他人への大切さを忘れ、何となく「戦争」に向かう日本人

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北朝鮮による挑発行動で、日本国内でも「戦争」「防衛」「先制攻撃」などといった、きな臭いキーワードを日常的に目にする昨今の日本。メルマガ 『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者でジャーナリストの引地達也さんは、「戦争」の是非について論じようとすると、すぐに左右のイデオロギー対立に誘導されてしまうと述べた上で、もっと「人を大切にする」という基本的な論理から考えるべきだとの持論を展開しています。

戦争という現実、人を大切にするという倫理から考えたい

北朝鮮の挑発行為に対して「戦争が現実味を帯びた未来として語られるようになった。いつの間にか、という感覚の中で海上自衛隊が米国の空母の護衛につき、その任務の支援を行っている。

2001年の米中枢同時テロを受けての米軍主導のアフガニスタン攻撃の際、海上自衛隊はインド洋で軍の給油活動をしたこともあったが、今回は同じアジアの海域で朝鮮半島をめぐる問題の対処として位置づけられているから、「私たちを守るため」という雰囲気を醸し出しながら、何となくの戦いがすでに始まっているのかもしれない。日清戦争、日露戦争、そして日中戦争から太平洋戦争まで、どの戦争の歴史も庶民にとっては何となく始まった感覚が伝えられているから、多くの方が指摘しているように、今は戦後ではなく、戦争以前、ということである。

日常が突然、戦争の世になることは、最近ではシリア内戦やウクライナなどでも知っているはずだが、それは遠く欧州や中東の話だった。

今は隣国の出来事である。日常に入り込んだ戦争に私たちは抗う術はないから、今から考えなければならない。日清、日露、日中、太平洋戦争も世論の多くは戦うことを拒否しなかった。権力により世論は作られたにせよ、大きな抵抗は消された。例えば、内村鑑三が日露戦争に反対し萬朝報を辞したのは事件となったが、それが潮流を変えることにはならなかった。そして、今、身を挺して警告を発する人さえいない。それは悲しい。となれば市井の方々が声をあげるしかない。そんな思いでいたら、ある障がい者が話をしたい」と私のもとにやってきた。

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