日中の首脳が相互訪問呼びかけへ。二階氏の訪中は正解と言えるのか?

 

アメリカを出し抜いた田中角栄

1960年代末、ニクソン大統領は、ソ連に対抗するために、中国と和解することにしました。1972年、ニクソンは、中国を訪問。「台湾に関する5原則」を提示し、台湾を事実上見捨てます。このニクソン訪中で、米中関係は、どうなったのでしょうか? キッシンジャー大統領補佐官が、「回顧録」でこう書いています。

事実上の同盟関係への移行を意味した。

 

当初はアジアに限定されていたが、その取り組みは一年後には拡大して、残りの世界も包含された。中国と米国の協議は、正式な同盟国の間でもまれな濃密なレベルに達した。

どうですか、これ? 1972年時点で、米中は、「事実上の同盟関係だ」と、キッシンジャーが言っている。このキッシンジャーは、しばしばトランプに会っています。なんでも、「トランプの外交指南役」だとか。トランプが「親中」になってきた原因の一つが、このおじさんにあることは、間違いないでしょう。

さて、ニクソン訪中は、1972年2月。日本では、田中角栄が72年7月、総理大臣に就任した。彼は、同年9月訪中し、「アッ」という間に「日中国交正常化」を成し遂げてしまいます(ちなみに、米中国交正常化は、1979年)。

アメリカを出し抜こうとする田中総理に、キッシンジャーは大激怒。「ジャップは最悪の裏切り者!」と絶叫したことが、明らかになっています。共同通信2006年5月26日から。

「ジャップは最悪の裏切り者」(解禁された米公文書より)
72年にキッシンジャー氏

 

【ワシントン26日共同】ニクソン米大統領の中国訪問など1970年代の米外交政策を主導したキッシンジャー大統領補佐官(後に国務長官)が72年夏、田中角栄首相が訪中して日中国交正常化を図る計画を知り「ジャップ(日本人への蔑称)」との表現を使って日本を「最悪の裏切り者」と非難していたことが、26日までに解禁された米公文書で分かった。

この時、田中角栄は明らかに、日中関係を日米関係より優先させていました。つまり、

  • 日中関係 >>> 日米関係

それで、得をしたのは、どの国でしょう? そう、中国ですね。日本とアメリカが「中国愛」を競う状態になり、中国は急速に発展していった。毛沢東と鄧小平の外交は、まことに見事でした。

「人民解放軍の野戦軍司令官」になった小沢一郎

もう一つの例は、田中角栄さんの弟子・小沢一郎さんです。08年、リーマン・ショックから「100年に1度の大不況」が起こります。世界中の国々が、「アメリカは沈み中国は昇る」と思った。これは、実際そうだったのです。

アメリカの沈没と、中国浮上は、日本の政界にも大きな影響を与えます。そう、親米自民党が沈み、親中民主党が政権をとった。鳩山・小沢コンビは、露骨に「アメリカ軽視中国重視」に外交を転換します。

09年12月、大訪中団を率いて北京に乗り込んだ小沢一郎幹事長は、「私は、人民解放軍の野戦軍司令官である!」と宣言します。小沢さんは、師匠の田中角栄さんと同じで、日中関係を日米関係より大事にした

それで、どうなりましたか? 比較的最近のことですので、私たちは覚えています。

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