ボランティアの実務の内容は多岐にわたる。個人宅のことが多いが、神社やお寺といった文化財に関わることもある。引っ越しの手伝いや敷地整理が多い。以前から何度かレポートしているが、敷地の「竹」をどうにかしてくれというのはすごく多くて、かつ手強い。
どれも、大型の機械ではできず、行政からは支援がもらえず、ボランティアに頼るしかない仕事ばかりである。特別な技術者のいる団体には、大きな木を切る依頼がくることもある。今回我々の団体は大学生が過半数で、他団体に比べてかなりパワーのある集団となっていた。
今回は午前と午後で2件の依頼をこなし、草刈りと側溝の泥のかき出しをしてきた。まず1件目は個人宅の草刈り。夏らしく、草が伸び放題で足下が全く見えず、密林状態である。かなりの広さがある上、大きな石やブロック、井戸のようなものの後や切り株などが多数あり、草刈りするには危険である。各々が草刈り機をもち、慎重にやっていった(こういう時、学校の教職員は強い。学校での夏の奉仕作業といえば、草刈り機。手慣れたものである).
広い土地だったが、15人で協力したらあっという間に終わった。掘り返した木の根元から生きたセミの幼虫が見つかり、妙にはしゃいでしまう40前のおっさんの私。「この子、出てきた時に切り株じゃどっちにしろ残念だったろうなぁ」と思いつつ、土の中に返した。
大学生&中学生のペアは、手強い木の根を引っこ抜こうと、ひたすらがんばっていた。周りの大学生たちも加わり「おおきなかぶ」状態。十数分の格闘の末、やっと引っこ抜けて、大歓声&記念撮影。妙な連帯感である。
「被災地のボランティア」だからといって、必ずしも悲壮感を漂わせながらやる必要はない。少しでも明るく、楽しみを見つけながらやって、続けていけることの方が大切である(無論、被災地の皆様への配慮は大切である。前向きにやるということである)。
今回も鍵山秀三郎先生ご提供の美味しいお弁当をいただき、午後の作業へ。次は、田んぼの側溝掘り&草刈りである。現地に行ってみると、完全に埋まっていて、どこが側溝なのかさっぱりわからない状態。数十メートルということだが、水が流れないで溜まっているために土地も沼のようになっており、作業は難しそうである。加えて、震災前からある長い小屋が邪魔で、人が入っての作業スペースの確保も困難。機械ではできず、人の手を借りてしかできない仕事である。
とにかく、探しながら掘ってみることにした。この泥が、思いの外、重い。本来流れるはずの水をたっぷり含んでいる。そのせいで足場が悪い上に、植物の根がばっちり絡んで、スコップが入らない&持ち上がらない。とにかく腰が痛い。
土手を押さえていたはずのネットも倒れて絡んでいる。おまけに、濁った水を含んだ、独特の臭いがあり、三重苦、四重苦である。一緒にやっていた会の主催者の村田先生も「これは、今回少しでも進めて、次の団体にリレーかな…」とのこと。私もひいひい言いながら作業を進めつつ、「これは、今日中には終わらんな…」と半ば諦めかけていた。しかし、「とにかく、今、できることをする」と念じつつ、ひたすら続けた。
すると、ちょうど「これは無理だぁ~」とかぶつくさ言いかけてきた時に、依頼主の方が様子を見にきてくださった。今日ボランティアに入ってもらえると思っていなかったらしく、急いで駆けつけてくれたようである。俄然、やる気が出る。みんなでがんがん進めていったら、何か終わりそうな雰囲気が出てきた。両側から掘り進めてきた側溝の道が、合流するのが見えてきた。そして、道がつながった。水が「ザア~~~」と音を立てて流れる。みんな、満面の笑みである。依頼主の方も、とても喜んだ表情を見せてくださった。
依頼主さんの感謝の言葉とともに、差し入れの飲み物をいただく。とにかく道をつなげたくて、ひたすら作業をしていたため、喉がカラカラである(というより、手も顔も泥まみれで、作業途中で飲めない状態だった)。葡萄ジュースを選んで、真っ青な空を仰いで一気に飲んだ。最高にうまい。耳を澄ますと、水の流れる音が聞こえる。やった甲斐があるというものである。