【書評】なぜ「銀のさら」は新参者から業界No.1になれたのか

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業界の成長を阻むどころか衰退に向かわせるのが、「こんなものでいい」という考え方ですが、そんな「妥協」を排し、自ら立ち上げた会社を日本一に育て上げた起業家がいます。今回の無料メルマガ『ビジネス発想源』で取り上げているのは、宅配寿司「銀のさら」創業者・江見朗氏の著作。江見氏はいかにして自社を業界シェア50%の企業に成長させたのでしょうか。

妥協と徹底

最近読んだ本の内容からの話。

高校時代にアメリカに憧れた江見朗氏は、高校卒業後に3年半でバイト代を350万円貯め、アメリカで永住権を取るためにロサンゼルスで寿司職人として働き始めた。しかし、起業が目前に迫った30歳の時、失恋で挫折して日本に帰国し、起業のためにいろいろな業種を検討して、アメリカで人気を見た、細長いパンで作るサブマリン・サンドイッチで起業することにした。

まだ東京でサブウェイの1号店が出たばかりで、まだサブマリンサンドイッチの存在が知られていない岐阜の中心街にて、1992年、江見氏はサンドイッチ店を開業したものの、売上には苦戦し、自ら売り歩きにも出た。

しかし、江見氏が台車でサンドイッチを売る横で軽自動車の荷台に弁当を並べている人がいて、そちらの方が明らかにお客が多く、見ると一番売れているのは寿司だった。海外で寿司職人をやっていたのに、日本で寿司で起業するつもりのなかった江見氏は、「やっぱり日本人には寿司が一番合うんだなあ…」と痛感した。

江見氏は岐阜だけでなく名古屋や東京まで行って、世帯数の多いマンションの郵便受けのゴミ箱に大量に捨てられてある宅配寿司の各社のチラシを拾い集めてきて、岐阜に戻って全部広げてみた。すると、どれもデザインといい紙の質といい構成といいキャッチコピーといい欠点だらけで、どれも熱意が感じられず、自分だったらうまくいくと確信し、宅配寿司を始めることにした。

当時の宅配寿司チェーンのほとんどが、「宅配の寿司なのだから普通の寿司屋の寿司より美味しくないのが当たり前」という考え方で、桶は汚いし、ネタは小さいし、明らかに鮮度が悪いものが多数だった。

だが、寿司の経験がある江見氏の考えは違った。

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