◎織田信長(1534年-1582年6月21日)
織田信長公、日本史上最も人気の高い偉人である我らがノッブが40歳を迎えたのが、1574年。時の天皇に「蘭奢待の切り取り」を望んで認められた年です。
長島一向一揆に対する第三次長島侵攻がこの年で、追い詰められた門徒の反撃に一族はじめ多大な被害を受けながらも殲滅、完全制圧した年でした。
翌1575年には長篠の戦いで武田勝頼を撃破。40代の信長は覇道を突き進んで、天下一統目前の1582年、48歳で本能寺の変を迎え、生涯を終えます。
◎豊臣秀吉(1537年-1598年9月18日)
戦国一の出世頭、太閤秀吉は遅咲きの印象がありますが、40歳の1577年には、信長から命ぜられた中国攻めの端緒となる播磨平定に道筋をつけて、信長から褒められています。
大河ドラマ『軍師官兵衛』で官兵衛が奔走していた、秀吉を姫路城に迎えて、小寺政職らを説得して押さえ込んだ、あの辺りです。近年雲海で有名な、但馬の竹田城もこの頃に落としています。
◎徳川家康(1543年1月31日-1616年6月1日)
家康が40歳を迎えたのは、本能寺の変の翌年1583年。つまり大騒ぎの最中です。大河ドラマ『真田丸』で真田昌幸が、あっちに寝返りこっちに寝返りとしつつ、沼田を渡す渡さないって駆け回っていた頃です。
1583年、秀吉は賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破っています。
◎徳川吉宗(1684年11月27日-1751年7月12日)
吉宗40歳の1724年は、将軍になって8年、享保の改革まっただ中。小石川養生所の設置が1722年のことです。足高の制の施行が1723年。吉宗が規制した心中が流行した元凶とも言える、近松門左衛門が亡くなったのが、1725年です。