が進められている。

この日、試作していたのはジャガイモと牛乳を使った料理、ポタージュだ。それを大胆にもラーメンにかけてしまう。中華から洋食まで扱う三宝らしい試作品。オリーブオイルを散らして出来上がりだ。

三宝の2代目社長金子博信はほとんど毎日のように試食をしていると言う。金子は商品開発ではあるルールを決めていた。

開発段階では基本的には売価も原価も考えず使う食材の制限も外して作ってもらいます。そうしないといい料理はできないと思うんです」

こうして作り上げた味を金子は東京でも試している。中目黒の「三宝亭東京ラボ」。この店ではメニューの数を絞り中華に特化。三宝の味ややり方が東京でも通用するのか、長い目で試している。

麻婆豆腐をそのままスープ代わりにかけるのは「全とろ麻婆麺」(1,000円)。ご飯は新潟産のコシヒカリをわざわざ店内で精米して炊いている。新潟っ子を虜にする味が、東京でもファンを増やしていた。

「大手の真似のできないことで自分たちの強みをいかす。それが地域の方々に支持され続ける理由ではないかと思います」(金子)

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創業者が目指した「何でもあるファミレス」

新潟市内の三宝・本店。お昼時に温厚そうな男性がやって来た。大人しく座って順番を待つおじいちゃんは三宝の創業者で会長の金子行宏。日本庭園を置くアイデアも行宏会長が提案したものだという。

79歳になった今も、行宏会長は毎日各店舗を回り味のチェックをしている。この日、頼んだのは日替わりランチ(799円)。エビ玉とチキンカツのマスタードソースがけと、ボリュームたっぷりだ。そもそも三宝の様々なメニューの味を決めたのが行宏会長だった。

行宏はもともと料理人。フレンチのシェフを目指し、1956年、18歳で東京のホテルに就職。11年間、本格的なフランス料理の修業を積んだ。1967年、29歳で独立。開いたのはフレンチではなく、大衆的な中華の食堂「三宝飯店」だった。当時の新潟でフレンチは敷居が高すぎるという判断だった。味のいい中華食堂は繁盛した。そして「親子3世代で来られるような店を作りたい」という思いを抱くようになった。

創業から3年後、行宏は思い描いた店を作る。それがロードサイド型のレストラン「レストハウス三宝」。家族3世代で来てもらうために考え抜いたのはメニューだ。当時のメニューには、本格的な中華料理とステーキやハンバーグという洋食が並んで載っていた。現在の“何でもあるファミレスの原型となる店を作ったのだ。

「洋食と中華が五分五分で出る店はなかった。全国でも走りだと思います」(行宏)

これまでなかった3世代が楽しめる店は当たり、2号店もオープン。一方、「経営者としてもっと学びたい」と感じた行宏は、新潟から東京のコンサルタントの元へ通い始める。

すると3号店の出店を前に、コンサルタントが「今、東京で流行っている大手チェーンのような店にしよう」という提案をしてきた。

行宏はコンサルタントに言われるままの形で、1985年、3号店を作る。今までとはがらりと変え、小上がりや座敷は一切なく、大手ファミレス風の造りにした。

外観はアメリカから持ってきたようなデザイン。名前は三宝ではなく「サンフランシスカン・ナンバースリー」と横文字にした。海が近く、坂が多い。サンフランシスコのような場所の3号店だから「サンフランシスカン・ナンバースリー」というわけだ。

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