習近平は「神」になりたいのか? 独裁者・毛沢東に憧れる男の野望

 

習近平は毛沢東にあこがれる

中国研究の大家・近藤大介先生によると、習近平は3人の男を尊敬しているそうです。

一人目は、父・習仲勲。(元副総理)お父さんを尊敬するのは、すばらしいことです。二人目は、プーチン。プーチンは、17年間政権にいて(08~11年は首相だったが)なおかつ支持率87%。「長期独裁政権を築き、なおかつ国民から支持されている」ということで、尊敬している。三人目は、毛沢東

毛沢東ってどんな人?

毛沢東は、どんな人だったのでしょうか?

天才的な戦略家であった、これについて、賛成しない方も多いでしょう。「毛沢東は逃げてばっかりだった」と。しかし、中国の戦略思想(たとえば孫子)によると、「戦わずして勝つ」のが「最上策」なのです。毛沢東は、孫子の教えに従い、日本と中国国民党を戦わせ疲弊させた。日本は敗北。毛率いる中国共産党は、国民党との内戦で勝利し、中華人民共和国を建国した。

さらに、毛沢東は、1960年代末、「ソ連に対抗するため、アメリカと組む」ことを決意します。これ、今までは、「ニクソンとキッシンジャーが和解を決めた」と考えられてきた。しかし、ニクソン、キッシンジャーと共に米中和解を成し遂げたピルズベリーさんによると、「中国から接近してきた」そうです。つまり、毛沢東が「米中和解を主導した。

これは、中国にとって、ありえないほど素晴らしい決断でした。まず第1に、ソ連の脅威が消滅した。第2に、中国は、アメリカ、日本から、金、技術をドンドンもらい、奇跡的な経済成長を成し遂げることができた。成長については、「鄧小平の功績」ということもできますが、その「枠組み」をつくったのは毛沢東です。

しかし、毛沢東は、非常に大きな失敗を二つしました。一つは「大躍進政策」。(1958~1961年)これは、農工業の「大増産運動」。詳細は省きますが、これで1,000万~4,000万人の餓死者が出たそうです。もう一つは、「文化大革命」。(1966~1976年)これは、「知識人」など「反革命分子」の大粛清運動です。どれだけ亡くなったか? 40~1,000万人まで諸説あり、はっきりしません。死ななかった「被害者」は、1億人とか。

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