まだ「3.11」は終わってない。少しも先が見えて来ない南相馬の今

 

ボランティアの実務の内容は多岐にわたる。個人宅のことが多いが、神社やお寺といった文化財に関わることもある。引っ越しの手伝いや敷地整理が多い。以前から何度かレポートしているが、敷地の「竹」をどうにかしてくれというのはすごく多くて、かつ手強い。

どれも、大型の機械ではできず、行政からは支援がもらえず、ボランティアに頼るしかない仕事ばかりである。特別な技術者のいる団体には、大きな木を切る依頼がくることもある。今回我々の団体は大学生が過半数で、他団体に比べてかなりパワーのある集団となっていた。

今回は午前と午後で2件の依頼をこなし、草刈りと側溝の泥のかき出しをしてきた。まず1件目は個人宅の草刈り。夏らしく、草が伸び放題で足下が全く見えず、密林状態である。かなりの広さがある上、大きな石やブロック、井戸のようなものの後や切り株などが多数あり、草刈りするには危険である。各々が草刈り機をもち、慎重にやっていった(こういう時、学校の教職員は強い。学校での夏の奉仕作業といえば、草刈り機。手慣れたものである).

広い土地だったが、15人で協力したらあっという間に終わった。掘り返した木の根元から生きたセミの幼虫が見つかり、妙にはしゃいでしまう40前のおっさんの私。「この子、出てきた時に切り株じゃどっちにしろ残念だったろうなぁ」と思いつつ、土の中に返した。

大学生&中学生のペアは、手強い木の根を引っこ抜こうと、ひたすらがんばっていた。周りの大学生たちも加わり「おおきなかぶ」状態。十数分の格闘の末、やっと引っこ抜けて、大歓声&記念撮影。妙な連帯感である。

被災地のボランティア」だからといって、必ずしも悲壮感を漂わせながらやる必要はない。少しでも明るく楽しみを見つけながらやって続けていけることの方が大切である(無論、被災地の皆様への配慮は大切である。前向きにやるということである)。

今回も鍵山秀三郎先生ご提供の美味しいお弁当をいただき、午後の作業へ。次は、田んぼの側溝掘り&草刈りである。現地に行ってみると、完全に埋まっていて、どこが側溝なのかさっぱりわからない状態。数十メートルということだが、水が流れないで溜まっているために土地も沼のようになっており、作業は難しそうである。加えて、震災前からある長い小屋が邪魔で、人が入っての作業スペースの確保も困難。機械ではできず人の手を借りてしかできない仕事である。

とにかく、探しながら掘ってみることにした。この泥が、思いの外、重い。本来流れるはずの水をたっぷり含んでいる。そのせいで足場が悪い上に、植物の根がばっちり絡んで、スコップが入らない&持ち上がらない。とにかく腰が痛い。

土手を押さえていたはずのネットも倒れて絡んでいる。おまけに、濁った水を含んだ、独特の臭いがあり、三重苦、四重苦である。一緒にやっていた会の主催者の村田先生も「これは、今回少しでも進めて、次の団体にリレーかな…」とのこと。私もひいひい言いながら作業を進めつつ、「これは、今日中には終わらんな…」と半ば諦めかけていた。しかし、「とにかく、できることをする」と念じつつ、ひたすら続けた。

すると、ちょうど「これは無理だぁ~」とかぶつくさ言いかけてきた時に、依頼主の方が様子を見にきてくださった。今日ボランティアに入ってもらえると思っていなかったらしく、急いで駆けつけてくれたようである。俄然、やる気が出る。みんなでがんがん進めていったら、何か終わりそうな雰囲気が出てきた。両側から掘り進めてきた側溝の道が、合流するのが見えてきた。そして、道がつながった。水が「ザア~~~」と音を立てて流れる。みんな、満面の笑みである。依頼主の方もとても喜んだ表情を見せてくださった

依頼主さんの感謝の言葉とともに、差し入れの飲み物をいただく。とにかく道をつなげたくて、ひたすら作業をしていたため、喉がカラカラである(というより、手も顔も泥まみれで、作業途中で飲めない状態だった)。葡萄ジュースを選んで、真っ青な空を仰いで一気に飲んだ。最高にうまい。耳を澄ますと、水の流れる音が聞こえる。やった甲斐があるというものである。

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