「超時空要塞マクロス」は35年前、どんな未来を描いていたのか?

 

●伝言ゲームが生むドラマ

さて、この回では電話とそれを介して行われる「通信」が、さりげなくも重要な役割を果たしています。

ドラマは作品を引っ張っていくもので、その本質とは人間関係や心情の変化です。ではそのドラマを発生させるものとは何でしょうか。いくつか定番の手法がある中で、ドラマとは葛藤であり軋轢(ストレス)から生まれるものが多いことに注目すると、登場人物同士の抱く「誤解」はかなり基礎的な位置づけのものでしょう。

この回でも「電話」によって一種の「伝言ゲーム」的誤解の火種が生じ、そこで生まれた溝がだんだん大きくなっていくプロセスが、ドラマとして描かれています。

ミンメイは自分の映画に輝を招待しようと考え、電話をします。ところが輝は外出中で、宿舎の受け付けのおじさんが代わりに出てしまう──。そこでミンメイは自分が押さえた座席番号と招待の件を伝言するわけですが、輝が戻ってくると、ミンメイからの電話があったというだけで舞い上がってしまい、伝言部分をみなまで聞かずに外の公衆電話に走り出てしまうのです。あとは当然予想される通りの展開でして、輝がかけてもミンメイの方が今度は不在、いわゆる「白ヤギさん黒ヤギさん状態」(笑)が発生するわけです。

結果、輝は一般チケットで入場することになってしまい、遠くからミンメイを見つめ、ミンメイはせっかく用意した最前列の席が空席なので残念に思う──これは物語全体から見ると、かなり決定的な食い違いが起きた瞬間です。その発端は、どこにでもありそうな、日常のささいな「ボタンのかけ違い」です。

この日常的リアリティがドラマ全体のリアリティの重みづけにも大きく作用するという、テコの原理みたいなことが発生しているわけです。

●遠距離の心をつなぐ通信

第21話後半では、輝と未沙、それぞれ好きだと思いこんでいた人との距離を感じた者同士がトランスフォーメーションで発生した閉鎖区域から出られなくなります。これは初期の話で輝とミンメイがずっと閉じこめられていたときの一種の再演になっており、そこで二人が交わす何気ない会話によって、互いの気持ちの確認をしたというムードが微妙に出ています。

それを受けて、この近辺の回で「通信」が重要な役割を果たす回がもうひとつあります。第24話「グッバイ・ガール」(脚本/富田祐弘、演出/高山文彦)という回です。

ここでは、単身地球へ戻る未沙が出立間際の短い時間を使って輝に別れの通信をします(受けた輝側は電話)。これは、せっかく気持ちの近づいた二人が二度と会えなくなるのでは……という予兆を観客にもたらしています。それは離れていく未沙が顔の見えない電話を使ってまで、わざわざ輝に話をしたいということで欲求の大きさを現し、その上で交わされる内容が「別離」であることが、その予兆の誘因になっているわけです。

この伏線があるからこそ、さらにクライマックスの第27話「愛は流れる」(脚本/松崎健一、演出/石黒昇・笠原達也)にいたって、人類が全滅しかけて文字通り本当に「二度と会えなくなるかもしれない」という状況の中で、輝の未沙救出劇が最高に盛り上がるわけで、こういうところがTVシリーズならではの大きなドラマの仕掛けだと改めて思います。

print
いま読まれてます

  • 「超時空要塞マクロス」は35年前、どんな未来を描いていたのか?
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け