で、親たる者、この押しつけるってのにビビッちゃダメです。教育や躾に内在する、洗脳の側面や押しつけがましさが、個性偏重主義の中ではほとんど暴力的(◆3☆)だと受け止められます。このため、優しい人ほど価値観を押しつけることにビビる結果になるんですね。
ですが、人は善悪の軸を持って初めて、その軸に照らしてものごとを判断するのです。初めから、すなわち人生の早い段階から、自分と他者の違いを考慮し、ある時は毅然とある時は程良く判断するだなんてことは絶対できない(×へ×)のです。なんらかの基準をインストールして初めて、その基準に照らしてものごとを判断するだけです。それが良かったかどうかは正直にいえば、インストールされてちゃんとワークしたあとの話なんです。
なので、強制的にインストールすることは、親や周囲の大人のツトメなのだと受け入れましょう。誰かが引き受けなくちゃならないんですよ、その暴力ぶりはね。
私の親が「子供にふさわしいおもちゃ」を「シンプルで昔からあって子供が工夫して遊べるもの」と勝手に定義しそれに沿ったおもちゃしか与えてくれなかったように。
これに私の意志や好みは全く反映されておらず、完全に押しつけでしたが、親たちはビクともせずに押しつけてきましたね( ̄∇ ̄)。親は教育の持つ暴力的な面をちゃんと引き受けてくれていたのです。
ここまで、つまり押しつけるのは仕方ないとして、むしろ大問題なのは「一定の価値観」というところだと思います。価値観自体が狂っていたり反社会的だったり非社会的だったりすると、子供の未来は間違いなく暗いモノになってしまうでしょう。そりゃそーよね。
- 気に入らないヤツは殴ってだまらせればいい
- 欲しいものはどんな手をつかっても手に入れる
- 虐められるヤツが悪い
- 他人を褒める必要なんかない
…まあ、極端な例を挙げましたけど。なので、いうまでもなく「一定の価値観」とは「より良い価値観」であるべきなのです。